日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

芝居「A企画」の会合

2006年09月30日 | 芝居
僕が以前お世話になった「A企画」という芝居の会合が阿佐ヶ谷であった。

過去に出演経験のある人で、基本的にはフリーな立場の役者数人が集まって、
これから「A企画」をどういうものにしていこうか?という話し合いです。
8年間やってきて、ここらで変化をもたらそうという感じでした。

今まで僕は、Vol.3&4の2回に出ただけなんですが、その後毎年観客として
観に行ったり、稽古中の陣中見舞いをしたり、ささやかながらサポートというか、
毎年出演依頼をもらっていて、それを断っているという後ろめたさもありまして、
ちょこちょこ顔を出している次第なんですよね。

基本的に僕は完全なる役者ではなく、それを将来的に生業としようとも思わず、
まぁ、趣味的に演劇をやっているので、その場にいるのもおこがましいと言うか、
大したことなんて言える立場でもないんですが、来月以降もこの会合を続けていく
ということで日程もすでに決定。
その段取りの早さに僕としては「えっ!?」と正直戸惑っております。
今日だけ参加して終わりと思ってたら、僕のスケジュールを優先的にしてくれる
もんですから、身動きが出来なくなってしまった(苦笑)

「僕は基本的に土日しか休みは取れないから・・・。」
「4月にやった芝居も基本的に土日の稽古に出てくれればOKということで
 引き受けた・・・云々。」
という話をしたら、稽古をびっしりしない軽い感じの舞台を作ってもいいという
ことに話が膨らんで、何だか逃げられない状況になったらヤバイなぁと内心、
「おぃおぃ、こりゃ、来年あたりまた・・・」などと思ったりもしました。

つーか、ここだけの話なんですが、僕は今、30代の内に今までの楽曲をまとめて
CDを作るってことで動きを始めようとしてる矢先なんですよね。
その手始めに今度のライブにミニドラムを入れたりするわけなんですが、
なるべくなら、こっちを優先させようとは思っています。

ただ、30代中なんでまだまだ時間はあるので、その間に何かやってもいいとは
思うけれど・・・。
でもまぁ、時間があるとはいえ、ゆっくりしてたらすぐに40になってしまいそうなんで、
やはり動いていかなければと思います。

ただね、最近芝居を観る機会も増えて、その面白さを再確認していて、どうせなら
演じる方が楽しいとも思ったりはしているんですけどね・・・。

どうなることでしょうか?



SHINJO劇場、一旦終演。

2006年09月28日 | 野球
公式戦全日程終了にて、千秋楽でした。

SHINJOのセレモニー、とても感動的でした。
「63」のユニフォームを着てセンターのポジションに立ち、オーロラビジョンに
映し出される過去の数々の名シーンを観客と一緒に観るSHINJO。

TVでは彼の表情を追って、名シーンは所々だったですが感動は充分伝わってきました。

そして「63」のユニフォームを脱ぎ、グラブとリストバンドとタオルをそこに置き、
泣き顔を隠すためか、いつもより帽子を目深にかぶってベンチに消えて行きました。
そのTシャツの背中とオーロラビジョンにファンへのメッセージを残して・・・。

僕も観ていて、もらい泣きです。
デビューの初打席ホームランもTV観戦していて、そこからのファンですから、
やっぱりこみ上げるものがありました。

おそらく、いやもう二度と現れることのない不世出のスーパープレーヤー。
今年はそんなSHINJOを実際に生で何度も観て来ました。
阪神時代の新庄も思い出します。
あの頃はファンサービスもあまりすることもなくてね・・・。

成績がずば抜けていないところもSHINJOらしいです。
日本でもメジャーでもほとんど変わらない。
実に彼らしいです。

新庄剛志という人間は、我々と生きてる土俵が全く別なんだと思う。
これから何をやるかは分からないですが、僕個人としては、やはり
ユニフォーム姿でプレーをしている彼が一番好きなので、それを
いつまでも“心のアルバム”に刻んでおきたいと思います。

まだちょっと早いけど・・・。

ありがとう、新庄剛志☆




ファイターズ、レギュラーシーズン優勝♪

2006年09月27日 | 野球
おめでとう!ファイターズ!!
まずは公式戦での優勝ということで、次はプレーオフを制して本当の優勝を!

