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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『百枕』(6)

2010-08-06 00:00:00 | 高橋睦郎『百枕』
高橋睦郎『百枕』(6)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「年枕--十二月」。

これよりは枕を友ぞ冬に入る

夜長しと枕の蕎麦を足しにけり

 高橋の句はことばが多いものが目立つけれど、こういった静かな句もある。私は特に「夜長し」の句が気に入っている。枕はつかっているうちにだんだん低くなる。だから、蕎麦を足している。それだけのことだが、この「足す」ということばに不思議なあたたかさを感じる。「くらし」の維持、というとおおげさだけれど、何かを丁寧に持続するこころ--そこにあたたかさを感じる。
 冒頭の句は、冬に入れば、ほんとうは「ふとん」が友達になるだろうけれど、それを「ふとん」と言わずに「枕」といったところがおもしろい。あ、そうか、ふとんだけじゃ眠れないね、と気がつく。ささやかな気づきなのだが、そのささやかなところへとことばを動かしていく感性が気持ちがいい。

極月の枕に人の匂ひかな

年の衾年の枕や深沈と

 ここにあるのは、恋だろうか。恋はセックスをしてこそ、恋。セックスの肌のあたたかさ。冬こそ、そのあたたかさを感じるときだ。「肌」を「人」と、「あたたかさ」を「匂い」と呼ぶとき、そこに感覚の融合がある。触覚と嗅覚がまじりあい、「人間」が生まれてくる。

 そんな句を書いたあと、高橋はエッセイで『紫式部日記』の「大晦日」を引用し、

長局年の果なる凍テ枕

 あ、だれも触れないので、そこにはひとの匂いがしない。単に冷たいのではなく、ひとが触れないことで匂いをもたない感じ--それが「凍テ」る、ということ。
 
日本語はおもしろい。

遊ぶ日本
高橋 睦郎
集英社

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