* (この砂漠は)
いつの日か通つたようにおもわれるが
いま哀しくもおもいだされない
「おもう」が「おもいだされない」。「おもう」は気がする、ということだろうか。「おぼえている」のに「思い出せない」というのとは違う。「おぼえている」が「思い出せない」というのは「ことば」にならない、ということ。
この詩では、「ことば」になっている。
「哀しくも」というのが、その「ことば」だ。「おもいだせない」はずなのに「哀しくも」ということばが生まれてくる。こころが生まれてくる。「いま」となって。
「いま」。
このひとことも、切実だ。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
いつの日か通つたようにおもわれるが
いま哀しくもおもいだされない
「おもう」が「おもいだされない」。「おもう」は気がする、ということだろうか。「おぼえている」のに「思い出せない」というのとは違う。「おぼえている」が「思い出せない」というのは「ことば」にならない、ということ。
この詩では、「ことば」になっている。
「哀しくも」というのが、その「ことば」だ。「おもいだせない」はずなのに「哀しくも」ということばが生まれてくる。こころが生まれてくる。「いま」となって。
「いま」。
このひとことも、切実だ。
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