日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

親父の遺言

2010年08月31日 | 親父
今回の京都行きは、親父から頼まれていたことを実行するためでした。
もっと早くに行けば良かったのかも知れませんが・・・。

死んだら比叡山に骨を埋めてくれ、親父はそう言いました。

お袋と弟は直接聞いていないと言っていますが、僕は病室で聞いたので、
きっと2人きりの時に話したんでしょう。

そんなわけで、実家の仏壇には一片の骨がずっとありました。
それでも、それがあるだけで何となく心強い気がしていたのは確かです。

まぁ、そのまま置いておいても良かったし、別にいつでもいいかなぁと
思ったりもしましたが、やっぱり親父の最後の頼みだし、ずっと気にも
なっていたので、それが今回の京都行きになりました。

親父からの遺言の達成感と一抹の淋しさでちょっぴり泣けましたが、これで
親父もきっと喜んだことでしょう。


【線香一本分の骨に比叡山の四季折々を】


合掌






お墓参り

2010年05月16日 | 親父
遅ればせながら、墓前にて入籍の報告をする。

マコちゃん(親父の実妹)に「入籍のお祝いちょうだいよ~」と
頼んでおいたので、何らかの形で送ってくれると嬉しいなぁ(苦笑)


一周忌

2010年03月13日 | 親父
あれからちょうど一年が経ちました。

親父が死んでから、いや親父が入院してからいろんなことが目まぐるしく動き、
新しい出会いや再会というものがありました。

この一年は本当に風のように過ぎていったと思います。

親父の遺した課題をひとつづつクリアしていっては、また新しい課題と向き合う。
そんなことの繰り返しです。

親父の存在の大きさを改めて感じる日々。
居たら居たで、ケンカしたりムカついたりしたのでしょうが、やはり親父に相談
したいことはたくさんあります。

けれどそれはかなわないことなので、この一年そうだったように、多くの人の力を
借りて乗り越えていかなければならないのだと思います。

お墓に親戚一同が集まりました。
天気が良くて良かったです。


墓参り

2010年02月11日 | 親父
納骨してから毎月欠かさずのお墓参り。

来月は早いもので一周忌。

霊園事務所で予約を入れる。


いつかひょっこり帰ってきそうな感じもするが、
それはありえないことで・・・。

親父の存在の大きさを感じています。



月命日

2009年12月13日 | 親父
月命日ということで墓参り。

今年のお墓参りはこれで最後でした。
最近は寒かったせいか、先月23日にお供えした花が
まだ綺麗に残っていましたよ。

月命日ということじゃないかも知れませんが、親父が
生前親交のあった、元阪急ブレーブスの大橋穣さんから
お花が届きました。
喪中の葉書を見てくれたんだと思います。

来年は1周忌。
なんだかアッと言う間です。






1123

2009年11月23日 | 親父
11月23日は親父の誕生日。
生きてたら62才でした。

今月は月命日ではなく、この日にお墓参り。
いい天気で良かったです。

親父のエルグランドのナンバーは「1123」。
この車とナンバーをえらく気に入ってました。

ナンバーが「1123」だったばっかりに、
周りからもしばらく乗れば?などと言われ、
売りに出せず困ってたんですよね。
結局弟が自分のを売り、親父のを引き継いで
運転してます。

乗り心地はいいんだけど、燃費がなぁ・・・。


墓参り

2009年10月12日 | 親父
親父の月命日は13日ですが、ちょっと早めに昨日行きました。
墓前にていろいろ報告。


注文していたソファーが届く。
やっと我が家のリビングにソファーが♪
早速そのソファーで昼寝。




この連休は爽やかな秋晴れが続いて良かったです。





建築計画~本当の完成

2009年09月25日 | 親父
弟の誕生日が3月11日だったので親父が言った「そこはクリアできる」
というのは何とかその通りになりましたが、我々家族と親戚は3月11日
から病院に泊り込みでした。
親父はもうその時には意識はなく、ただ呼吸をしているだけになっていた
のです。

