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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『続続・高橋睦郎詩集』(5)

2015-03-01 09:26:43 | 詩集
高橋睦郎『続続・高橋睦郎詩集』(5)(思潮社、2015年01月15日発行)

 「生」という章の最初の作品「雑草の研究」。

「雑草植物の世界では
つねに生存競争がおこなわれている
とくに自分の体から他の植物に
害を与える物質を出している
植物があるらしい」
謄写版刷りの藁半紙のレポートに
こう記した中学生のきみは まだ
植物の霊魂について何も知らなかった
植物の霊魂が霊体から出している
霊的物質について知らなかった

 ここには何が書いてあるのだろう。鍵括弧にくくられた「レポート」は事実なのか。ほんとうに、そう書いた「中学生のきみ」はいたのか。
 私は「いない(いなかった)」と思う。ここに書かれていることは、高橋がつくりだしたことば、ことばの運動である。「謄写版刷りの藁半紙」という、私の世代にはなつかしい「もの」さえ、実際にそのレポートが書かれていた証拠にはならない。わかるのは、「謄写版刷りの藁半紙」という「もの」を書くことで、高橋は、これがいまのことではないと言おうとしているということだけだ。いまではなく、過去。それは「知らなかった」と過去形の動詞によって強調されている。言いなおされている。
 そして、その「知らなかった(過去)」を反動(?)のように利用して「植物の霊魂」「霊体」「霊的物質」というものが指し示される。それはほんとうに存在するものかどうか、私は知らない。(私は、「霊魂」ということばがあることは知っているが、そのものが存在するとは考えたことがない。)
 この詩からわかることは、レポートを書いた「中学生のきみ」は「植物の霊魂」を知らなかった。つまり中学生にとっては植物霊魂は存在しなかった、ということだが、その中学生にとって存在しないはずのものを、高橋は存在していると言い換えてことばを動かしていく。存在しないものを、存在させるために、ことばを動かしていく。「存在する」ということを「指し示す」のである。「ある」とは言わずに「中学生」が「知らなかった」という否定形の形で、存在を「指し示す」。証明ではない。もちろん実証でもない。「中学生」が知らなかったということは、そのまま「霊魂が存在した」という証明にはならないはずなのに、「中学生」は知らないが、私(高橋)は知っているという具合の、指し示し方をする。ここからはもう「事実」であるかどうか、「霊魂」が「実体」であるかどうかは関係がない。「ことば」がそれを「実体」とした語るかどうか、「ことば」がそれを「実体」にするかどうかが問題である。つまり、そのあと、何を、どこまで「ことば」で指し示すことができる。
 高橋は「指し示す」という動きを繰り返す。

 「それは私ではない
 弟を殺したのは私の霊魂です
 だから 私をではなく私の霊魂を
 罰していただきたい 私には
 罪はないのです」
 と ある犯罪者は訴えている
 実像としての人間をすこしずれて
 人間の霊魂がある というのなら
 セイタカアワダチソウをすこしずれて
 セイタカアワダチソウの霊魂がある

 「植物の霊魂」の「存在」を、どう証明するか。
 高橋は、とても奇妙なことをしている。「植物」には直接触れない。「霊魂」ということばが、どんなふうにつかわれているか。それを「引用」する。他人のことばから「引用」する。高橋は語られた「ことば」、存在してしまった「ことば」を事実としているのか。すこし違う。かなり違う。
 犯罪者は「霊魂」を「自分の実像」とは別個の存在であると主張している。自分とは「ずれている」ものとして「霊魂」を指し示した。「ことば」によって、「ある」と言った。犯罪者の主張したことは別な言い方をすれば「二つの自己」の存在の主張。高橋はその「ふたつ」を「ずれ」としてつかみなおしている。
 その「ずれ」はことばによって存在するし、その存在した「ずれ」によって「事実」を別角度から「ずらして」見ることができる、「ずらして」指し示すことができる。その「ずらした」指し示し方のなかに、もうひとつの「事実」がある。「ずらさない」かぎり見えない事実がある。その「指し示し方」を借りて、高橋は急いたセイタカアワダチソウの「霊魂」があると言いなおす。犯罪者が言ったことばを「事実」として借りるのではなく、ことばの動かし方(技法)として借用し、そのことばの運動を借りて、別の「事実」をつくりだしていく。
 犯罪者の「霊魂」ということばのつかい方、その「指し示し方」を利用して、高橋はセイタカアワダチソウに霊魂があると主張する。このことばの運動は危うい。犯罪者の「指し示し方」に間違いがあれば、そこで語られることは「無効」であるはずだからだ。しかし、高橋はそういうことは問題にしない。「指し示す」という「動詞」があるかぎり、その「動詞(運動)」を人間は反復できるからである。「動詞」を反復する、実行する--そうするとそこに「肉体」が動いたという事実が生まれ、「ずれ」という事実が生まれ、それが「霊魂がある」という「仮定(?)」を「事実」にしてしまう。「客観的な事実」ではなく、そう主張するひとの「主観的事実」になる。「ずれ」が見える人の「事実」になる。ことばにする、声に出すということで、それは「肉体的事実」にもなる。そして、そのことば(声)は、そのまま「ことばの肉体」となって、さらに動いていく。ことばが独自に「論理」の可能性を指し示す。

