日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

えんど~君とのレコーディング終了♪

2010年07月31日 | 音楽
4月から音楽仲間のえんど~君と取り組んでいたレコーディングが無事終了しました♪

『激しい雨』と『犬と猫』の2曲です。

昨日の夜8時にえんど~宅のスタジオに入り、深夜1時過ぎぐらいまで、
最終のミックスダウンとYouTubeにアップする画像などの作業をしていました。

まぁ、僕はコンピューターを使ってのことはあまり良く分からないので、
最終確認と画像に関してのアドバイス程度でした。

それにしてもまさかこういう形でYouTubeにアップされるとは思ってもいなかったので、
ちょっと恥ずかしい感じです。

歌以外は、えんど~君がすべてやってくれました。
いかんせん僕は歌が下手なので、その部分をアレンジでカバーしてくれました。

良かったら聴いてみて下さい♪

『激しい雨』は、こちら

『犬と猫』は、こちら




衝動買い

2010年07月26日 | Weblog
いやぁ~、本当に参った。


まさか、まさか・・・。


そんなつもりはさらさら無かったのに。


「出逢ってしまった」としか言いようがない。


先週の土曜日の出来事。


買ったものはまだ手元にない・・・。


完成したら、写真載せましょうかね。



西荻窪「シタル」

2010年07月21日 | グルメ
西荻つながりということで、今日はインドカレーのお店を。

西荻窪にはインドカレー屋さんが結構あります。
うちの奥方が住んでいる間に、結局全部のお店に行くことは無かったのですが、
それでもほとんど食べ歩いたのかなぁ・・・。

で、一番気に入ったお店は今日ご紹介の「シタル」。
ここは何と言っても“ナン”が本当に美味しいです。

やはりインドカレーは“ナン”の良し悪しがかなり重要です。
例え、カレーの方がイマイチでも“ナン”が美味しければ、何とかフォロー出来ると
思うからです。
こちらは“ナン”もそうだけど、カレーも美味しかったので何度か通いました。

個人的にインドカレーも好きでして、地元や都内の本格インドカレー屋さんを見つけ
ては入ったりしています。
特にランチは安いし、“ナン”を食べ放題にしているお店がほとんどなので。

このブログでは広島焼きのお店をわりとこまめに載せていますが、インドカレーを
ちゃんと載せていたら相当の数になると思います。
まぁ、こまめに載せていないというのはそれなりということで(苦笑)

僕の中学時代の友人がインドカレーのお店に勤めていまして、実はそこが一番の
お気に入りなんですが、ちょっと遠いのでせいぜい行っても1年に1度ぐらい。
ここはカレーもナンも最高で、ここを越えるお店は今のところ無いのです。
ここを越える味に出合いたくていろいろ食べ歩いてるのかなぁ・・・。

いや、ただ単に好きだからついつい入っちゃうんです♪


久しぶりの「かずみや」さん

2010年07月19日 | グルメ
しばらく食べてなかったので、食べたいなぁ~とずっと思っていました。
ということで久しぶりに西荻窪まで。

そば&野菜のダブルにイカ天入りとマヨ焼きを注文。
最近はこのパターンが多いかな。

そばと野菜を両方ダブルにしたのは初めてかも知れませんが、それだけ
ガッツリ食べたかったんですよね~。

今まで広島お好み焼きはいろいろ食べ歩いていますが、最近は「かずみや」
さんのところに帰っていく感じがしています。
それだけ馴染みになったというか、居心地良く食べられるし、何よりその
シンプルさが気に入っています。
と言いつつ、マヨ焼きが大好きなんですが(笑)

今日はたまたま隣の席に座っていた人が遠距離恋愛をしているカップルで、
男性の方が広島から昨日やって来て、東京で広島焼きを食べて今日の夕方頃
にはまた広島に帰るという話や、地元広島のお好み焼きの話に花が咲いて
楽しい時間を過ごしました。
彼はきっと今頃まだ高速を走っているんだろうなぁ。

マスターとはこないだのライブで新調したギターのことも話しました。
以前にこのヤマハのギターをお借りして、その音やピックアップに惹かれて
買ったもんですから、これも何かの縁かなぁ~と思っています。


