詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小池昌代『コルカタ』(6)

2010-05-11 00:00:00 | 詩集
小池昌代『コルカタ』(6)(思潮社、2010年03月15日発行)

 インドを旅行して、小池は、わたし「は」いる、ではなく、わたし「も」いる、という「声」を出す人間に生まれ変わっている。そのとき、とてもおもしろいことが起きている。小池は日本から、一葉、ウルフ、石牟礼、泰淳、タゴールの「ことば」をもってきた。その「ことば」が消えているのだ。小池は、もう「一葉、ウルフ、石牟礼、泰淳、タゴール」とは言わないのだ。
 わたし「も」いる、といいはじめたとき、実は小池は、わたし「は」いると言っていることになる。自分の声ではっきりと語りはじめていることになる。
 その「声」に、一葉、ウルフ、石牟礼、泰淳、タゴールがたとえまじっていたとしても、それは一葉、ウルフ、石牟礼、泰淳、タゴールではなくて、むしろ、小池がいまいるところ、「インド」のひとの「声」と共通するものにかわってしまっている。
 「決心」は、そんなふうに生まれ変わった小池の、もうひとつの姿をあらわしている。

ドアは二つ
どちらにする?

奥のほうから 開けてみる
とーんと 指先で ドアを つついて
下と脇に 白い陶器
穴がない 困ったな

手前を開けると こちらには穴がある
どこから見ても 便器である
ただ そのなかに
こんもりと 山をなしたる排泄物
その汚れ方、量、匂い、危険性、すべてにおいて、最大級といってよいものだ
周囲には うなる ハエや蚊の群れ

しかし躊躇は 一瞬だけ
すばやく下半身をむきだしにすると
まるでものすごく 遠いものに
橋を渡すような決心で
右と左に 足をかけ しゃがみこみ
わたしは
穴の上に 自分をさらす
長いような短い 数秒が
ぽたりぽたり
解かれるように ゆっくりと すぎていく

すごいです! こんなところで よくやりましたね
ドアを開けると
待っていてくれた後藤さんが褒めてくれた(そのひとも 山を見たのだ)
たいしたことないわよ
そう言いながら
わたしは すこし でなく だいぶ 得意になる
ただ おしっこを したにすぎないのに

 一葉やウルフ、タゴールのことばのかわりに、「後藤さん」の声が語りかけてくる。「すごいです! こんなところで よくやりましたね」。それと同じような会話を小池が日本でもしたことがあるかどうか。たぶん、ない。だいたい、同じ状況がないのだから、日本では、そんなふうにことばは動かない。
 そして、それに対して「たいしたことないわよ」と答える。その「声」。
 そのとき、小池は「日本人」なのだろうか。

 わたし「は」いる、ではなく、わたし「も」いる--そう言うとき、わたしも「いる」は、わたしもインド人で「ある」ということなのかもしれない。
 わたしは、いま、ここにいる。インドにいる。そしてインド人と同じトイレをつかっている。そのとき、わたしは「すごいです! こんなところで よくやりましたね」と言う「日本人」ではなく、「たいしたことないわよ」とインド人の「声」で答えるのである。
 そして、それはインド人で「ある」を超えて--つまり、超えないことには、日本人で「ある」ことと矛盾してしまうからなのだが、人間で「ある」になる。
 そこには人種にくくられた国民がいるのではなく、「いのち」をかかえて生きている「人間」がいるだけである。その「人間」の「いのち」の次元で、小池はインド人と出会っている。
 ただ、汚いトイレでおしっこをしただけで。--たしかに、それは「だだ」にすぎない。けれど、その「ただ」と呼ばれている「おしっこ」をするということは、人間ならだれでもしなければならないことのひとつである。「肉体」がそうすることを求めている。「肉体」が求めていることに「ただ」というものはない。
 「頭」が、何かと比較して、その「肉体」の欲求を「ただ」と呼んでいるだけにすぎない。
 小池は、また一歩、インドの内部へ入り込んだのである。生まれ変わったのである。
 --おおげさだろうか。おおげさかもしれない。けれど、同行の「後藤さん」、小池の行動を直接見ているひとが「すごいです!」と感嘆するのだから、やはり生まれ変わったのである。

わたしは すこし でなく だいぶ 得意になる

 自慢話(?)というのは、私はあまり信用しないけれど、こういう自慢話は信じるなあ。いいなあ、と思う。私は小池という人間を直接は知らないが、こういう自慢話をする正直なひとは好きだなあ。

 この詩集は、竹田朔歩の『鳥が啼くか π』が95点以上の詩集であるのに対して、もしかすると70点くらいの詩集かもしれない。でもねえ。その70点であっても、私は、小池の詩集の方が好きなのだ。
 好きになってしまうと、それ以外のことはどうでもよくなってしまう。



ことば汁
小池 昌代
中央公論新社

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