詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

江夏名枝『あわいつみ』

2020-11-03 10:57:36 | 詩集


江夏名枝『あわいつみ』(澪標、2020年10月10日発行)

 江夏名枝『あわいつみ』は小ぶりな詩集である。ページも50ページ足らず。気軽に読むのに都合がいい。「気軽に読まないでほしい」という声が聞こえてきそうだが、私はどんな本でも気軽に読みたい。気軽に読み始めて、気軽なまま終わるか、真剣に何かを考えるかは別問題。とっかかりが「重い」のは苦手だ。
 余分なことを書いたが。

 この詩集には目次がない。一ページに一つの断片が配置されている。断片にはタイトルもついていない。断片の長さは様々である。私は短い断片が好きだ。
 たとえば、3ページ。

 顔を洗うと、水は誰のものでもなくなる。

 この一行の「いきなりさ」加減に私ははっとする。
 「いきなりさ」というのは、そういうことを私は考えたことがなかったということを意味する。驚き。そこに、たぶん詩がある。詩とは驚きである。
 さて、では、顔を洗う前は、水は誰のものだったのか。
 この「答え」はない。
 ただ「水は誰のものでもなくなる」という事実だけがある。この事実を排水口をつたって下水となって流れていく。誰も使えない(誰もつかわない)と「意味」にしてしまうとぜんぜんおもしろくない。
 「誰ものもでもなくなる」は「断定」であり、同時にその断定は「問い」そのものを拒絶する「絶対」なのだ。
 禅問答の「公案」のようなものかもしれない。禅問答も公案も、私はよく知らないまま書いているのだけれど。
 そのことばが動く瞬間にだけ、世界が解体し、別な次元があらわれる。そういう印象。
 長くなると、あまりおもしろくない。
 4ページ。

 林檎にナイフを入れると、きっかりに雨が止む。パズルに、最後のピースが間に合う。
 更紗のシーツに光が降りる。こうして、目覚めていることさえ夢になっていく。秒針
が過ぎる。わたしは前方へ去る。空はあらゆる色を持つことを覚えている。遠い竪琴、
風姿となった神話たちの口角……

 ひとは見えない心の奪い合いに眉をひそめつつも、目に見えぬ力を信じようとしない。

 この断章の中では「空はあらゆる色を持つことを覚えている。」だけがおもしろい。どこがおもしろいかというと、「覚えている」の「主語」が何かということがわからないからである。「空は/覚えている」のか、書かれていない「私」が「覚えている」のか。どちらとも、読むことができる。
 私は、「空は/覚えている」と読みたい。「誤読」する。「空」は「人間」ではないから、何かを「覚える」と言うことはできない。でも、ことばを補って「空は/あらゆる色を持つことを/覚えている、と考えること(ことばを動かすこと)はできる」。ここには、ことばにしか到達できない何かが書かれているのだ。
 ここから振り返れば、

顔を洗うと、水は誰のものでもなくなる。

 も、同じである。ここに書かれているのは「考えること/考えたこと/ことばを動かすことでつかみ取った何か」が瞬間的にあらわれているだけである。
 このとき「ことば」は筆者(私)のものであると同時に、「私」であることを超越して「水」や「空」のものになる。「水」は「(自分は)もう誰のものでもない」と考える。「空」は「あらゆる色を持つ」と考えることができる。そして、その「水」や「空」はまた「もの」ではなく、「ことば」なのだ。
 「もの」だけれど「もの」を超越して、「ことば」になって動く。
 たぶん、詩とは、そういう奇妙で絶対的な「運動」なのだ。
 そういうことばに比べると、たとえば「遠い竪琴」「神話たちの口角」、さらには「林檎」や「更紗」は、「もの」に閉じこめられた「ことば」である。「もの」の代用である。これを言い直せば「流通言語」である。特に「竪琴」や「更紗」は「詩的雰囲気(美しいイメージ)」としてことばを「固定化」しようとして動いている。
 こうなると、私は、おもしろいとは感じなくなってしまう。
 15ページ。

 週末のギャラリーに、チェス盤が用意される。

 アンフランマンス……滲ませずに刻まれ、散逸する輪郭。
 風にその顔貌を残す、ヘルメースの魔術。

 うーん、もう読みたくなくなる。
 35ページ。

 わたしたちの舌の奥に眠る琥珀たち。古い記憶を反芻し、欠けた時間を懐かしんでい
る。しずくのように閉じた匂いをたずさえ、夢のひわいろを絵画のように吸う。いくつ
かの数式が溶けている壁の彩度、夢にはわたしを感じる暗闇がない。

 微妙だなあ。
 「しずくのように閉じた匂い」は「しずく」そのものが「匂い」を閉じこめているように感じられる。それは「閉じられている」から匂いがない(感じられない)はずなのに、そこに「匂い」があることが直感されている。ことばは「夢のひわいろを絵画のように吸う。」とつづいていくのだが、「吸う」という動詞は「しずく(水)」を吸うとも、「匂い」を吸う、とも読むことができる。私は「匂いを/吸う」と「誤読」する。その瞬間、私の肉体は一滴のしずくになったのか、それとも一滴のしずくが私の肉体のなかに滴り落ちたのかわからなくなる。そのあいまいさのなかに、ひわいろの絵が広がる。こういう瞬間が、私は大好きだ。
 「数式が溶けている壁」も「ことば」でしかあり得ないが、これは「肉体」に響いてくるというよりも、「頭」を刺戟する。言い直すと神経に触る/障る。
 44ページ。

 夏の枯れ葉を踏む音は、ただ舌の上で味わわれる。

 「音」を「舌で味わう」。枯れ葉を踏む音を「舌」で再現しようとする。声にしようとする。でも、うまく、音にならない。そのときの不思議なよろこび。私たちの「肉体」には実現できないことがある。その不可能を、ことばは超越していく。その超越のなかに詩があるのだと思う。



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2 コメント

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江夏名枝  アワイツミ (大井川賢治)
2024-09-01 23:20:00
谷内さんの書評より/詩とは驚きである/。
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触る/障る (江夏名枝)
2020-11-04 22:10:00
前作に続いて、ご感想をいただき、ありがとうございました。”神経に触る/障る。” この部分、よくわかります。言葉の”妙”を殺してしまってはいけませんね……ムキになって(?)無理にまとめようとした箇所など、どうしても読む人には伝わってしまうものです。あぁ、恥ずかしい……と思いながらも、晴れやかな心地がします(この言葉の使い方は、変?でしょうか)
こちらで取り上げられた「読書日記」を拝読しておりますと、思わぬ発見もあり、頷いてしまうことも多いです。これからも楽しみにしております。
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