日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

どうせやるなら

2009年12月02日 | 言の葉
やるかやらないかという選択はない。

あるのは、

いやいややるか、

楽しくやるか、

とことん楽しくやるか。


~ 伊藤守著「今日が新しくなる小さな辞典」より ~



やるっきゃないのよ、生きてるんだからさ。

生きてるんだからさ、やるっきゃないのよ。

だったら。

どうせやるならね。




死生観

2008年09月08日 | 言の葉

『人生の価値は、その長さとは関係がない。
 人生の価値とは、どのようにその時間を利用したかで決まるものなのだ。

 あなたが十分に生きたかどうかは、
 あなたが生きた年数ではなく、
 あなたがどのような意志をもって生きたのかで決まる。』

フランスの思想家、モンテーニュの言葉です。

【生】について考えることは、【死】についても考えること。
【生き様】を思うことは、【死に様】を思うこと。
【死生観】というやつです。これは大事です。


生き急ぐでもなく、死に急ぐでもなく、ただただあなたの人生を
まっとうして欲しいと思うのです。





中岡慎太郎の言葉

2008年08月15日 | 言の葉
幕末期に活躍した中岡慎太郎という土佐藩出身の志士がいます。

坂本龍馬は海援隊を率い、中岡慎太郎は陸援隊を率いました。

薩長同盟は坂本龍馬の手柄のように思われていますが、実はこの
中岡慎太郎の力が非常に大きかったのです。

龍馬と共に暗殺された中岡。
歴史に“たら・れば”はないのですが、もし中岡慎太郎が生きていた
ら、その後の日本も少しは違った形になっていたかも知れないという
ほどの大物です。


その中岡慎太郎の言葉を。


志とは、目先の貴賤で動かされるようなものではない。

望むべきは、その先の大いなる道のみである。

今、貴いと思えるものが、明日は賤しいかもしれない。

今、賤しいと思えるものが、明日は貴いかもしれない。

君子となるか、小人となるかは、家柄の中にはない。


君、自らの中にあるのだ。


中岡慎太郎




「お天道様は見ているぜ~。」

2008年07月01日 | 言の葉
寅さんのセリフ。


お天道様には何事も隠せないので、悪い事は出来ないということでしょうか。


このフレーズとても気に入っていて拝借させてもらったりしています。


良い行いをしている人には、良いことが起こるでしょう。


悪行をしている人には、そのバチが返ってくるのでしょう。


お天道様は見ていますよ・・・。





めでたい

2008年01月11日 | 言の葉
「年があらたまれば心もあらたまる。

 心があらたまればおめでたい。

 正月だけがめでたいのではない。

 心があらたまったとき、

 それはいつでもおめでたい。」


~松下幸之助 ~



“日々心新たに”とも言いますが、要するに新鮮な気持ちで、だとか、
“初心忘るべからず”にも通じるかも知れません。

毎月1日を元旦のように迎えれば、いつも「めでたい」のかも?と
思ったりもしますが、それがなかなか出来ないことで・・・。

きっと正月というのは、まとまった休みや世の中全体がひとつのムード
にあるから「めでたい」のかも知れませんね。
独特のムードね。


心をあらため、心をあらため・・・。



そうだ!

心をあらために神社仏閣に行こう!

いっそのこと、京都や奈良がいい!



「人生という草野球では、フォアボールはアウト」

2006年12月31日 | 言の葉
出来れば大きな本屋に行って、ゆっくり時間をかけて読みたい本を買いたいと
常々思っているのですが、最近はアマゾンで買うことが多くなりました。

中身は見ることは出来ないし、綺麗なものを選ぶことも出来ないんですが、
「書評」によって確認出来るのが大きいです。
中古もあるし、それで充分です。
よっぽど大事にしておきたいもの以外であれば、本屋に行く手間を省いて
アマゾンですね。

ちょっと今、まとめて何冊か買いたいなぁーと思ってまして、アレコレ書評を
読みながら検討してました。
それで今日のタイトルのようなものがありましてね、いいフレーズだなぁと
思って記事にしてみました。

