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無題

2011年05月21日 | Weblog
ゴールデンウイークの頭に宮城に行ったことは書きました。

実際に見た被災地は、あの時も携帯から投稿しましたが、
正直なところ言葉にならないものです。
少なくとも僕にとって、あの状況は言葉でどうこう説明できるような
ものじゃなかったです。

行く途中に感じたこと、行ってみて感じたことをつれづれに
書きたいと思います。

そもそも何で行きたくなったのかですが、
それは歌を唄ったり、こうやって文章を書いたりしている表現者として
実際に見てどう感じるのかということと、経営者として何を思うのか、
それが今後の自分にとってどう影響してくるのか、ということを肌で
直接感じたいというのがありました。

思い立ったその週末(ゴールデンウイークの前の週末)に行こうと
思いましたが、
「何か他のこと(観光など)と一緒なら行く」という奥方の発言を尊重し、
楽天の観戦を組み込みました。
だから野球観戦はあくまでもオマケです。

ボランティアという方法もありましたが、いろいろ調べたところ、
個人一般の受け入れは中止で、物資の持ち込みも大口以外は受け付けられない
とのことで断念しました。

行くことそのものが迷惑(例えば渋滞の原因)になるのが一番心配でしたが、
ゴールデンウイークの2日目に出たので東北道も空いてたし、現地に入っても
渋滞らしいものはなく、予定よりスムーズにいきました。

東北道では、福島の郡山を過ぎたあたりから道の破損を感じましたよね。
緊急補修のつぎはぎがあり、それが多少の段差になっているので運転していると
よくわかります。
これは宮城に入ると、つぎはぎが多くなり、更にガードレールが傾いていたりして
地震の爪あとをまず感じました。

東北道がいち早く復旧したのは、ここが東北にとって生命線だからですね。
新幹線はダメだし、国道や県道じゃ時間かかるから、東北道の復旧を急いだのも
分かります。

宮城に入って海沿いの高速、仙台南部有料道路から東部有料道路に入り、
松島方面に向かって走りました。

高速沿いの一面の畑に津波の痕跡が広がり、車がひっくり返ってたりして
津波の凄さを最初に感じたのはここでした。

予定よりスムーズにいったので松島に行くことにしました。
松島は点々とする島々が防波堤の役割をしてくれて大きな被害をまぬがれたんですね。
遊覧船も僕たちが行った前日から再開、地元の飲食店やお土産屋さんも元気に
オープンしていました。ただ、所々閉店したり、深い傷を負ってしまったお店もありました。

ここで少し遅めのお昼にしました。
それは携帯から投稿した通りです。

注文してすぐに地震があったんです。
これは東京で感じるものとは違いました。
目の前は海だし、津波の恐れもあるし、着いた途端に恐怖心が・・・。
結果的にこれは余震でしたけど、これは怖かったです。

松島では遊覧船には乗りませんでしたが、国宝の瑞巌寺を拝観。
本堂は大改装中で見れませんでしたが、その代わり350年間開帳されなかったという
本尊と伊達政宗の位牌を特別展で見ることが出来ました。
これはラッキーでしたね。

その後、ここでお土産を買いました。
その中の1軒のお店の店長さんかなぁ、家族でやってると思うんですけど、震災当初の
写真をレジに何枚か貼っていて、その時のことを説明してくれました。
ヘドロが一番ヤバかったと話してましたね。

その話っぷりが凄い明るいんですよ。
「もう対処の仕方が分かったから次来ても大丈夫だね、なんてみんなで話してるんですよ」

次来てもって・・・。
次来たらマズイでしょと思いつつも、彼らの強さというか逞しさを感じました。

松島を後にして運転してる時にその若い店長の彼の姿や言葉が胸に響きましてね、
彼に会えただけで来た甲斐あったなと思いましたよ。
ひとりだったら泣いてたと思う。
隣りに奥方がいたから遠慮してこらえてしまったけど、いま書いてて思い出しても
泣きそうですもんね。

