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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『百枕』(2)

2010-08-02 00:00:00 | 高橋睦郎『百枕』
高橋睦郎『百枕』(2)(書肆山田りぶるどるしおる、2010年07月10日発行)

 「長枕--八月」。冒頭の句。

汗臭き鼾累々長枕

 「長枕」は文字通り長い枕で、ひとつを複数でつかうのだろう。どうしてもエロチックな印象がある。それが「汗臭き鼾累々」だと、そこから女のにおいが消えてしまう。男だけの、それはそれでエロチックな暴走もありそうな感じである。
 その暴走を高橋は2句目で、一気に洗い流す。

夏の夜の短き夢を長枕

 「短き夢」、その「短き」がとてもいい。そこでおこなわれる性愛はあくまでセックスであり、愛とは無縁のもの。「愛」の長さをもたぬもの。「現実」にはなりえない「夢」。「短い」夢と「長い」枕。この出会いが、さっぱりしている。
 高橋がエッセイで書いているが、いわゆる「若者宿」の、一夏の(一晩の)できごとである。この「若者宿」を高橋は、海辺の集落のものと設定して、海を、漁師を、登場させ、ことばを動かしていく。
 その終わりから2番目の句。

百物語に百クの枕や更けて雨

 ふいに登場する「雨」が、とてもおもしろい。「百クの枕や」と、「百」を突然「ひゃく」と読ませているが、その音の変化と、気候の変化、雨が降りはじめたという変化が呼応していて、気分が一新する。
 若者宿の性愛など、ほんとうに夢となって遠くなる。

 反歌(のような句--以後、反句、と書いていこうかな……。)

土用波砂の枕を崩しては

 「長枕」が「砂の枕」にかわっている。「若者宿」の長枕は、それこそ丸太一本の長枕だったかもしれない。それは砂の枕と違って崩れない。だからこそ(というのは変ないい方かもしれないけれど)、一晩の性愛はの「愛」は崩れさり、単なる性の暴走となって、夢のなかへ消える。消えても、「枕」が証拠として残るから、それはそれでいいのだ。ところが、「砂枕」となると、波が崩してしまえば「証拠」がのこらない。(あるいは、雨が崩してしまうということもあるかもしれない。)こういうとき、ことばが求められる。「もの」が消えてしまっても、残りつづける「ことば」。そして、それは一瞬の暴走だった性の戯れを、「愛」として引き止める。「愛」として、それをとどめておきたい「夢」が、崩れていくもの、消えていくもののなかにある。
 あ、なんだか、「性愛」よりも、こっちの未練(?)の方がエロチックかなあ……。



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高橋 睦郎
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