伊藤悠子「畳が一枚」(「ふらんす堂通信」124 、2010年04月25日発行)
伊藤悠子「畳が一枚」は、何かものを明確に言い切っていないもどかしさがある。書きたいけれど、書きたくない--そういうことがらが、ここには含まれているのかもしれない。
そのなかほどに、とても美しい数行がある。この部分なら書いても大丈夫と判断したのか、ことばがいきいきと動く。
「こちらへと」。このことばに私はつまずき、「あ、美しい」と声をもらした。花はただそこで(遠い丘の頂きで)咲いている。それが「こちらへと」向かって咲いている、伊藤へ、伊藤と姉とその人へ向けて咲いている--そう感じるときの世界の感じ。
遠くから「私」へと世界が接近してくる。求心。「ここ」と「遠く」が一体になり、区別がつかくなる。
その瞬間。
「遠く」から「私」の方へ、「こちらへと」咲いてきた花が、「私」のこころのなかで、炸裂し、飛び散る。遠心。
求心→遠心。ビッグバンのような炸裂。そして、新しい世界が誕生する。
「私」「姉」「その人」のいる、「いま」「ここ」が「いま」「ここ」ではなくなる。瞬間的に、エニシダ(黄色い花)をうたった詩人のことば、そのことばのなかへと「私」は拡がってゆく。そして、そのことばとともに、あえぎあえぎ、絶唱している。
その絶唱は、ここではことばとして書かれていないが、絶唱とはもともとことばにならないものである。田から、ことばにする必要がないともいえる。世界が私に向かって押し寄せてきて、それがこころのなかでぎゅっと塊り、凝縮しすぎてぱっと炸裂し、輝きとともに飛び散って、この世を越えていく。そこに絶唱がある。その炸裂し、輝き、遠ざかるものは、ことばでは追い付けない。
それに追い付けるのは、放心だけである。
求心→遠心→放心。
伊藤が書こうとしているのは、その瞬間の運動である。
放心は、次のように、しずかに語られる。
伊藤が書いているのは、過去のできごと。ある日のできごと。だから、いま引用した部分の「黄色い花も写ったでしょうか」は、ほんとうなら、おかしい。写っているかどうか、伊藤は知っているはずである。姉が撮ってくれた写真を見ているはずだから。
でも、伊藤は、そんなことは書かず「写ったでしょうか」と、それを知らないふうに書いている。「過去」としてではなく、「その日」の現在(?)に帰って、ことばが動いている。
ことばは、ここでは「時間」を越えて動いている。
充実した時間、美しい時間、求心→遠心→放心が一気に起きる時間には、「いま」しかない。それがいつであっても「いま」なのだ。たとえば、「古池やかわず飛びこむ水の音」という句がつくられたのが江戸時代であったとしても、その句を口にするとき、それが「いま」であるように。同じように「黄色い花も写ったでしょうか」は「いま」なのだ。
求心→遠心→放心。そのなかに含まれる「時間」は「いま」であり、またたしかに「過去」でもある。求心→遠心→放心という時間のなかで、「いま」と「過去」が硬く結びついている。
この「いま」と「過去」の硬い結合を「永遠」と呼ぶこともできる。
この「いま」と「過去」の結合は、詩の最後で、もう一度姿をかえた形で書かれている。
「今日を始め」る。それは再出発、再生ということだろう。求心→遠心→放心の「永遠」。それを「いま」として生きなおす。40年前は「過去」ではなく、「いま」なのである。それを「いま」として、つまり「今日」であるとこころで決めて、生きなおす。
再生の決意が書かれている。
再生の決意の背後(過去)には、何かしらのことがらがあるのだが、それを伊藤は明確にはしていないそれはそれでいいと思う。過去が重要なのではなく、再生する瞬間、過去とは永遠をくぐり抜けて、「いま」となっているのだから。
伊藤悠子「畳が一枚」は、何かものを明確に言い切っていないもどかしさがある。書きたいけれど、書きたくない--そういうことがらが、ここには含まれているのかもしれない。
そのなかほどに、とても美しい数行がある。この部分なら書いても大丈夫と判断したのか、ことばがいきいきと動く。