実は拙ブログで秋には嬉しいことになってるというのを予想してたんですよー!
その通りになってるじゃないですか~♪
詳しくはこちら

紙面に「○○年振り」というのが踊るチームというのは、大抵いい結果なんです。
今年のファイターズには、そういうのがあったということですよね。
まだプレーオフが残ってますけどね。

それにしても最後の最後で1位と2位が決まるなんて、久々の劇的シーズン、
まさに記憶に残るようなシーズンだったのではないでしょうか。
まぁまだ、プレーオフという大事な大事な戦いが3球団には残っているわけだけど、
この短期決戦を制して本当のリーグ優勝、そして日本シリーズへといくわけですね。

移転1年目のファイターズは出来すぎぐらいの成績でプレーオフ進出。
あれも確か、ロッテとの3位争いが熾烈で、最終戦ハムが勝てば3位、
負ければロッテがプレーオフ進出という手に汗握る後半戦でした。
プレーオフは、残念ながら第1ステージの3戦目でサヨナラ負けを喫したわけですが、
北海道にファイターズという、そして野球という種を植えた時期だったでしょう。

2年目は残念ながら、これと言って盛り上がるわけでもなく下位に低迷。
早々とシーズンが終了したわけですが、僕は実際に札幌ドームに足を
運んでみて、上位争いはしていなくても、完全にファイターズが
北の大地に根付いてるなと感じました。

そして3年目―。
ついに花が咲きました。
若手の台頭、ベテランの活躍。
歯車がしっかり噛み合って、勝ちパターンというのが完成したのが大きな勝因でしょう。
それとシーズン早々と引退宣言をしたSHINJOに最後の花道を、ということもあってか
チームが一丸となったことも大きかったんじゃないでしょうか。
何より本拠地のファンも去年以上に凄くて、チームとファンが一緒になって野球を
野球観戦を楽しんで、今日この日を迎えることが出来たんだと思います。

3年間じっくりファイターズを観て来ましたが、ここまでになるとは正直思いませんでした。
SHINJOの引退は読めていたけれど、まさかレギュラーシーズン優勝というのは・・・。

35年振りということらしいです。
いやいや長かったっすねー、ずっとファンをやってた人にとっては。
僕はまだファン歴浅いですから比べられないですけど、それでも嬉しいっす♪

おめでとう!ファイターズ☆




SHINJO劇場千葉公演終幕

2006年09月26日 | 野球
SHINJOが引退宣言をしたのは4月のこと。

それ以来、この二度と出現しないスーパースターを目に焼き付けようと
出来る限りの試合を生観戦してきた。

関東での公式戦では、西武の所沢、ロッテの千葉、そして東京ドームでの
主催ゲーム。
交流戦では、ベイスターズの横浜、ヤクルトの神宮、巨人のドーム。
8月には、予定になかった札幌ドームでの観戦も出来た。

こないだの日曜日、関東では最後となる公式戦に行って来た。
千葉ロッテとの最終戦だ。
この日はロッテも本拠地最終戦ということもあり、開門前から長蛇の列で、
当日券も売り切れ、入場出来なかった人もいたとか・・・。

最後なので、開門と同時に練習から見た。
誰があそこにいて、誰が次に打って、キャッチボールは誰と誰がやってという
見慣れた練習風景だった。

そこに突如現れるのは、真っ赤なTシャツを着て、ド派手ないでたちのSHINJOだ。
笑うと目立つ真っ白い歯。日焼けした肌。しっかりと鍛えられた肉体。

SHINJOと稲葉のティーバッティングの違いに笑みがこぼれる。
一体、SHINJOが真面目に本気で素振りをしたりするのはいつなんだろうと思う。

メッツの1年目に、チームの中でただ1人ホテルにバットを持ち帰って、
それをチームメイトが驚いていたというのを聞いたことがあるが、この
ラストイヤーもそうしていたのだろうか・・・?

