「いつの日かの休日」。この詩は八行。とても短い。しかも「空に雲がいくつか。」のように「○○に○○」という定型でことばがつづいていく。しかし、終わりから二行目で突然この定型が破られる。
一枚の木の葉がきらり光る。
一枚の木の葉に光がきらり、と訳すことができるはずである。しかし中井は、ここであえて定型を破っている。それは、その直前の「詩に言葉。」がとても強烈だからかもしれない。
直前の行でつまずく。そこから立ち直るためには「 一枚の木の葉に光がきらり」ではだめなのである。何かしら、動詞が必要なのだ。肉体を動かすことばが必要なのだ。そしてそれは、直前の「詩に言葉。」にも動詞を補え、と読者に要求してくるのである。ほんとうに読ませたいのは「詩に言葉。」それをどう読むか(解釈するか)、「一枚の木の葉がきらり光る。」のように言いなおすことができるかと読者に問いかけてくる。
しかも、「詩の中で言葉がきらりと光る。」というような「まねごと」ではだめなのだ。これは中井が読者に向けて残した、重大な「宿題」である。