詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小川三郎『忘れられるためのメソッド』

2024-01-06 22:00:45 | 詩集

 

小川三郎『忘れられるためのメソッド』(七月堂、2023年11月16日発行)

 「もの思う葦」に

仮に人間だったとしたら
座っているのと走っているのとでは
どちらがいいだろうか。

という行がある。馬と人間とどちらがいいか、という設問を受けての展開なのだが、私はこの「仮に」につまずいた。このあと「仮に走っているのだったとしたら」「仮に裸だったとしたら」とさらに展開するのだが、この繰り返しもおもしろい。なぜ、小川は繰り返したのか。
 何か、強引なものがある。「むりやり」がある。
 だいたい小川は人間なのだから「仮に人間だったとしたら」ということば自体にむりがある。「仮に馬だったとしたら」ならば、まあ、自然だ。
 この不自然さの中に、どうしても書かなければならない何かがある。「馬」がある生き方の「象徴/比喩」だと言う前に、「仮に」が「比喩」なのである。「比喩」とはある存在を別のことばで言いなおしたときの、その「ことば」ではなく、「ことば」にした瞬間に、「ことば」の背後に隠れた存在を、隠したはずなのにより強烈に押し出すための運動なのである。
 より強烈に、その存在が「世界のすべて」であるかのように存在させるために、いったん別な「ことば」で隠すというのが比喩の運動である。
 だから、考えよう。「仮に」は何を強烈に噴出させるために準備された「比喩」なのであるかを。

 「仮に」に似たことばというか、同じような運動をすることばに「別に」がある。「重要性」という詩の中に出てくる。

そこの花瓶に生けてある花が
本物かどうかなんて
別にどうでもいいことだ

 この「別に」もなくても意味は同じ。そして、この「別に」も「仮に」と同じようにこの詩の中で繰り返される。そして、何かしら強引に意識を動かすように働く。
 この「重要性」には、「仮に」「別に」の対局(?)にあるものを「本物」と読んでいるように私には感じられる。「本物」がある、しかし、一方「本物」でもないものもある。詩は、多分、その「本物ではない」と思われているものこそ「本物である」ということばの運動かもしれない。
 「本物」を別なことばで、どう言うか。小川は、とても丁寧な詩人なのだろう。自分自身の思考に対して丁寧にことばを動かす人間なのだろうと思いながら、私は詩を読み、その丁寧を裏付ける行に出会った。
 「樹上」という作品。

ならばもう私たちには
ほんとうのことなど
必要なかったはずなのに。

 「本物」と「ほんとう」はどう違うか。「本物」は「私(小川)」とは無関係に存在する。「本物の花」は誰にとっても「本物」である。しかし、「造花」が「私(小川)」にとって「ほんとうの花」であるということもある。
 誰かから「造花」をもらう。それは「造花」だが、「私にとってはほんとうの花だ」と言うとき、そこには「こころ」が含まれる。「こころ」が含まれるとき、それは「ほんとう」なのであり、その「ほんとう」は他人から見れば間違っているかもしれないが、そういう他人の客観的(?)判断など、どうでもいいのだ。
 先に引用した「仮に」も「別に」も、「こころ」が発したことばである。「仮に」理性の運動として、こう考えることができたとしても、あるいは理性はそれを「別に」してそう考えるかもしれないが……。「こころ」はそういう「理性」の運動を拒絶して、「こころの求めるほんとう」をとらえるものである。ここに「正直」がある。

 

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、googlemeetを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(googlemeetかskype使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
1回30分、1000円。(長い詩の場合は60分まで延長、2000円)
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。

お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中井久夫訳『現代ギリシャ詩... | トップ | 高橋順子『泣魚句集』 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小川三郎「忘れられるためのメソッド (大井川賢治)
2024-04-12 19:27:53
谷内氏の評論に、こんな文がある。/「こころ」はーーーーー「こころの求めるほんとう」をとらえるものである。ここに「正直」がある/。分かりやすい文章で、すごく三木清の雰囲気を感じました。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

詩集」カテゴリの最新記事