最後だからしっかり目に焼き付けようと思い、試合中の写真は撮らなかった。

試合は残念ながら負けたが、お互いの応援団でエールを交換していたのが
とても気分良くて、柔らかい気分になった。
ロッテの応援団も相手が日ハムということで、余計に「がんばれー!」と
思ってくれたんだと思う。
これが西武やソフトバンクだったらどうだろう?

「SHINJOのためにも優勝してやれよー!」
ひとりのロッテファンの叫びが全てのロッテファンの気持ちを代弁してるようだった。

あくまでも公式戦は最後であって、まだ関東に上陸するかも知れない。
いや、きっとまた来るだろう。その上陸先は所沢だ。
日本シリーズ出場権を賭けた戦いはきっと西武相手だ。

最後の最後に今までの中で最高に本気のSHINJOを見るのだ。





お葬式

2006年09月23日 | Weblog
ダーダの葬式が滞りなく終わった。

世の中の事情で死んでから中4日経っての通夜、告別式だったので、準備する身内にとっては
とてもありがたい中4日ということになった。
しかも、金・土曜ということでこれもいろいろ助かった。

とても身近な人間の死というものに初めて直面して、その後のやらなければいけないこと、
これからのことなど、いろいろ考えさせられた。

それはもちろん葬儀のことであったり、親戚との関係であったり、残されたおばぁちゃんのこと、
それから自分自身の死のことまで思った。

やはり今生の別れというものはつらい。
通夜、告別式とも、もう泣くことはないとないだろうと思っていたけれど、最後の出棺でお花を
入れてあげる時はさすがに泣いた。
言葉にならない声で「ニューオーリンズは楽しかったなぁ・・・」と言って、おでこに最後の別れの
キスをした。

浄土真宗というものは、棺の中に想い出の品とか何も入れないそうだ。
ということで前日に買っておいたパックの“いいちこ”もNGになってしまい、ハンカチに浸して口に
つけてあげるということをしてあげた。
最後の焼酎、喜んでくれたかな・・・。

「戒名」も浄土真宗では「法名」ということ。
我々親戚一同は今回この「法名」に驚いた。
というのは、最初の三文字が「文祥院・・・・」となっていたからだ。

僕の名前は漢字で「祥文」と書く。
これはダーダが考えて名付けてくれたものだ。
その僕の名前をひっくり返したものが法名の最初の二文字とは・・・。
最後の最後までウマが合うというか、一番可愛がってくれてんだなぁと思った。

これからもしばらく行事は続くし、親戚と顔を合わすこともある。
想い出話に花が咲くこともあるだろうけど、実は僕はまだ信じられない部分がある。

僕が泊まりに行ったら、ひょっこりまた夜中に起きてきたり、新大久保の路地でバッタリ出くわしたり、
そんなことがあるんじゃないか?って思ったりもする。

でももう会えないんだよね・・・。

人はいずれ死ぬものなんだなぁ。



合掌





ダーダが死んだ。

2006年09月18日 | Weblog
僕は小さい頃、「おじいちゃん」という発音が出来なかったらしく「ダーダ」と言っていたらしい。
その呼び名のまま、今日の今日までずっとおじいちゃんは「ダーダ」だった。