『滝山コミューン1974』 あとがき

2010年07月17日 | Weblog
ブログだとこの記事は一番最初上にきてしまいます。
ということで、この文章から読む人もいるでしょう。

本当ならひとつの作品という意味を込めて、一括掲載をしたかったのですが、
あまりにも長くなってしまい、全文を一気に読むのは大変だろうし、特に携帯で
このブログを読んでいる方も多いようなので、分割にして掲載しました。

少し時間を置いて、自分自身のために全文一括掲載はしたいと思っています。


本書『滝山コミューン1974』に関してです。

著者の当時の心境、そして現在を振り返っての心境。
僕自身の当時の心境、そして現在を振り返っての心境。
この部分をうまく照らし合わせてみたかった。

最初から最後まで長くなるだろうとは予測していたが、ここまで書くにあたって
思ったより時間がかかりました。
どのような形で進め、あらゆるものをうまくリンクさせていこうと思いながら
書いていったのですが、実際のところそれがうまく出来たかどうかは分かりません。
ちょっと引用が多くなった気もしないでもないですが、どうしても本書からの文を
そのまま引用したかったので掲載させてもらいました。
最後まで読んでくれた方々が読みやすく、内容を理解してくれれば嬉しいです。

それと、このブログを読んでくれている僕の滝山出身の友だちへ。
『滝山コミューン1974』是非とも読んでみて欲しいと思う。
特に7小出身のみんなには、懐かしい風景がたくさん浮かんでくると思うので。



『滝山コミューン1974』 その16

2010年07月17日 | Weblog
  『学者が「私」を主人公とする物語を書くのは禁じ手とされている。』

読んでいる途中から、これは著者の“遺書”なのかも知れないと思った。
著者はまだ40代と若いが、この“遺書”だけは早い段階で遺さなければならない使命、
そして焦りのようなものに突き動かされたのではないか。

原氏には他にも著書はあるようで、僕はそのほかの作品を読んではいないが、この
『滝山コミューン』はその作品の中では全くの別物なのではと思っている。
思い込み、思い入れ、全ての面において違っていると思う。
けれど、それは最初にも書いたように当然なのだ。

すべてにおいて客観的でいられるはずはなく、矛盾点が出てしまうのは仕方あるまい。
それらを超越したところで本書の存在意義というものが伝わればいいのだ。
伝わる人には伝わるだろうし、伝わらない人には伝わらないのだ。

僕はたまたま著者と東久留米市内の隣の小学校ということだったから、いろいろ思う
ところがあったし、僕なりの思い入れもあるからこれだけ長くなった。

本書『滝山コミューン1974』に出合えて嬉しかった。
僕はこれからも滝山という所と何らかの関わりをもって生きていくと思う。
著者とは全く違う関わり方ではあるけれど、いま現在のライフスタイルの中では外す
ことの出来ない場所だ。

最近の通勤では【滝山団地】をじっくり見ている。
朝の風景と夕方、そして夜の景色。
いずれも昔と違って静かなことは確かだ。
今の季節は緑がとても綺麗である。
春になればたくさんの桜も咲いてちょっとした桜の名所だ。

四季折々の【滝山団地】、そして東久留米。
今度時間を作って著者のように歩いてみたいと思った。
懐かしい9小の通学路を通って、【滝山団地】の遊歩道を歩いて、かぼちゃ公園や滝山公園、
それから商店街でいつものたこ焼きを食べよう。
日曜日の【7小】に行って、お世話になった少年野球チームの監督、コーチに挨拶をしよう。

きっと素敵な想い出たちが通学路や遊歩道に散らばっているはずだ。
そのひとつひとつを拾い集めてもいいかも知れない。
どうでもいい出来事の中にこそ、何気なかったあの毎日がいま思えばいい想い出だったんだ
と思う。

