goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(106)

2020-12-11 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (たしかにぼくは過ぎ去つていつた)

ふりかえると
それぞれがあまりに遠い

 「それぞれ」と複数なのが興味深い。
 「ぼく」と「ひとり」であって「ひとり」ではない。それぞれのときと場所によって、そのときと場所の「ぼく」というものが存在する。
 そして、それが複数であるからこそ「たしかに」ということばも必要なのだ。
 「たしかに」は漢字で書き直せば「確かに」。「確認」なのである。
 そして、その「確認」は「過ぎ去る」という動詞に焦点を当てているのではなく、そこには一行目には書かれていない「それぞれ」に焦点が当たっている。そのとき、その場所で、それぞれの「ぼく」があらわれ、過ぎ去る。それは「消えていく」。いなくなる。
 あいまいな認識が、ことばを書くことで「たしかな」ものとなってあらわれてくる。


*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嵯峨信之『詩集未収録詩篇』... | トップ | 「考えない」菅(その1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

『嵯峨信之全詩集』を読む」カテゴリの最新記事