そのダーダが死んだ。

金曜日に芝居を観てそのまま泊まりに行って、芝居の話をしたり、映画の話をしたばかりだった。

土曜日は、オフクロと合流して、ばっちゃんと3人でもんじゃに行った。
その後、新大久保に戻って普通に話して、帰る時も玄関まで見送ってくれたのに・・・。

最近は1日3時間起きてるぐらいで、あとは寝てばかりの状態だった。
食欲もほとんどなく、食べる量も減っていた。

ばっちゃんは「このまま死んじゃうのかね~って思うよ」などと最近よく言っていた。
僕にとっては冗談にしか聞こえなかった。

けれどそれが本当になって、寝たまま死んでしまった。

ダーダとはいろんな所に行った。
アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、もちろん国内も・・・。
決まって話すのは「ニューオーリンズは良かったなぁ~」だった。
10月にも温泉に行こうと話してたばかりだった。

ダーダは文学青年で、死ぬまで勉強家だった。
映画も年間300本以上も観ていた。
最後に観た映画は「涙そうそう」で公開前の試写会で、その話を金曜の夜にしたばかりだった。
いい映画だったと言っていた。
映画で流れる曲「花」がとてもいいと言っていた。

「花」の歌詞が日記帳に書いてあった。
その歌詞を見て、また泣けた。
最後にいい映画を観れて良かったな、ダーダ。

政治や経済にもうるさかった。
日本の行く末にも心配していた。
お互い高杉晋作が好きで、よく「憂国の志士として生きろよー!」と鼓舞してくれた。

部屋にはスクラップブックがたくさんあった。
新聞の切り抜き等がベタベタ貼ってあった。
僕も同じようにいろんな記事をスクラップしてある。
だから、「ダーダの血を受け継いでんだなー」とそれを見て思った。

無類の酒好きで、起きてから寝るまで飲んでいた。
出かける時も焼酎を小ビンに入れて持ち歩き、ちょこちょこ飲んだり、
外食した時もコップの水の中に隠れるように焼酎を入れては喜んで飲んでいた。

ガラス棚の中にいい酒が並んであって、死ぬまでに全部飲み干すと言っていたけど、
そういう高級なものは正月や記念日だけで、結局安モノの大五郎ばかり飲んでいた。

自分の住まいがある新宿・新大久保が大好きで一生離れられないと言っていたけど、
最後はその新大久保で息を引き取った。
刺激ある街、ネオンのある街が大好きで、いつも好奇心旺盛だった。

口調が憎ったらしい時があって、親戚一同は泣かされたり、嫌な思いもたくさんした。
僕は愛情を込めて「クソじじぃだから、しょーがねーよ」と周りの人間に何度も言った。

ダーダとまったく正反対の性格のおじさんは僕に「階段で蹴落としてくれ」などと
冗談とも本気ともつかないように言ってたけど、死に顔を見て号泣していた。
「あんなに憎たらしいと思っても、さすがに泣けた」と言って、何度も泣いていた。

身内が集まった。
そこにダーダだけがいなかった。
いつも身内が集まると、一番喜ぶのはダーダだったのに・・・。

人間は死ぬと、しばらくは宙に浮いて状況を観察しているというのを聞いたことがある。
あてもなく宙を見て、「おぃ、ダーダ、上から見てんのか?いるのか?降りて来いよ、
まだ話し足んねーじゃねーか」と今度は遺体に向かって泣きながら言った。

線香なんかあげたくなかったけど、僕と弟で30本以上の線香をあげたら、
霊安室が煙だらけになってしまった。

ダーダはめでたく自宅で往生したから、死因を調べてもらうために新宿署にいる。
地下駐車場の隣りの寒々しい場所だった。

葬儀の関係等でもう自宅に戻ることはない。
帰宅するときは、荼毘に付されてからだ。

今日は疲れた。
みんな疲れていた。
なんでこんなに疲れるんだろう?
ひとつだけ言えるのは、悲しいことで号泣するというのは、とてもエネルギーを
吸い取られるということだ。

ダーダの誕生日は、9月20日。
カレンダーにも日記帳にも「86才誕生日」と書かれていた。

9月17日かぁ・・・。
あと少しだったなぁ。

自分のベッドで寝ながらポックリ逝けたっていうのは幸せだよ。理想だよ。
85才、好きに生きて、いい人生だったんじゃないかな。

僕のゴッドファーザー、ダーダに献杯!







