監督 セバスティアン・レリオ 出演 パウリーナ・ガルシア、セルヒオ・エルナンデス、マルシアル・タグレ

この映画を楽しむには、かなりの度胸がいる。
離婚した女が主人公。58歳。子供は独立して、距離を置いている。アパートに独り暮らし。金は、まあ、ある。困らない。でもさびしい。子供たちは相手にしてくれない。男も相手にしてくれない。恋愛がしたい。男がいない。で、ディスコに通っているのだが、そこで海軍の将校だった男と出会う。彼もまた離婚している。(している、はずである。離婚したが元の妻や子供たちの面倒をみている、という「ずるずる」した現実がある。)
で、妻子に度胸を試されるのが、セックスシーン。女(グロリア)の体も、もう58歳なので、見ていてきれいとは言えないのだが、男の方も醜い。太った腹をコルセット(?)で固くしめつけて肥満を隠している。それがセックスのとき、グロリアに「これ、何?」と言われて、それをはずして(当然か)ベッドに入るのだが。
セックスというものは別に他人にみせるためのものではないのだから、醜かろうが、コッケイだろうが関係ないはないのだが……それは「現実」の話であって、これが映画になると、ちょっと違うよねえ。実際に性交するかどうかではなく、それが官能的に見えるかどうか、つまり観客に、セックスはやっぱり重要、楽しい、美しい、してみたいと思わせることができるかどうかが大切。
ここでこんな例が適切かどうかわからないが、ジェーン・フォンダとジョン・ボイトの「帰郷」。ジョン・ボイトは戦争で負傷して性器が勃起しない。そのジョン・ボイトとジェーン・フォンダのセックスシーン。ジェーン・フォンダが実に美しい。その官能に満ちた姿態に、ジョン・ボイトが「きれいだ」と声を洩らすのだけれど、そうか、セックスというのは性器の結合にこだわるわけではないのだ、ということを教えてくれる。官能は性器の結合だけではないと、わかる。
それに比べると、いやあ、比べてはいけないのだけれど、ほんとうにがっかりする。こんな醜い体を引き合わせて、快楽をつかみださなければならないのか、快楽のために肉体はこんなにみっともない現実を生きているのか……。
このシーンを、やっぱりセックスは美しい、と感じて見ることができるならば、まあ、印象はずいぶん違ってくるだろうなあ。
しかし、ね。
実は、このセックスシーンは、どうも醜く撮ってある。わざと美しくない形で映像化されている。二人はセックスはするはするのだが、そしてちゃんと絶頂に達するは達するのだが、どうも不全感がある。気持ちが完全に一致したのではない。(ここが「帰郷」の美しさとまったく違うところ。)その気持ちのすれ違いがセックス以外のところでも少しずつ出てきて、それがどうしようもなく積み重なって、ふたりを引き離してしまう。そういうリアリティーあふれる映画なのである。
で、ちょっと逆戻りする形になるが、もう一度セックス描写。二人が実際にセックスをしてみせるシーンは、もう一度出てくる。グロリアが男を椅子に押し倒して、コルセットをはずし、女性上位の形で男を犯す(?)。このシーンが、とても官能的なのである。醜くない。一体になった、という輝かしさがある。
男は押し倒されるまでで、その後はグロリアしか見えないから、これは女が主導権を握っているとき、男を支配しているとき、この恋は美しいという、映画の「根幹」を暗示しているのでもあるけれど。--グロリアは男を支配しつづけられない。男は、元の妻と子供たちのことをどうしても気にかけてしまう。グロリアが男をかまってくれないと、すねて、ひとりでホテルから帰ってしまうというようなところもある。チェックアウトもしないで、ひとりで帰ってくような子供っぽいところがある。
それやこれやで、まあ、二人はわかれてしまう。わかれてしまって、また孤独になったグロリアは男を探しにまたディスコへ出かけていく……。ストーリーとしては、そういう感じ。ハッピーエンドではないのだ。
度胸がいるでしょ? これを見て、「よし、幸福になるぞ」、男をあさって生きていくぞ、と思う女性が何人いるか。離婚して、あたらしい女と暮らしはじめるぞ、女を幸せにして自分も幸せになるのだと夢をもつ男が何人いるか。
しかし。しかし、なのである。
奇妙に引き込まれてしまう。グロリアを演じたパウリーナ・ガルシア。何だか演技を見ている気がしない。58歳の孤独な女の肉体をそのまま見ている感じ。手触りがある。男のまなざしに触れて、「私って、まだもてるかも」と顔が輝く瞬間とか、「あの男、嘘をついた、裏切った」と気づいて急に体の芯ががっしりと屹立する感じとか。絶品(?)は、昔の夫、息子、娘との食事のシーン。(息子の誕生日のパーティー)いまの恋人を連れていったにもかかわらず、昔の家族の雰囲気に溶け込んで、「ああ、家族って幸せ」と感じる表情とか。女の七変化。これを完全に演じきっている。なりきっている。
この肉体を引き受けて生きる度強があるなら、この映画は傑作だろうなあ。度胸のない人は、見ないことをお勧めする。
(2014年03月30日、KBCシネマ1)

