詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「このミツバチとまれ」

2022-03-30 10:18:24 | 詩(雑誌・同人誌)

石毛拓郎「このミツバチとまれ」( 「sprit 」5 、2022年03月15日発行)

 石毛拓郎「このミツバチとまれ」には「1990年8月15日 旧盆の宵、片山健さんへの画賛」というサブタイトルがついている。私は片山の絵を意識して見たことはない。さらに、1990年は、もう30年以上も前のこと。まさか、1990年のことを思い出して石毛がこの詩を書いたわけではないだろうから、いまここで感想を書くことに意味があるかどうかわからない。まあ、感想に意味などないのだが。
 それに一読したところ、ぜんぜん、おもしろくない。石毛は、なぜこの詩を、いま、「sprit 」に発表しようとしたのか、さっぱりわからない。
 じゃあ、私は、なぜ、これから感想を書こうとしているのか。そうだなあ。最近読む詩が、身近に感じられない。ことばが、とても遠く感じられる。石毛のことばは、妙になつかしい。石毛が片山健を思い出し、ふと、その詩を発表してみようと思ったのに似ているかもしれない。書くことはない。しかし、書いたものがある。その書いたものを通して、過去を思い出してみる。
 ということを考えていると、不思議な気持ちになるのだ。
 私がこれから書くこと。それは、もしかしたら、私がすでに書いたことかもしれない。そんなことは現実にはありえないのだが、ありうる、これから起こりうるかもしれない。書いてみないと、わからない。

真っ盛りの夏
腐りかけていく水蜜桃
甘ったるい咽喉の奥を とろけていく
けだるい白昼の夢をみた
夢で 庭にはびこる一面の蔓草が
軒下めざして
いっせいに笑った
さらに かぶりつこうとした
おまえのくちびるが 一瞬うろたえた
ひと口 齧ったところから
ミツバチが 飛びたったのだ
このミツバチ とまれ
このミツバチ とまれ
---まさか? そうだな、水蜜桃に蜂はやってこない。

 現実というか、事実がある。しかし、それは「常識」で考えると、どうもありえないことである。「まさか?」ということがある。
 さて、ここから、どうするか。
 「おまえ」というのは絵に描かれている人間かもしれないし、石毛が石毛自身を客観化して「おまえ」と呼んでいるのかもしれないのだが、いずれにしても「対象」である。そして、その「対象」の存在を手がかりに、「世界」ではなく、「対象」のなかに入っていく。「対象」のなかに「世界」を引きずり込む。「世界内存在」ではなく、逆に「自己内世界」

花と果実をまちがえたミツバチは ささやく
おまえのこころに 清らかな水密は棲まぬ と
わたしは 想いもよらなかったのだ
---清流に、魚は近づかぬとよ。
すると 粘膜は熟れて
「桃源郷」の甘い果肉の 残り香が
すべての虫の神経を 狂わせる
おまえの五感も生きものであることを 知らしめる

 「わたし」と「おまえ」が交錯する。その区別のなさのなかに、「清流に、魚は近づかぬ」という「腐った水蜜桃」とは違うものがあらわれてくるのだが、その瞬間に「腐った水蜜桃」こそが貴重な魚を棲むところにも見えてくる。「清らか」であることよりも「腐っている」ことが重要なのだ、というふうに整理してしまっては、しかし、おもしろくない。こういうことは、論理として突き詰めては何にもならない。瞬間的な錯誤のなかに、瞬間的にだけ存在するヒントとして何かを感じればいいだけだ。
 この錯誤を、石毛は「狂わせる=狂い」ということばをつかみとり、それから

おまえの五感も生きものであることを 知らしめる

 へと飛躍する。「おまえ/わたし」が生きているのではなく、「五感」が生きている。これは「わたし(おまえ)内五感」ではなく、逆に「五感内おわたし(おまえ)」という世界である。「わたし/おまえ」がいるから「五感」があるのではなく、「五感」があるから「わたし/おまえ」が存在しうるのである。
 こんな「分離」(整理)などせずに、「わたし/おまえ」と「五感」は同じもの、区別してはダメ、と言ってしまった方が簡単かもしれない。
 別なことばで言えば「わたし即おまえ即五感」。この「即」の認識が、ここにはある。
 これは、さらに、こう展開していく。

このミツバチ とまれ
このミツバチ とまれ
---仮に、清らかな水密に、われらが魅せられ
   棲みついてしまったとしても---。
にわかに 信じがたい気配を
けだるい午後の 水蜜桃のにおいのなかにみつけて
わたしは にこりとするだろう
しきりに ミツバチがささやきはじめる
秘められた 果肉の爛熟のなかに
おまえは こそりとミツバチと同棲する

 片山の絵がどういうものか知らないが、私は水蜜桃をかじっている少年の絵を思い浮かべる。石毛は、その水蜜桃からミツバチが飛び出してくるように書いているが、私は、逆に少年の口から(肉体から)ミツバチが飛び出し水蜜桃に食らいついている(とまっている)絵を想像した。「わたし/おまえ」は水蜜桃を食べているのではない。「わたし/おまえ」はミツバチになって水蜜桃を食べている。
 「わたし即おまえ即ミツバチ」。そしてこれはさらに「わたし即おまえ即ミツバチ即水蜜桃」「腐っている即清澄」へとも展開する。個別の存在、あるいは状態は消え「即」だけがのこる。
 私の想像は間違っているだろう。
 しかし、間違いのなかにだけある「ほんとう」というものもある。これを「即」ということばで、昔の日本語(あるいは、中国語?)はあらわした。
 
 と、ここまで、ことばを動かしてきて。
 こういうことは、石毛の詩について触れたときに書いたことはなかったかもしれないが、過去に書いた記憶があるなあ、と思い出す。もしかすると、そのことは石毛につながっていたのかもしれない、というようなことを、ふと思うのだ。
 この「即」を「ミツバチ」と言いなおせば、私が、いま石毛の詩を読んでいる気持ちと、重なる。「この即 とまれ」と言いたい感じ。

 


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