東久留米の前沢や滝山のことが今でも好きなんだと気づいた。



『滝山コミューン1974』 その15

2010年07月17日 | Weblog
  『77年には須田校長が退職し、片山先生が大阪の小学校に転出した。
   75年以降、 かつての6年5組に匹敵するクラスはついに現れなかった。
   「核」となる学級を 確立させられなかったことで、「滝山コミューン」は
   名実ともに崩壊したのである。 』

著者が滝山から離れてから数年したのち“滝山コミューン”は崩壊したとある。
全生研の目指す地域を含めた「学級集団づくり」というものを目指しにくくなった
のだろうか。

実際に80年代に入ると、それまでの「学級集団づくり」が維持できなくなって
いったようだ。

  『その背景には、激増する校内暴力やイジメに加え、登校拒否児童の増加 
   という問題があった。』

そして朝日新聞85年12月5日の記事には、
  『班競争の場合、全生研では成績の悪い班をボロ班、ビリ班と呼んで生徒の
   奮起を促してきたが、いまはこれがイジメの材料になる現実がある。
   班競争はゆるやかに形にして、悪い班を学級全員で応援、連帯を育てる
   ようにして下さい。』
と載った。

暴力やイジメ、登校拒否といったことが表面化し、家庭における教育と学校に
おいての教育スタイルが少しずつ変化していくのがわかる。

先に僕らの頃は、“ボロ班”という言葉を使ったことはないと思うと書いたが、
こういう背景があったのかも知れない。

著者が体験したような“滝山コミューン”を僕自身体験したかどうかは分からない。
ひょっとしたら違う形での“滝山コミューン”を経験したかも知れない。
いろいろ考えると、70年代のほんのわずかな時期に“滝山コミューン”が確立され
たのは、奇跡のように思えなくもない。
あらゆる条件がドンピシャのタイミングで合ったからだろう。

著者は私立中学に進学したため、東久留米の公立中学には進んでいない。
ましてや中学に入学した年には滝山団地から引越したためその後の滝山のことは
分からないというのは残念だ。

本書『滝山コミューン1974』について、アマゾンのレビューに実際の7小出身の方の
ものがあった。とても興味深かったので原文から引用させてもらった。

  『尚、この話はというか、7小の話は続きがあって 中学校にも飛びひしてます。
   著者は私立中学に進学されて 実体験がないようですが、当時の実態は7小に
   とどまらず 団地内の私塾や、滝山近隣の中学校に「拡大再生産」してます。
   個人的にはそっちのほうがよっぽどトラウマですわ。』

30件近いレビューがあるということはそれだけ本書に対する意見があるということ
で、興味のある方にはそちらの方も合わせて読んで頂ければと思う。



『滝山コミューン1974』 その14

2010年07月17日 | Weblog
「先生方と父母の話し合う会」というのが行われ、そこでは塾の存在が槍玉に上がった
ようで、その時の模様が書かれている。

70年代半ばからすでに塾というものが学校でも家庭でも、学校教育のとの関わり方に
おいて問題になっていたようである。

74年3月21日付『7小だより』第24号は、母親たちからの質問を教員が答えるという
形で収録されたもののようで、その中で僕が気になった文を引用したいと思う。
それは、教員の締めくくりの言葉である。

 『家庭教育は、学校教育のための家庭教育であってはならない。言いかえれば、
  成績を上げるための、家庭教育ではいけない。日常の身近な経験の中から、
  空気のように浸透して行くのが家庭教育であり、筋道を立てて目的を持って、
  順序よく教えて行く学校教育とは別のものである。
  (中略)
  机の前に坐った時だけが勉強ではなく、必ずしも、教科書の予習、復習は
  しなくても、良い刺激は、すべて家庭教育に、つながるのではないか。』

塾のさきがけ世代とその後の僕ら塾全盛時代の家庭教育と学校教育、つまり志望校に
合格するための受験勉強に学校も親も悩んでいたのだろうが、その当時の状況とは
関係ない根本的なところで、上記教員の言葉は、今こそ家庭内で必要なのではないかと
思った。

夫婦関係、親子関係、友人関係など、当時と今とでは様々な関係が希薄になっている。
“コミューン”というものが家庭内にも存在し得ない現代において、この教員の言葉は
時を経て何かを示唆しているような気がしてならない。