「写真を撮ってあげる」
と姉が言ってくれました
姉とその人と私は家の裏手に向かいました
「トスカーナの丘みたい」
とトスカーナに行ったことのない姉が言いました
見ると草の生えていない裸の丘がいくつもあり
遠くの丘の頂きのひとところ
黄色い花がしきりにこちらへと咲いていました
「こちらへと」。このことばに私はつまずき、「あ、美しい」と声をもらした。花はただそこで(遠い丘の頂きで)咲いている。それが「こちらへと」向かって咲いている、伊藤へ、伊藤と姉とその人へ向けて咲いている--そう感じるときの世界の感じ。
遠くから「私」へと世界が接近してくる。求心。「ここ」と「遠く」が一体になり、区別がつかくなる。
その瞬間。
たしかエニシダのことをうたった詩人がいました
喘ぎ喘ぎ言葉を継いでいった絶唱
「遠く」から「私」の方へ、「こちらへと」咲いてきた花が、「私」のこころのなかで、炸裂し、飛び散る。遠心。
求心→遠心。ビッグバンのような炸裂。そして、新しい世界が誕生する。
「私」「姉」「その人」のいる、「いま」「ここ」が「いま」「ここ」ではなくなる。瞬間的に、エニシダ(黄色い花)をうたった詩人のことば、そのことばのなかへと「私」は拡がってゆく。そして、そのことばとともに、あえぎあえぎ、絶唱している。
その絶唱は、ここではことばとして書かれていないが、絶唱とはもともとことばにならないものである。田から、ことばにする必要がないともいえる。世界が私に向かって押し寄せてきて、それがこころのなかでぎゅっと塊り、凝縮しすぎてぱっと炸裂し、輝きとともに飛び散って、この世を越えていく。そこに絶唱がある。その炸裂し、輝き、遠ざかるものは、ことばでは追い付けない。
それに追い付けるのは、放心だけである。
求心→遠心→放心。
伊藤が書こうとしているのは、その瞬間の運動である。
放心は、次のように、しずかに語られる。
姉がその人と私をカメラに収めてくれたようです
黄色い花も写ったでしょうか
伊藤が書いているのは、過去のできごと。ある日のできごと。だから、いま引用した部分の「黄色い花も写ったでしょうか」は、ほんとうなら、おかしい。写っているかどうか、伊藤は知っているはずである。姉が撮ってくれた写真を見ているはずだから。
でも、伊藤は、そんなことは書かず「写ったでしょうか」と、それを知らないふうに書いている。「過去」としてではなく、「その日」の現在(?)に帰って、ことばが動いている。
ことばは、ここでは「時間」を越えて動いている。
充実した時間、美しい時間、求心→遠心→放心が一気に起きる時間には、「いま」しかない。それがいつであっても「いま」なのだ。たとえば、「古池やかわず飛びこむ水の音」という句がつくられたのが江戸時代であったとしても、その句を口にするとき、それが「いま」であるように。同じように「黄色い花も写ったでしょうか」は「いま」なのだ。
求心→遠心→放心。そのなかに含まれる「時間」は「いま」であり、またたしかに「過去」でもある。求心→遠心→放心という時間のなかで、「いま」と「過去」が硬く結びついている。
この「いま」と「過去」の硬い結合を「永遠」と呼ぶこともできる。
この「いま」と「過去」の結合は、詩の最後で、もう一度姿をかえた形で書かれている。
四十年以上もたって私を訪ねてくれた昔のままの
その人に
母に
姉に
少し泣きながらお礼を言って今日を始めました
「今日を始め」る。それは再出発、再生ということだろう。求心→遠心→放心の「永遠」。それを「いま」として生きなおす。40年前は「過去」ではなく、「いま」なのである。それを「いま」として、つまり「今日」であるとこころで決めて、生きなおす。
再生の決意が書かれている。
再生の決意の背後(過去)には、何かしらのことがらがあるのだが、それを伊藤は明確にはしていないそれはそれでいいと思う。過去が重要なのではなく、再生する瞬間、過去とは永遠をくぐり抜けて、「いま」となっているのだから。
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