「きらめく星座~昭和オデオン堂物語」

2006年09月17日 | 芝居
金曜日のことだけれど、芝居を観に行きました。

以前、某プロダクションの飲み会で知り合ったKさんが芝居に出るというので、
笹塚まで。
「笹塚ファクトリー」という芝居小屋だったが、かなり充実した芝居小屋で安心。
セットもなかなかのもので、期待が膨らんだ。
観客に鴻上尚史がいたというのも、おっ!と思わせてくれた。

が、しかし!
“本日の上演時間”という張り紙が張ってり、終演時間は休憩を1回挟んで夜10時。
マジかよ~、3時間の芝居かよー!?と一瞬凹んだが、何はともあれ、Kさんの演技を
見るのは今回が初めてなので、頑張ることにしました。

内容はチラシから「昭和15年、舞台は浅草のレコード店オデオン堂。こよなく愛する
流行歌を歌って暮らしている。しかし、時はあの太平洋戦争の直前。オデオン堂も
時代の流れに逆らえず、“軍国歌謡”と“敵性音楽”の対立で揺れ始めていた・・・。
『好きな歌がどんどん歌えなくなる』そんな受難の日々を、反骨とユーモアを持って
生き抜いていこうとする庶民たちの一年間」とありました。

これを読んででちょっとネガティブになったんですが・・・。

でも始まってみたら意外と面白くて、引き込まれていきましたね。
Kさんもみんなも熱演で、観ていて羨ましくなったりもしました。
みんな輝いて、舞台上で輝いていたからです。
ハートフルな物語だったし・・・。
まぁ、考えてみたら、作は井上ひさしなんですよね。

3時間という長丁場、セリフの量も膨大で、しかもちょっと古い日本語なので、
覚えるには苦労したと思います。
Kさんに聞いたところ、稽古期間は1ヶ月でやはり覚えるのは大変で、何言ってんだか
分からなくなったりするそう・・・。

今年は僕も久し振りに芝居をやって、そんなのもあってチョコチョコ芝居を観に
行く機会が増えてしまって・・・。
けど、行くたびに観るたびにまたトライしたいという気持ちが湧いてきます。

みんなで作り上げていく作業。
それをハジケさせる舞台。
ものすごい緊張感を乗り越えると、達成感がやってくる。
やっぱり、いいもんだなぁと思います。

幸い自分もそういう場所に行けるのだから、タイミングさえ合えば、
また是非舞台に立ちたいです。

今回は特にそう思いました。
いい芝居でした。

月島行きました。

2006年09月16日 | Tシャツ
今日は久し振りに月島に行って、「近どう」さんでもんじゃを食べて来ました。

いつ以来か忘れたけど、かなりのご無沙汰だったような気がします。
だからいっぱい食べちゃった♪
いやいや、相変わらず美味。

ただ、もんじゃが入ってる器がいつもより小さくなったんじゃないかと・・・。
だから作ってても土手が崩れちゃうんですよね~。
今までそんなことはほとんど無かったんだけど、最近はそういう事もままあって、
そこら辺はちょっと・・・。

月島に行くと必ず、もんじゃTシャツ屋さんに立ち寄るのですが、あんまりいい
デザインのものがなくスルー。

今日は「もんじゃ振興組合」にて抽選会がありまして、2枚の券をもらって行きました。
結果、6等賞&ハズレ。
食塩もらって来ました。

で、この「もんじゃ振興組合」にも特製もんじゃTシャツが1000円で売ってたので、
めでたく購入。こちらはまずまずのセンスで、別に普通に来ても恥ずかしくないかなー
と思っています。

って、オレのセンスがあんま良くないんだな、きっと・・・(苦笑)