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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

クリストファー・ノーラン監督「インターステラー」(★)

2014-12-06 22:36:41 | 映画
監督 クリストファー・ノーラン 出演 マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ


 情報量が多い、というよりも、情報が整理されていないので、そのうるささに、うんざりしてしまう。特に単純なものと複雑なものの関係が、まったく整理されていない。
 モールス信号が出てきた段階で、この、もうつかわれなくなった信号が最後に通信手段として活躍することがわかる。いいかえると単純なものが最後に複雑なものを切り開いていくことが予想されるのだが、その単純さと、親がこどもにだけは生き延びてもらいたいと思う「単純な愛」が重ね合わされるとき、話がうるさいなあ、と感じてしまう。
 さらにマット・デイモンの科学者(宇宙飛行士)が登場してきて、「人間の孤独」を絡ませると、これはもう、支離滅裂。アン・ハサウェイの恋人の科学者(宇宙飛行士)も、ことばの上で出てきて、科学と愛をごちゃまぜにしている。これらは、ただストーリーを複雑にして、観客の意識をはぐらかすだけ。
 ストーリーのためのストーリー。スペクタクルを見せるための道具(情報)であって、上映時間を長くするだけだ。観客をばかにしている。
 だいたい、モールス信号を出した段階で、観客は相対性理論も、重力もわかりはしない、と監督(および製作者)が観客を見くびっている。科学的な理論(複雑な数学)でストーリーを解決しようとしても、そんなものに観客がついていける(ついてこれる)はずがない。わかりやすいモールス信号(電子データではなく紙の本のある古い部屋)なら理解できるから、その「単純さ」を映画のキーにしようと思っているところが、なんとも「手抜き」である。監督が相対性理論や重力のことをわかっていないから、そういうことを思いつくのである。
 真摯さがない。
 唯一美しいと思ったのは、ロケットが打ち上げられた直後。宇宙に飛び出したあと、宇宙船内からカメラが宇宙空間に切り替わる。その瞬間、音が消える。あ、いいなあ、と思わず声が出る。傑作になるかも、と思わせる。無のなかに、人間のつくった宇宙船がある。無の絶対さと人間の非力さが、無音のなかで「音楽」を奏でる。
 ところが。
 この無音の美しさは、あと何回か瞬間的に出てくるだけで、それ以外はしつこいばかりの偽物の音楽(バックグラウンドミュージック)が邪魔する。こんな音楽が宇宙で鳴り響いているわけがない。こんな音で観客の感情をあおって、ごまかすな。映像だけで緊迫感を伝えろ!
 あれも、これも、うるさい。深化したコンピューターのユーモアもうるさいし、マシュー・マコノヒーの息子と娘の違いもうるさい。
 「2001年宇宙の旅」が傑作だったことがよくわかる映画であるとも言える。シンプルだから、そこに謎がある。謎があるから、何度でも見たくなる。
                     (2014年12月06日、ソラリアシネマ9)

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