芸能人とかが避難所行って逆に元気をもらったって言ったりしてるじゃないですか、
アレ、本当だと思いますよ。
僕は彼から元気をもらいましたし、人間のもつ逞しさをみた気がしました。

それから石巻に向かいました。
石巻は中村雅俊のふるさとってことで知ってましたが、まさかこんな形で来るとは
思いもしなかったです。

幹線道路から住宅街の中に入ってみました。

車が通れる分だけの道はあるのですが、あとはほぼ壊滅状態の町。
人もほとんどいなくて不気味な静寂に包まれていました。
アクセルはほとんど踏まずゆっくりでしたが運転してて怖かったです。
ここに入っちゃいけないんじゃないか、長くいちゃいけないんじゃないか、
両サイドから瓦礫が襲いかかって来るような雰囲気。
学校と体育館が見えて「避難所かな?」と思ってみたら、完全にやられてました。
自衛隊の人たちが1軒1軒チェックした【スミ】と【アリ】という印がまた
痛々しかったです。

それからまた移動して、だだっ広い畑と川を隔てた住宅街に。
道路が破損していて簡易的な橋がかけられていました。
交差点脇に車を停めて降りました。
今日の写真がここです。

持って来たお線香をここでたきました。
せめて線香だけでもと思い、両手を合わせました。

本当に立ち尽くすしか無かったです。
言葉も出ません。

住宅街をほんのちょっとだけ歩きました。
大きい船が傾き、運送会社の4トントラックは変形してました。

写真も何枚か撮ったのですが、帰ってから見てみると現場で見たものと写真が
違い過ぎてしまって・・・。
伝わりきらないと思うので、冒頭の写真のみにしました。

ここで日が暮れてしまったから仙台市内の宿に向かいました。

次の日の野球観戦での現実、少し離れた海沿いのところでの現実。
両方とも日常生活のひとコマ。
この現実のギャップに違和感を感じずにはいられませんでした。

ギャップといえば、被災地とのギャップがありすぎるのは永田町だなぁと思いました。
日本全体に政治に対する非難、批評が渦巻いていますが、あの現実を見ると政府の
対応に怒りを覚えます。

どうにかならんもんかなぁ・・・。



以上、風景の描写ばかりになってしまいましたが、こういう形でしか・・・。
文章力の無さ、表現力の無さを痛感します。

更に突っ込んで現地の様子を知りたい人は、誰かの現地レポを検索してみると
いいかも知れません。
プロのカメラマンが乗り込んで撮影したブログを見てみましたが、リアルな迫力が
ありましたから。
カメラマンとかルポライターとか記者とか、そういう人たちはどんどん現地入り
して自分なりの思いをまとめているでしょうからね。

あの震災から2ヶ月以上が過ぎて、少しずつ復旧、復興してきているようです。
TVでも2ヶ月後の今という形でどれだけ元に戻ったかを特集したりしてました。

ただ、僕が見た場所はしばらく時間がかかるんじゃないだろうかと感じました。
海が近いところだったし、今後住宅街として機能する土地なのかどうか、という点です。
政府の土地区分で危険地域みたいに指定されてしまったらもうダメですもんね。

何年か経ってまた行ってみたいです。
復活した町をこの目で確かめたいです。
松島の遊覧船にも乗りたいし・・・。

日常会話などでは、今書いたようなことをかいつまんで話したりしてます。
知り合いや友達に聞かれたら、可能であれば実際に行ってみるといいと話してます。
TVや新聞、雑誌などで見るものとはまた違ったものを感じると思うからです。

美味しい料理や買い物でお金を使ったりもいいと思います。
自然とそうなるんじゃないかなぁ。

今回行ってみて、自分自身の足元を強く見つめ直しました。
生きていること、生かされていることへの感謝。
今ある生活、暮らし、会社、仕事、趣味など自分を取り巻く環境。
守っていんだ!ということを強く思いました。







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