詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

なんどう照子『白と黒』

2023-01-25 15:39:30 | 詩集

 

なんどう照子『白と黒』(土曜美術社出版販売、2022年06月05日発行)

 なんどう照子『白と黒』の「くじらの森」。

足下ばかり見ている
人生だった
疲れすぎて
夕方の空を
久しぶりに見上げると
そこには
風にちぎれる
雲と一緒に
空を泳ぐくじらが
遊んでいた
遠い山並みの向こうには
きっとあるのだろう
くじらが帰っていく森が

 なぜ「くじら」なのか。わからない。しかし、それがいい。なんどうには「くじら」である必要があったのだ。
 「空をゆくイワナ」には、鳥に狙われて食べられ、空をゆくイワナが描かれる。なぜ「イワナ」なのか。それは、やはりわからない。だから、そこには「真実」がある。

鳥とともに空になったわたしは
安堵のうちにさよならを言った

死者たちはいつもイワナだ
空を飛んでいったイワナだ

 この詩では「イワナ」とともに「鳥」と「空」も描かれている。「鳥とともに空になったわたし」ということばがあるが、「なる」という動詞がとても強い。「わたし(イワナ)」は鳥に食べられ、空を飛ぶ。そのとき、「わたし(イワナ)」は「鳥」でも「空」でもある。区別がつかない。それが「なる」ということ。
 中井久夫のことばでいえば「チューニング・イン」である。
 「あめ」では、「あめ」になるのか、「おかあさん」になるのか、迎えにきてもらえなかった「こども」になるのか。やはり、区別がない。全部になってしまう。それぞれが、自分でありながら自分ではなくなる。そのときあらわれる世界がある。たぶん、その「世界」になる。そのために、ことばがある。ことばは「存在」を越境していく。

 


**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、ネット会議でお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★ネット会議講座(skypeかgooglemeet使用)★
随時受け付け。ただし、予約制。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

 

 

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Estoy Loco por España(番外篇281)Obra, Belén Díaz Bustamante

2023-01-25 10:39:35 | estoy loco por espana

Obra, Belén Díaz Bustamante

 En cuanto vi la obra de Belén me quedé desconcertado. Hay una extraña perfección. Es conmovedor. Está en movimiento, buscando la forma más hemosa. Pero es tan completa que sólo se ve belleza desde todos los ángulos.   Es similar a cómo Nastassja Kinski es bella desde todos los ángulos.
 Me quedé aún más perplejo cuando vi la obra colocada al aire libre.
 ¿Es la misma obra que la primera foto? ¿Es sólo una colocación diferente, un ángulo diferente en el que se tomó la foto?
 No, lo que me desconcertó aún más.
 Ya no sé qué colocación o ángulo me gusta más. No puedo decir exactamente hacia dónde me siento atraído. Cuanto más los miro, menos sé cuál me gusta.
 ¿Puede existir tanta belleza?
 No importa cómo lo coloques, no se cae. Es como si los tres marcos rectangulares cambiaran ligeramente de posición cada vez que se colocan de forma diferente, y luego se reequilibraran. Los humanos y los animales pueden hacerlo. La obra de Belén, sin embargo, es de hierro. Los tres marcos están fijos en alguna parte. Y, sin embargo, parecen moverse libremente, como si se moviera la "rueda de la sabiduría".
 De hecho, puede haber algún secreto extraordinario que haga que esta obra se mueva. En otras palabras, podría ignorar las instrucciones de Belén y modificar la posición del marco a mi gusto.
 Quiero tocarlo. Quiero moverlo. ¿Cómo reaccionaría entonces la obra? Quiero tocar esta obra como toco a Nastassja Kinski. ¿Entonces cambiará la forma de la obra? En realidad no, pero yo mismo probablemente cambiaré.
 Es peligroso.
 Esta belleza perfecta es muy peligrosa.

 Belénの作品を見た瞬間、私は困惑した。不思議な完璧さがある。動いている。動きながら、いちばん美しく見える形を探している。しかし、完璧すぎて、どこから見ていいのかわからない。ナスターシャ・キンスキーを見て、どの動きを、角度から見るのがいちばん美人か判断するのに迷ってしまうのと同じだ。
 屋外に置かれた作品を見たときは、さらに困惑した。
 これは最初の写真と同じ作品なのか。置き方、写真を撮るときの角度を変えただけのものなのか。
 いや、さらに困ったことは。
 私は、どの置き方、どの角度がいちばん好きなのか分からなくなってしまったことだ。どこに引きつけられているのか、それを明確に言うことができないのだ。見れば見るほど、わからなくなる。
 こんな美しさが存在していいのか。
 どんな置き方をしても倒れない。それはまるで置き方を変えるたびに、三つの四角い枠が位置を少しずつ変えてバランスを取り直しているような感じだ。人間なら、動物なら、そういうことはできる。しかし、Belen の作品は鉄である。三つの枠は、どこかで固定されている。それなのに「知恵の輪」が動くように自在に動いて見える。
 実際、何か、とんでもない秘密があって、この作品は動かせるのかもしれない。つまり、Belénが指示した通りの置き方、あるいは枠の位置を、私は自分で変更し、私の好きな形に変更できるのかもしれない。
 触ってみたい。動かしてみたい。そのとき、この作品は、どんな反応をするだろう。ナスターシャ・キンスキーに触ってみたい。思い通りに動かしてみたい、という欲望に似ているか。そのとき変わるのは、作品の形か。そうではなく、私自身が変わってしまうんだろうなあ。
 危険だ。
 この完璧な美しさは、とても危険だ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする