詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アレクサンダー・ペイン監督「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」(★★★)

2024-06-24 16:05:08 | 映画

アレクサンダー・ペイン監督「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」(★★★)(2024年06月24日、キノシネマ天神・スクリーン3)

監督 アレクサンダー・ペイン 出演 ポール・ジアマッティ、ダバイン・ジョイ・ランドルフ、ドミニク・セッサ

 この映画は100点満点で採点すると102点の映画である。100点ではもの足りず、プラスアルファをつけたくなる。やっていることはすべてわかる。どこにも「欠点」はない。完璧。完璧というだけではおさまらない。しかし、★は三個。100点を上回るのだけれど、手放しでは称賛できない。
 どういうことかというと。
 映画が始まってすぐ、あっと息を飲む。そして、たぶん2秒か3秒後に、この映画のすべてがわかる。
 映画の最初は会社のトレードマーク。くすんでいる。ぼやけている。ここで、あれっと思う。そして、それに追い打ちをかけるのが、フィルム上映のときにあった、ノイズ。古くなった映画(いわゆる二番館で上映する映画)のフィルムは、すりへって傷ついている。画面にも雨が降るし、ノイズがまじり音は不鮮明。最初のトレードマークのすり切れた感じは、この「二番館上映」という印象を蘇らせ、ノイズはそれを決定的にする。
 これが、すべて。(で、102点の「+2点」は、この映画の本編が始まる前の、傷、ノイズに対する+アルファ、ということ。)
 映画は、「二番館」が華やかだった(?)半世紀前を思い出させ、そして、そこに描かれるのも半世紀前の世界である。雪の降り方(除雪の仕方)からして1970年代である。大学、寄宿舎の、木の色合い、光も何もかもが70年代。ああ、なつかしい。そこで展開される「青春」、さらに「大人の苦悩」、そして、その「交流」も70年代そのもの。ダスティン・ホフマンが主演した「小さな巨人」までもが、映画のなかの映画として登場する。
 これじゃあ、感動せずにはいられない。自分の「青春」に重ね合わせて、何もかもに納得し、こころがふるえてしまう。
 でも、というか、だからこそ、私は一方で、いやな気持ちになる。
 なぜ、いま、この映画? 70年代の、アメリカの青春、その周辺の光と影? いまも同じ問題が、同じ形で存在する? しないと思う。ということは、そこに描かれている「未来」というか「決断」も、いまでは「無効」ということだろう。人間の「生き方(正直)」が変わらないものだとしても、そして、そういう古くならないもののなかにこそ新しいものがあるのだとしても(まるで、小津安二郎の「宗方姉妹」の田中絹代のせりふみたいだが)、70年代を舞台にして描いたのでは、「現在の映画」とはいえないだろう。「現在」に対して何かを語りかけることにはならないだろう。
 単に、「私はこんなに完璧に映画をつくることができる」という監督の声が聞こえてくるだけである。それに対して「はい完璧です。完璧以上です」という以外にないのである。
 思い出すのは、「スティング」(ジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマン+ポール・ニューマン主演)である。あの映画も「完璧」だった。しかし、やはり、なぜ、「現在」この映画を、こんなふうに撮るのか、という疑問が残った。
 で。
 「ホールドオーバーズ」と「スティング」を並べてみたとき、そこに「共通項」があることもわかる。どちらも「現在」を舞台にしているのではなく、半世紀ほど前を舞台にしている。つまり、その登場人物たちは、いずれの場合も「映画に描かれている時代」を直接は知らず、完全に「架空」のものとして向き合うことができる。映画のなかで何が起きようと(映画のなかで、どんな演技をしようと)、それは「現在の彼ら」とは無関係である。完璧な「フィクション」として演じることができる。「あんな演技、あんな表情は、いまとは無関係である」という批判は、誰にも通じない。だって、映画のなかの世界が「いま」ではなく「50年前」という過去なのだから。
 この映画が「スティング」よりも始末に悪いのは、「完璧なフィクション」であるにもかかわらず、そこに「人間性」をからませて、観客を感動させようとしているからである。
 これでは、だめ、と私は書かずにはいられない。
 これは、ある意味では「あんのこと」(入江悠監督、河合優実主演)の対極にある映画なのである。「あんのこと」は、とても感想を書く気持ちになれないほど、暗い映画、登場人物の誰にも共感できない映画なのだが、そこには映画を通して現在と関わり合いたいという欲望が、むき出しの形で存在している。そういう「むき出しの欲望」がないからこそ、「ホールドオーバーズ」は「完璧」なまま、映画を終わることができるのだ。
 いまは、もう見ることのなくなった「THE END」の文字に、私は笑い出してしまった。


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