とても簡単なフレーズですが、含蓄のある言葉ですよね。
僕は実際に草野球プレーヤーでもありますが、フォアボールで塁に出るという
ことが少ないです。
カウント0-3なら待ってもいいと思うけれど、1-3或いは2-3の場合、
ほとんどと言っていいほどスイングします。

むしろ3ボールになる前に打ってます。
基本的に初球打ちが好きなので、ファーストストライクは狙っていくタイプ。
その姿勢が良くも悪くも自分の人生にも当てはまっています。

いつの間にか、人生というバッターボックスに立ち、バットを振るか振らないか
という選択を迫られてるわけですが、いま思うとあの場面でスイングしなかった
ことに後悔したりしています。

バットを振るならフルスイング!
ただ待ってるだけじゃ何も起こらないのですから・・・。

それでも「棚からボタ餅」って言葉もあるけどね(笑)


「小股が切れ上がる」

2006年12月29日 | 言の葉
「小股が切れ上がった」女性っていいですよね~、素敵です。

「それってどういう感じの女性?」って思った人もいるでしょう?(笑)

こういう表現ってほとんどしないから僕も知らなかったんですが、

意味は、

【きりりとして小粋な女性の形容】
「小股の切れ上がった」の形で用いることが多い。

なるほどね~、そういう意味なのかぁーと思いましたよ。

江戸時代、着物の裾を乱さずに階段を登れる女性が小粋とされ、
「小股の切れ上がった女」と呼ばれていた。
「小股」がどの部分を指すかは、着物の裾から見える内太股、足首、鼻緒を
挟む足指の間など諸説あるそうです。

平成の世に「小股が切れ上がった女性」っているのかなぁ?
京都の祇園にいるかな?

祇園じゃなくても、きっと各地にいるな。
平成流の、きりりとして小粋な人ね。

う~む、出会ってみたいですよね。
恋に落ちるかな?
いや、相手にされないな(笑)





一番綺麗なのは

2006年09月14日 | 言の葉
 フランスでは、男達は、

「一番綺麗なのは、20代で自分の生き方を見つけ、30代で自分を磨いた40代の女性」

 と言うそうです。 



さすがは恋愛国家フランスの男達だ。
言う事が違う。

我が国・日本では、女の子たちが自らの賞味期限を20代と思い込み、
30代に突入したらおばさんになっていく・・・。

みんながみんなそうじゃないんだけれど、日本男児もフランスの男達のような
考え方になると、この国の景色も全然違ったものになるんだと思う。

かく言う僕は、かつて「女は30から」というエッセイを書いたように、
今でもそう思っておりまするぞ。

ここにはまだ載せてなかったようなので、
そのエッセイはいずれ公表しますネ。。。


俗なるもの

2006年08月07日 | 言の葉

   人間は俗生活をしておればおるほど、

   その中に俗に動ぜざるもの、

   俗に汚れざるものがなければならない。

   それで初めて俗を楽しむこともできる。

   ~安岡正篤著『安岡正篤一日一言 心を養い、生を養う』より~



いや~、なかなかいい言葉だなぁ。
所詮、聖人君子にもなれなければ、なる気もさらさらないけれど、
たかが一匹の俗なる人間、されど人間。
どうせなら俗を楽しんじまおうと、僕は僕で生きているのであります。

これね、もっと簡単にSHINJO選手が言ってますよ。
「ほっとけ、俺の人生だ。」






充実の日々

2006年07月27日 | 言の葉
充実した毎日をつなぎあわせていくと、どうなりますか。

充実した人生ができあがります。


― キャサリン・E・ローリンズ著『幸福な自分になれる52の選択』より ―


僕はすでに充実した毎日を送っていると思っているので、
別にローリンズさんの本はどうでもいいんだけれども、
まぁ、やっぱり当たり前のことを的確に表現しているので、
今回載せました。

この先どんなことが起こるか分からないけれど、
きっと充実した人生が出来上がると思う。
日々是愉快♪日々是愉快♪