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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

志賀直哉(6)

2010-04-09 11:14:54 | 志賀直哉
 「鬼」(「志賀直哉小説選、昭和六十二年五月八日発行)

 志賀直哉は短いことばが非常に印象に残る。たとえば、前回感想を書いた「菰野」。列車から見る風景。

遠い百姓家に咲いてゐる凌霄花(のうぜんかづら)が雲を漏れてさす陽を受け、遠いのに度強(どぎつ)く眼に映つた。

 「遠いのに度強(どぎつ)く眼に映つた。」がとても印象的だ。「遠い」は「雲を漏れてさす陽」と呼応している。その調和を「度強く」が破る。
 そういう呼吸とは、逆の文章も、ときどき非常にこころに残る。
 「鬼」は近所にいた「小鬼」のような少年(井上)を描いたものだが、その文章の最後に追加されたことばが、私はとても好きだ。

 井上は駆チク艦に乗つてゐて、艦長から此文章の載つてゐる雑誌を見せられ「お前の事だらう」と云はれて読んだと云ひ、私が新町に移つてから訪ねて来たが、前の井上と変り快活によく話し、如何にもなつかしさうな様子をしてゐた。その後何の便りもなく、どうしたかと思ひ、一年程してからかと思ふが奈良にいつた時、兄の食品店を訪ねたら船が沈んで戦死したといふ事だつた。

 「乗つてゐて……載つていゐる」「云はれて……云ひ」「どうしたかと思ひ、……からかと思ふが」という繰り返しが、ことばをゆったりとさせている。その、すこし間延びさえした感じが、ひとを思い出している気持ちにとてもあっている。あ、と叫んで、突然、強烈な印象で思い出すのではなく、ああ、という感じが伝わってくる。
 そして、そのリズムが、それに先立つ小説の本編の「小鬼」の快活な描写と美しい対比になっている。



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山口 翼
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