詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇448)Obra, Juancarlos Jimenez Sastre

2024-06-23 23:34:25 | estoy loco por espana

Obra, Juancarlos Jimenez Sastre
SIN TÍTULO
ESCULTURA EN HIERRO 

 Este hierro es un árbol que crece día a día, absorbiendo nutrientes de la piedra a medida que la muerde. Y ese árbol no sólo crece, sino que  llega al cielo, sus raíces agarran las piedras y nunca las sueltan, arrancando las piedras de la tierra y elevándolas hacia el cielo.
 Esta fantasía es imposible.
 Si el hierro, como un árbol, tiene sus raíces en la piedra, no puede volar. Sin embargo, si el hierro crece apuntando al cielo, su poder para alcanzar el cielo seguramente levantará la piedra.
 Este trabajo tiene una energía que te hace sentir así.

 この鉄は、石に食い込みながら、石のなかから養分を吸い上げ、日々大きくなっていく一本の木である。そして、その木は、ただ大きくなるだけではなく、天に届いたその鉄の木は、その根が石をつかんで放さず、石を地上から引き剥がし、天空に持ち上げていく。
 この空想は、あり得ない。
 鉄が木のように、石に根を張るなら、鉄は空を飛ぶことはできない。だが、空を目指して鉄が育つなら、その天へ伸びていく力は必ず石を持ち上げてしまうだろう。
 そう感じさせるエネルギーがこの作品にはある。

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Estoy Loco por España(番外篇447)Obra, Jesus Coyto Pablo

2024-06-23 17:51:15 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo
la serie "LA ZONA OSCURA" 

 -¿El negro en este cuadro era negro desde el principio? ¿O al principio el negro no existia aqui, sino habia un color diferente, y se volvió negro? Queria preguntar al color negro si satisface el deseo de un color que no existe aquí.
 -¿O el negro en este cuadro está tratando de convertirse en un color distinto al negro y está en proceso de dividirse en muchos colores? ¿El rojo que hay ahora seguirá siendo rojo? ¿Qué es el deseo de el rojo o el negro?
 -No hay objetividad en la interpretación. La intención del artista y la intención del espectador no son la misma, sin embargo, no pueden ser completamente diferentes. Solo hay un hecho que revela algo.
 -Lo que tú llamas hecho, yo lo llamo movimiento o proceso. Pero entonces, ¿es ese movimiento el del color? ¿O el del pintor o el del espectador?


 Tengo una conversación con el pintor en mi memoria, pero no sé qué palabras son mías y cuáles son las del artista.

 

 「この絵のなかの黒は、最初から黒だったのか。それとも、最初は別の色で、ここには存在しない色が黒を目指し、黒になったのか。そうやって新しく生まれた黒は、ここに存在しない色の欲望を満たしているのだろうか。」
 「あるいはこの絵のなかの黒は、黒以外の色になろうとして、いくつもの色に分裂している途中なのか。いまそこにある赤は、これからも赤でありつづけるのか。それは、いったい誰の欲望なのか。」
 「解釈には、客観性というものがない。画家の意図と、絵を見るものの意図は同じではない。しかし、完全に違ったものになることはできない。何を肯定し、何を否定しても、そこには何かを現わしてしまう事実がある。」
 「きみが事実と呼ぶものを、私は動きと呼ぶ。そのとき、しかし、その動きは、色のものなのか。あるいは画家の、あるいは絵を見るものの動きなのか。」


 私は記憶のなかで画家と会話をするのだが、どのことばが私のことばで、どのことばが画家のことばかわからない。

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こころは存在するか(37)

2024-06-23 12:15:34 | こころは存在するか

 和辻哲郎「尊皇思想とその伝統」のなかに、興味深い表現がある。記紀に書かれた神の異義について触れたものだが、記紀に登場する神は

絶対者をノエーマ的に把捉した意味での神ではなく、ノエーシス的な絶対者が己れを現わしきたる通路としての神なのである。

 ノエマ=思考によってとらえられた対象、ノエシス=思考作用、思考する運動という「理解」でいいのかどうか、「絶対者」が「ノエシス」と結びつけられていることに私は引きつけられる。和辻は「思考する、その動き」そのものが「絶対」であり、「思考された対象(存在)」を「絶対」とは結びつけていない。
 生きているとき、もし「絶対」というものがあるとすれば、「思考する」という「運動」が絶対なのである。

 これは、もしかすると、和辻批判に対する和辻の反論とも言えるかもしれない。

 和辻の提出している「結論」は「間違っている」かもしれない。つまり「絶対」ではないかもしれない。しかし、その「結論」までの過程で動いている動いていることばの、その「動く」ということは「絶対」なのである。そこには「必然」がある。もちろんそれは「和辻の必然」であって、ほかのひとにとっては必然ではないかもしれない。しかし、そういうことは書いているひと(考えているひと)にとっては重要ではない。「考えること=私」であること、それが基本である。
 「考える」という運動を放棄して、「他人の考え/考えた結果(結論)」を並べてみても、そこには「考える」ということの絶対は存在しないのである。

 私の書いていることは、「間違っている」だろう。私はいつも「誤読」しかしない。しかし、その「誤読」は、私にとっては「必然」なのである。「誤読する」ために読むのであって、「結論」を知るために読むのではない。「結論」というのは、いつも「他人のことば」のなかには存在しない。もちろん「私の結論」のなかにも存在しない。私は「結論」めいたものがあらわれてしまったら、次には、それを壊すために書く。
 和辻のことばを借りて言えば「通路」であることが重要なのであって、「通路」のむこうに待っているのは「空」なのだ。

 

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