そして親父は桜の花を見ることなく、3月13日に天国へ旅立ちました。
61才という若さでした。

新しい建物は出来たものの、古い建物の解体、そして舗装工事などは
残ったままでした。
工場には今まで水道が無かったので、そこまで引いてもらうことになって
いたので最終的な仕上げ作業と付け足し工事などです。

解体が終わって、事務所の出入り口からの景色が一気にひらけました。
それはとても開放感のある晴れやかな景色でした。
会社の看板も道路から見やすいようにと移動したほどです。

そして5月の連休明けに舗装工事も完璧に終わって、その広々とした
スペースに僕らは改めて驚き、この状態を親父に見せてあげたかったと
何度も何度も思いました。

それは今でも思います。

洗い場のある工場、広々とした駐車スペース、今までの何倍も仕事の
しやすい快適な事務所と作業場。
大きな台風や竜巻が来たらたちまち飛ばされそうだった以前のプレハブ
とは雲泥の差です。
先日来た営業マンは「あの階段を登るのは怖かった」などと冗談を言ったり
してたぐらいです。

自宅の方も広々として、とても住みやすく快適です。
半年以上経って、ここでの新しい暮らしも板についてきたと思います。

それでも親父は生きてたら何かしら文句は言ったと思うのですが・・・(苦笑)

おばぁちゃんが引越して来て、おばぁちゃんの部屋におばぁちゃんの荷物が
ちゃんと収まりました。

植木なども増え、水をあげるのも楽しい作業です。

親父が生前言ってたように、我々家族と会社の人たちに遺していってくれた
この建物は、親父の最後の大仕事になりました。
とても素晴らしいものを遺していってくれましたが、別の意味で大きなものも
残していったので、それに関しては我々が頑張っていかなければなりません。

この建築計画は今になってようやく本当の完成形になったのだと思います。
この完成形を出来ることなら親父に見せてあげたかったと思います。
大喜びして、得意げに友人や仲間を連れて来たことでしょう。
目に浮かぶ光景です。

さてさて、事務所の壁に今まで親父がもらってきた賞状を飾る作業が残っています。
最初はこれみよがしに飾ることに抵抗があったのですが、やはり先代社長の足跡を
示しておこうと思い飾ることに決めました。

そして親父が死ぬ少し前に『信』という字を書いて事務所に飾ってと言いました。
その作業もまだ残っています。

もう最終段階です。
あとは僕がやるだけなのです。
そして我々で守っていくのです。





~あとがき~

「建築計画シリーズ」を無事終わらせることが出来ました。
“親父”というカテゴリーを見てもらえば、がん告知から今日までを順を追って
読むことが出来ます。

親父が死んでからまだ時間はそんなに経っていませんが、本当に死んだんだなぁ、
いなくなっちゃったんだなぁ、もう会えないんだなぁという実感は日々感じます。
あれだけよくケンカして、親父の理不尽な言動に嫌気がさしていたにも関わらず、
僕は親父のことが大好きだったんだなぁと気づきました。

人間誰しも生きているから死ぬのですが、それは分かっていても自分の親の死
というものはつらく、悲しいものです。

このシリーズは何度か泣きながら書きました。
分割のシリーズになっているので、淡々と書いてある印象かも知れませんが、
やはり切なく、悲しかったです。
泣くのが嫌だから気持ちが進まないこともたびたびでした。
なので、やっと終わらせることが出来てホッとしている部分もあります。

それと終わらせなければ次へ進めないということもありました。
それは親父の歌を作ることです。
こっちを終わらせてから歌を完成させようと思ってましたから・・・。

歌の方もかなり仕上がっていて、これも詩を作るたびに泣いています。
泣きながら曲作りをするというのはあまりいいもんではありません。
だから自然と向き合わなくなるのですが、久し振りの、約1年振りのライブの
日程も決まったので、いよいよこちらの方も完成させなければと思っています。