詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(46)

2018-03-30 11:16:29 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(46)(創元社、2018年02月10日発行)

 「瓦の小石」は、河原の小石になって語っている。

ここに連ねられる言葉は
誰かさんが沈黙を恐れるあまり
私の無言を翻訳しているだけの話

 こう「種明かし」をしている。「沈黙」と「無言」が対比されている。
 「無言」は「言(葉)」が「無い」であり、また何も「言わな(無)い」である。「言う」を「無」で否定している。「言う」を否定するとき、そこに「沈黙する」という動詞が結びつく。しかし、小石はことばを持たない。だから、小石は「沈黙する」ことはできない。小石にとっては「沈黙」は動詞にはならない。
 「誰かさん」はどうか。「ことばを持っている」。「言(葉)あ(有)る」。「無言」ではなく「有言」。有るけれど、「言えな(無)い」。「沈黙」には「言わない沈黙」と「言えない沈黙」がある。「誰かさん」は「言えない沈黙」を恐れている。「言えなくなる沈黙」かもしれない。それは「言(葉)を無(な)くする」ことによって起きる「沈黙」であるとも言える。「沈黙を恐れる」は「言えなくなる」「ことばをなくす」ことを恐れるでもある。
 「翻訳する」は、自分のことばではないものを、自分のことば(自分の理解できることば)に言いなおすことである。そこにあるものが「無」であったとしても、その「無」を別のことばで言いなおすこと、とらえなおすことはできる。
 この「翻訳」には、ただ「名詞」を「名詞」、「動詞」を「動詞」として「逐語」的に言いなおすものもあるが、「名詞」をそのことばが生まれてきた「動詞」に還元してとらえなおすということもある。「無言」を「言(葉)」が「無い」ではなく、「言わな(無)い」という具合に。「外国語」を「母国語」に言いなおすことを「翻訳」というが、「言い直し」は「母国語」のなかでも起きるし、また必要なことでもある。こういう「翻訳」は、「ことばを耕す」というような「比喩」として語られることもある。

 さて、その「翻訳」のハイライトはどこか。「無言」と「沈黙」を谷川は、どう「翻訳」している。

私はいつもただここにいるだけ
静かに何一つ表現せずに

 「小石」は「ここにいるだけ」、「何一つ表現せずに」。ことばでは「何一つ表現しない」から、これは「無言」。そして「沈黙」である。「無言」か「沈黙」かは、区別がつかない。「ことばを持たない」から「表現しない(できない)」のか、「ことばを持っている」のに「表現しない」のか。常識的には石はことばを持っていないから「表現できない」ということになるが、ほんとうは持っていて「表現しない」かもしれない。「持っていない」というのは、人間の一方的な判断である。
 というようなことを書くと、きりがない。
 ここで私が注目するのは、

静かに

 ということばである。

私はいつもただここにいるだけ
何一つ表現せずに

 と「静かに」を省略しても、「意味(ストーリー)」はかわらない。なぜ「静かに」ということばが必要なのか。どうして、ここに「あらわれて」来たのだろう。これは、何を表わしているのだろう。
 「静かに」は「無言」にも「沈黙」にも通じる。でも、この「静かに」は「ことば」とは関係がない。「ことば」の「有無」の「静か」とは違う。
 「動静」ということばがある。「動く」と「静かにしている」。「静かにしている」は「静止」にもつながる。
 ここでの「静かに」は「動かずに」である。
 でも、それなら

私はいつも「静かに」ただここにいるだけ
何一つ表現せずに

 でもいいはずだ。「動かずに、ここにいるだけ」。けれど谷川は「静かに」を「ここにいる」ではなく、「何一つ表現せずに」と結びつけている。
 「表現しないこと」を「静か」と定義している。「静か」を「表現しないこと」と定義しているのだ。「ことばを動かさない」を「静か」と定義している。
 石というもの(客観的存在)が動くか動かないかではなく、石の「内部(主観)」が動くか動かないか。
 「内面」が動かない。
 「内面」というのは、まあ、石ではなく、人間に通じるものだが。
 外から「外面」を客観的にみつめているだけではなく、「内面」を主観的にみつめ、「内面」の「静かさ」をとらえ、それを「何一つ表現しない」と言いなおしている。
 ことばが「表現する」のは、いつでも「内面」なのだ。

 けれど、その「内面」を重視するために、この詩は書かれているのかというと、私にはそうは思えない。

あ 私の上に紋白蝶がとまった
かすかだけど重みがあります
この蝶も河音を聞いています
石と蝶のあいだには絆があります
心の絆ではなく物質の絆が
だから存在するだけで良いのです
黙って存在するだけで世界は満ちる
人間がいてもいなくても
さらさらさらさら

 「心」は「内面」、「物質」は「外面(外形)」である。「内面」のつながりではなく、「内面」を必要としないつながり(絆)がある。それは別のことばで言えば何か。「存在する」という「事実」である。「ある」という「事実」が、ただ、そこにある。
 これを「静か」と言う。

黙って存在するだけで世界は満ちる

 は、

何一つ表現しなくても、存在するだけで世界は満ちる

 であり、

静かに存在するだけで世界は満ちる

 である。
 「静かに」と「黙って」が重なる。「静か」と「沈黙」が重なる。そこに「もの」が「ある」。
 「人間がいてもいなくても」は、ことばはあってもなくても、ことばにしようがしまいが、でもある。
 これだけで「良い」と谷川は言っている。
 もちろん、これを「内面を重視しない、と思う内面(感情/認識)を書いたもの」と読むこともできるのだが。つまり「内面を重視しない、ただ存在を重視するという思想が内面である」ということもできるのだが。

 私は、しかし、「ここにいるだけ」という「ある」が、とてもなつかしい。

 私は山の中の田舎で育った。幅がせいぜい3メートル程度の川を「大川」と呼ぶくらいの田舎である。正式な名前はみんな知らない。ほかの川に比べて大きいから「大川」と読んで区別しているだけである。そういうとこのろ「河原」は、まあ、単なる川辺というものだが、小石はある。そこに立ってぼんやり流れを見ている。そのとき川は「さらさらさらさら」と音を立てて流れていたかどうか、私にはわからない。「音」は確かににあった(はずだ)。だが、私は、その「ある」を「ことば」にするということを思いつかなかった。川も小石も、まわりの木や草、その向こうの畑や田んぼ、川の中の魚も、ただ「ある」。「ことば」だけが「なかった」と言い換えられるかもしれない。
 川の音、風の音、光の音も、「ある」。けれど、それはただ「ある」だけで、「聞く」ものではなかった。
 そういう「時間」を、思い出すのである。そのとき、私は「静か」だったと思う。何も動かない。

私はいつもただここにいるだけ
静かに何一つ表現せずに

 この二行に、「ああ、そのとおりだ」と思う。そこから、あの川岸、あの大きな石のそば、あるクルミの木、畦道を歩いていく友だち……と「ある」が広がり続ける。

 それを思うと、いま、私はどうしてこんなに「騒がしい」いるんだろう、とも思う。




*


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目次

小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
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     *
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聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017
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