 セイタカアワダチソウの霊魂の行為は
 しかし セイタカアワダチソウ自身に
 たしかな影響を与えずにはおかない
 弟を殺した犯罪者の霊魂の行為は
 犯罪者自身を絞首台に立たしめる

 セイダカアワダチソウの霊魂の行為、影響は、ここではまだ書かれていないが、行為が影響を与えるということはすべての存在に当てはまると仮定できる。動詞(行為)はかならずその「肉体」に影響する。弟を殺したのが「霊魂」だとしても、「霊魂」には「肉体」がないので、それは現実の「肉体」に跳ね返ってくる。そういう論理(行動の基準/指し示し方)が現実にあるのだから。植物と霊魂の関係も同じはずだと、ことばの肉体は動いていく。
 犯罪者の「霊魂」が犯罪者を絞首台に立たせたように(死に至らしめたように)、セイタカアワダチソウの「霊魂」がセイタカアワダチソウを死に至らしめる。「絞首台に立たしめる」という比喩のなかへセイタカアワダチソウを追い込む。その比喩でとらえ直す。
 三連目で高橋は言いなおしている。

セイタカアワダチソウの霊魂をずれて
揺れているセイタカアワダチソウの群落を
押し分け 人間の世界に出て行ったきみには
すこしずれて 揺れている霊魂があったはずだ
同じレポートにつぎのように記したのは
きみか それともきみの霊魂だったか
「去年セイタカアワダチソウの
目立っていたところは 今年
ずっと数が減っている 他の植物に
害を与える物質は 同時に自分を
滅ぼしていくのかもしれない」

 セイタカアワダチソウはいったんはびこったあと、その場を別の植物に譲っていく。土壌の痩せた土地に群生し、土地を肥やして別の場所へ動いていく、と言われるが、これを犯罪者の霊魂、自滅という動きに重ね合わせるという指し示し方で描いている。
 これはもちろん高橋のことばの運動であって、中学生のことばの運動(ことばの肉体)ではない。高橋は、それを中学生のことばを借りて書いている。途中に犯罪者のことばを借りたように、最後も、他人のことばを借りて、それを高橋のことばと見分けのつかないものにしている。
 高橋は「同じレポートにつぎのように記したのは/きみか それともきみの霊魂だったか」と書いているが、それを書いたのは高橋の「霊魂」、あるいは「ことばの肉体の運動」だったかもしれない。
 「いま/ここ」に一篇のレポートがあるとして、その「事実」(客観的現象)とは別に「レポートの霊魂」というものもあるかもしれない。あるいは、それを読む高橋とは別に「高橋の霊魂」というものがあるかもしれない。一篇のレポートを読むとき、何が動くのか。「レポートの霊魂」に刺戟されて「高橋の霊魂」が動くとき、それは「一致」するのか、「ずれ」るのか。「ずれ」ることで「一致」してしまうのか。わからないが、そういうことが錯綜しながら、「いま/ここ」にないものを、「ことば」が「いま/ここ」に出現させる。「ことば」といっしょに「いま/ここ」にないものが、あらわれてくる。
 そういう「指し示し」のことばの動きがある。

 書いていることが、だんだん重複し、往復し、整理するのがめんどうになる。端折って書く。
 高橋の詩は、「いま/ここ」にある「実体」を描いているわけではない。その存在が「いま/ここ」にあらわれてくるときの動き方(認識のされ方/無の状態からことばによって結晶してくるときの動き方/ことばの指し示し方)をつかみとり、その指し示し方を拡大する。指し示すのことばの運動の可能性、ことばの射程を、「ことばの肉体」として実践している。
 「実体」ではなく、「ことばの動き方」に出会う--それが高橋の詩である。


続続・高橋睦郎詩集 (現代詩文庫)
高橋 睦郎
思潮社

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