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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

長嶋南子「そうじ」、青山かつ子「暑気払い」

2011-02-07 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
長嶋南子「そうじ」、青山かつ子「暑気払い」(「すてむ」48、2010年11月25日発行)

 長嶋南子の詩にはいつも何かしら図太い(?)おかしさがある。「そうじ」。

大きらいです
そうじするくらいなら
ホコリのなかで寝ているほうがマシです

主婦の働き以上にロボット
人工知能でそうじする
ゴミ除去率99・1%
取手発上野行き常磐線車内広告による)

子育てが終わると退屈な毎日が30年もつづきます
刺激が欲しいですね やっぱり
ゴミ出しにいったらお隣のご主人とあいさつする
それからお茶にさそわれて それから・・・・・
なにごとも順序がたいせつです
なにごとも妄想がたいせつです

 と書かれてみて、あ、妄想も順序を守るのだ--と気づきおかしくなる。笑いだしてしまう。妄想なんだから順序なんてどうでもいいのに、妄想さえも順序をまもって進んで行く。
 ほかのひとはどうかしらないが、長嶋の場合は、たしかに順序を踏んで妄想が広がって行く。
 おもしろいのは、そのことに長嶋が気づいているということ。
 ふつうは(私の場合は--と、私はいつでも私を基準にする)、妄想の最中に、いまの妄想は順序通りだねえ、なんて思わない。
 この強い客観意識--これはいったい何なのだろうなあ。

燃えるゴミ燃えないゴミ 分別(ぶんべつ)しなくてもよいのです
なんでも燃やせる焼却炉ができたからです
主婦は無分別(ふんべつ)です
なんでも受け入れて飲みこんでしまうからです
分別(ぶんべつ)顔をしている男の人には近づいてはいけません
お説教が雨あられと降り続きますから

 で、ここにかかれていること、特に最後の2行は「妄想」? それとも分別ある意識の運動がたどりついた結論? 分別が「ぶんべつ」なのか「ふんべつ」なのかわからないくらいに、わからない。
 そう思ったとき。
 妄想にも順序が大切、と思った(そんなふうに読んだ)のは、私の妄想? それともそんな妄想をもって長嶋が書いたこと? つまり、妄想に順序がたいせつというのは、ただしいこと? それともその考え自体が妄想?
 「ぶんべつ」か「ふんべつ」かわからないけれど、区別がつかなくなる。
 この区別のつかない感じはさらにつづいていく。(つながっていく、というべきなのか。)

どこの家でも大きな不用品を隠しもっています
夜中 こっそり捨てにいきます
ゴミ置き場には同じように捨てられたものが
所在なさそうにぶらぶらしています
明けがたになると帰っていくみたいです
家に帰るくらいの知能はあるのでした
わたしだってホコリをなくしたら捨てられます

ええ そうじは大きらいです
ホコリのなかで寝ています

 「ホコリをなくしたら捨てられます」の「ホコリ」は「誇り」。「埃」ではない。でも最終行の「ホコリ」は? そうじが大きらいなのだから、家のなかは埃だらけ。だから埃のなかで寝ている? そうかな? そうじが大きらいで家が埃だらけだとしても、人間の「ほこり(誇り)」って家をきれいにしているということだけじゃないよなあ。主婦の「誇り」が美しい家というだけじゃないよなあ。別の「誇り」もある。その「誇り」のなかで寝ている。「誇り」があるから「埃」は気にならない。
 なんて、書いてしまうと分別臭くなる。お説教くさくなる。つまり、ことばを「順序」を踏まえて動かす「論理(理屈)」になってしまう。
 妄想したいのに……。
 「理屈(論理)」なんて、妄想には「不用品」。いらないもの。
 でも、人間というのはいつでもいらないものをもっているものだねえ。「誇り」なんてものも不用品だな。家を美しく保つのが主婦の「誇り」というのは、いやったらしい「不用品」だねえ。捨ててしまいたいねえ。捨ててしまって「埃」のなかで眠ってしまいたいねえ。
 でも、そのとき、そんなふうに平気でいられるのは、どんな「誇り」があるから?
 あ、これは、私の「不用品」。つまらない考え。書いちゃいけないことだね。

 と、こんなことをくだくだと書いているのは……。
 実は、この詩には私は大いなる不満をもっている。いつもの長嶋とは違う。一方的な私の欲望なのだが、もっともっと「順序正しい妄想」を書いてもらいたいのだ。その妄想を読みながら、あ、長嶋さん、そこのところの妄想が順序が間違っている、とか、そこのところの妄想、もうちょっと右、そこじゃない、もう少し下、違う違う、いま通りすぎたところ--とか背中を掻いてくれる女の人に文句を言うみたいに言ってみたいのだ。そんなふうにわがままな感想を書けたとき、あ、好きな人がいるっていいなあ、と私はそれこそ妄想して(誤読して)、うっとりするのだ。
 今回の詩は、そういうところへはたどりつけない。それが残念。



 青山かつ子「暑気払い」は、妄想ではなく、一種の幻想を書いている。幻想と妄想はどこが違うか。幻想の方がおとなしいかなあ……。

部屋にはいると
テーブルの大皿が湯気をたてている
チャボがひょいとあがってきて
その皿をつつきはじめた
追い払っても動かない
「おいしいのよ」とおっしゃって
抱きあげると
チャボの青黒く光る尾羽をなで
とさかをつかみ…
不意にせんせいの手が羽に消える
チャボのかんだかい声
「発声がわるいわねぇ」
あわてて私は声を出してみる
アッアッアッー でない
喉をはげしく掴まれている
苦しくなって羽をばたばた
まぶたがゆっくりおりてくる

 あらら、招待された「暑気払い」で、青山はいつのまにかチャボになってしまっている。チャボの料理。そこにチャボの最後の様子を見ている。
 でも、見てしまうと、やっぱりこそから現実はかわっていく。それが「幻想」であっても。

「遠慮なく召し上がってね」
気がつくとせんせいは
熱々のローストチキンを切り分けている
「発声をなおさないとね」
ナイフを使うせんせいの
手が止まる

 「発声をなおさないとね」は、誰の声? チャボになって、絞められて、料理された青山。死んでも仕返しをするのだ。ナイフをあてられながら「発声をなおさないとね」という口癖(?)を仕返しのようにして返すのだ。
 ホラー?
 いいんじゃないかな、「暑気払い」なのだから。



 きのう武田肇から俳句を誤読しているという指摘を受けた。(3日の「日記」に追加して書き込んでいます。)で、きょうは、どこまで誤読できるかな、と思いながら、長嶋と青山の詩の感想を書いてみた。


猫笑う
長嶋 南子
思潮社

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イガイガ (おまんじゅう、レッドセロファン)
2011-02-08 23:40:17
喉の壁にまとわりつくように、ぐちや不満と要望をなんだか人任せに済まそうとしていましたら、ここにたどり着きましていろんな角度を思い出しております。お邪魔いたしました。
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