詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ナボコフ『賜物』(44)

2011-04-21 10:30:43 | ナボコフ・賜物

 森の中に深く入っていった。小道に敷かれた黒い板は、ぬるぬるして滑りやすく、赤みを帯びた花弁の連なりやへばりついた木の葉に覆われていた。いったい誰がこのベニタケを落としていったんだろう、笠が破れ、扇のような白い裏側を見せている。その疑問に答えるように、呼びかわす声が聞こえてきた。女の子たちがキノコやコケモモを採りに来ていたのだ。それにしてもあのコケモモ、木になっているときよりも、バスケットに入れられたときのほうがよっぽど黒く見える!
                                (125 ページ)

 ナボコフの表現には「色」がたくさん出てくる。うるさいくらいである。黒、赤、白とつづいて出てくるこの文章では、しかし、その直接でてきた色よりも、最後の「よっぽど黒く見える!」が印象的である。同じコケモモでも色が変わる。その変化に、目が引きつけられていく。
 だが、この文章でそれが印象的なのは、そこに色の運動(変化)があるからだけではない。そこに繊細な感覚があるからだけではない。
 途中に「呼びかわす声が聞こえてきた。女の子たちがキノコやコケモモを採りに来ていたのだ。」という「色」以外のものが挿入されているからである。黒、赤、白という「色」が少女たちの「声」によっていったん洗い流される。そのあと、新しい目で「黒」だけを見つめるから、黒の変化がくっきり見えるのだ。
 女の子の「声」が挿入されなかったら、黒の変化は、赤と白に邪魔されて、よく分からないものになったに違いない。

ナボコフ伝 ロシア時代(下)
B・ボイド
みすず書房

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1 コメント

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ナボコフー賜物 (大井川賢治)
2024-05-16 12:07:03
欧米の詩人の自然の描写と、日本の詩人の自然の描写は、大変違うように感じます。文飾の問題ではなく、自然に対する、友好というか、人格関係というか~うまく表現できませんが。ナボコフに限ったわけではありませんが^^^
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