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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ノーマン・ジュイソン監督「夜の大捜査線」(★★★★)

2011-05-08 22:18:28 | 午前十時の映画祭
監督 ノーマン・ジュイソン 出演 シドニー・ポワチエ、ロッド・スタイガー

 1967年の製作。演技の質がいまの映画とは違うなあ。感情の動き、表情の動きがずいぶん抑制されている。それが逆に「偏見」の強さを感じさせるから不思議だ。ロッド・スタイガーが「おれがどれだけ我慢して話しているかわかるか」というようなことをシドニー・ポワチエに語るシーンがとても象徴的だ。
 しかし、こんな損な役をロッド・スタイガーはよくやったなあ。演じ方次第では、ロッド・スタイガー自身が黒人差別の代表者みたいになってしまう。キャリアに傷がつくというより、人間性を誤解されかねないね。
 でも、うまい。
 シドニー・ポワチエをアフリカ系であるというだけで平気で逮捕していたのだが、だんだん刑事として優れていることに気がつく。「職業人」として尊敬するようになる。そのロッド・スタイガーがシドニー・ポワチエを自分の家に招きいれ、「不眠症」について語るシーンがとてもいい。ほんものの「親友」になったようなうちとけ方である。
 ところが、未婚であること、子供がいないこと、生活にさびしさが付きまとうことなどを話しているうちに、態度ががらりとかわる。「あわれみ」は受けたくないのだ。同情されたくないのだ。こころを通いあわせても、少しでも自分の方が「劣っている」という感じがしのびこむと、我慢できなくなる。ロッド・スタイガーが「許せる」のは「対等」までなのである。
 と、まあ、ほんとうにどうしようもない人間なのだか、このどうしようもなさを、ひとなつっこい顔と、メタボの肉体で「どうしようもない、だらしない」という印象に収め込んでしまう。(あ、メタボ体形のひと、ごめんあさいね。)
そして、それと同じように、良質な部分(他人の優れている点は優れていると、素早く認める、偏見を捨てる部分)を、さーっと見せる。強調せずに、やはり肉体に隠して、動かないこと(いわゆる演技をしないこと、突っ立っていること)で見せてしまう。農場経営者がシドニー・ポワチエを怒りにかられて殴り、反射的にシドニー・ポワチエが殴り返すシーン。ストーリーの展開上も、「動かない」という設定なのだが、その動きのなさがとてもいい。この殴り合いのあと、農場経営者が「お前は、かわった。以前のお前なら、すぐシドニー・ポワチエを射殺していた。正当防衛を理由に」というシーンがすごい。あ、おれは変わったんだと、驚くように自分自身を見つめている、内面を見つめている――それが素晴らしい。
こういうシーン、演技が印象に残るのは、全体のアクション(表情)が抑制されているためだ。今のように、誰もが表情で演技を競うようになると、ロッド・スタイガーの演技は、物足りなくなってしまうと思う。
(「午前10時の映画祭」青シリーズ14本目、天神東宝4、05月07日)


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Unknown (あや)
2011-05-08 23:04:24
なんだか、詩のときの文章とは違いますね。楽しそうですね。
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映像 (谷内)
2011-05-09 09:06:41
詩を読むときはことばを追いかけ、映画を見るときは映像を追いかけているので、私の感想のことばの動きはたしかに違ってきますね。
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