小倉金栄堂の迷子(3)
『破棄された詩のための注釈』という本があった。100ページもないのに、箱に入っている。売れ残った他の本の箱と同じように、角がこすれて毛羽立っているということばは、削除され、かわりに本を引き出したのと同時に一枚の紙がふわりと舞った、と書き直された。北陸の冬の海。雪のように、カモメの羽毛が舞う、そのように、とブルーの万年室で書かれたことばはつづいていたが、そのことばこそ破棄されなければならない詩である、と詩人は書いている。
一行の余白があり、小さな文字で「登場人物」というタイトルで、ことばが並んでいる。目次のように。
海の匂いのすることば、
海から帰って来たことば、
肩に雪をつもらせたことば、
淫らなことば、
淫らなことばに侮辱されたと感じていることば、
ノスタルジーに汚染されたことば、
繊細なことば、
繊細なことばのとなりにいる横柄なことば、
たとえば木曜日、
横柄と横着の区別がつかないことば、
ノスタルジアをからかうことば、
禿げて太ったことば、
消毒液のにおいのすることば、
非情階段にすわり空を見ることば、
歌のない音楽が好きだといったことば、
絵の具ではほんとうの黒を表現できないがことばでならできるといったことば
淫らなことばをまねしたがることば、
指で宙に文字を書きたがることば
橋が好きなことば、
接続法のことば、
過去完了形からやってきたことば、
未来完了形へなりたがることば、
アルファベットで呼ばれたいことば、
あるいはを繰り返すことば
キュウリを刻むことば
雨の日にキュウリを買いにいくことば、
犬論のためには犬の形ということばが必要だということば、
ことばを一つずつ消していくことば、
蹴られるたびに新しいことばのために物語を考えることば、
秘密のことば
瞑想のことば
沈黙のことば
重力のことば
論理のことば
空想のことば
ことばを登場人物にした詩を書こうとしたのは、あの男ではない、私だ、声を出さずに夢のなかで叫んでいることば。