この映画を楽しむには、かなりの度胸がいる。
離婚した女が主人公。58歳。子供は独立して、距離を置いている。アパートに独り暮らし。金は、まあ、ある。困らない。でもさびしい。子供たちは相手にしてくれない。男も相手にしてくれない。恋愛がしたい。男がいない。で、ディスコに通っているのだが、そこで海軍の将校だった男と出会う。彼もまた離婚している。(している、はずである。離婚したが元の妻や子供たちの面倒をみている、という「ずるずる」した現実がある。)
で、妻子に度胸を試されるのが、セックスシーン。女(グロリア)の体も、もう58歳なので、見ていてきれいとは言えないのだが、男の方も醜い。太った腹をコルセット(?)で固くしめつけて肥満を隠している。それがセックスのとき、グロリアに「これ、何?」と言われて、それをはずして(当然か)ベッドに入るのだが。
セックスというものは別に他人にみせるためのものではないのだから、醜かろうが、コッケイだろうが関係ないはないのだが……それは「現実」の話であって、これが映画になると、ちょっと違うよねえ。実際に性交するかどうかではなく、それが官能的に見えるかどうか、つまり観客に、セックスはやっぱり重要、楽しい、美しい、してみたいと思わせることができるかどうかが大切。
ここでこんな例が適切かどうかわからないが、ジェーン・フォンダとジョン・ボイトの「帰郷」。ジョン・ボイトは戦争で負傷して性器が勃起しない。そのジョン・ボイトとジェーン・フォンダのセックスシーン。ジェーン・フォンダが実に美しい。その官能に満ちた姿態に、ジョン・ボイトが「きれいだ」と声を洩らすのだけれど、そうか、セックスというのは性器の結合にこだわるわけではないのだ、ということを教えてくれる。官能は性器の結合だけではないと、わかる。
それに比べると、いやあ、比べてはいけないのだけれど、ほんとうにがっかりする。こんな醜い体を引き合わせて、快楽をつかみださなければならないのか、快楽のために肉体はこんなにみっともない現実を生きているのか……。
このシーンを、やっぱりセックスは美しい、と感じて見ることができるならば、まあ、印象はずいぶん違ってくるだろうなあ。
しかし、ね。
実は、このセックスシーンは、どうも醜く撮ってある。わざと美しくない形で映像化されている。二人はセックスはするはするのだが、そしてちゃんと絶頂に達するは達するのだが、どうも不全感がある。気持ちが完全に一致したのではない。(ここが「帰郷」の美しさとまったく違うところ。)その気持ちのすれ違いがセックス以外のところでも少しずつ出てきて、それがどうしようもなく積み重なって、ふたりを引き離してしまう。そういうリアリティーあふれる映画なのである。
で、ちょっと逆戻りする形になるが、もう一度セックス描写。二人が実際にセックスをしてみせるシーンは、もう一度出てくる。グロリアが男を椅子に押し倒して、コルセットをはずし、女性上位の形で男を犯す(?)。このシーンが、とても官能的なのである。醜くない。一体になった、という輝かしさがある。
男は押し倒されるまでで、その後はグロリアしか見えないから、これは女が主導権を握っているとき、男を支配しているとき、この恋は美しいという、映画の「根幹」を暗示しているのでもあるけれど。--グロリアは男を支配しつづけられない。男は、元の妻と子供たちのことをどうしても気にかけてしまう。グロリアが男をかまってくれないと、すねて、ひとりでホテルから帰ってしまうというようなところもある。チェックアウトもしないで、ひとりで帰ってくような子供っぽいところがある。
それやこれやで、まあ、二人はわかれてしまう。わかれてしまって、また孤独になったグロリアは男を探しにまたディスコへ出かけていく……。ストーリーとしては、そういう感じ。ハッピーエンドではないのだ。
度胸がいるでしょ? これを見て、「よし、幸福になるぞ」、男をあさって生きていくぞ、と思う女性が何人いるか。離婚して、あたらしい女と暮らしはじめるぞ、女を幸せにして自分も幸せになるのだと夢をもつ男が何人いるか。
しかし。しかし、なのである。
奇妙に引き込まれてしまう。グロリアを演じたパウリーナ・ガルシア。何だか演技を見ている気がしない。58歳の孤独な女の肉体をそのまま見ている感じ。手触りがある。男のまなざしに触れて、「私って、まだもてるかも」と顔が輝く瞬間とか、「あの男、嘘をついた、裏切った」と気づいて急に体の芯ががっしりと屹立する感じとか。絶品(?)は、昔の夫、息子、娘との食事のシーン。(息子の誕生日のパーティー)いまの恋人を連れていったにもかかわらず、昔の家族の雰囲気に溶け込んで、「ああ、家族って幸せ」と感じる表情とか。女の七変化。これを完全に演じきっている。なりきっている。
この肉体を引き受けて生きる度強があるなら、この映画は傑作だろうなあ。度胸のない人は、見ないことをお勧めする。
(2014年03月30日、KBCシネマ1)
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