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建築計画

2009年05月20日 | 親父
思い出したように親父の回顧録のようなものを書いています。


親父ががんになる前から会社の新社屋兼自宅の建築計画が進んでいました。
我々家族は、親父の好きにさせようということで設計から業者から何から何まで
ノータッチで親父に任せていました。

建築の看板を立てて、着工予定日になっても一向に着工はせず延々と月日は
流れていきました。
土地的、地理的、建物的、設計的に多々問題があったようで許可がおりるまで
かなり時間がかかったようです。

その他いろいろ事情がありました。
そのいろいろの事情で僕が知らない事情もあると思います。

僕は何故かこの建築計画がスンナリ行くとは最初から思ってなかったのです。
第六感というやつが当たってしまいました。

最終的にこっちも「おかしい」と思いはじめ、親父を突っつきました。
そもそも、設計の段階から設計士と密に会ったり、ミーティングすることもほとんど
なく「あとはおまかせ」、「着工したらその都度指示するから」という構えだったので
頼んだ業者にナメられていたんだと思います。

で、親父は「お前も一緒に市役所行って来い」とか「知り合いの建築関係に相談
してみな」となったのです。

元々の設計図を何人かの知り合いに渡し見てもらったところ、それはとても人の住め
るような建物じゃないと言われました。

親父は業者に電話を入れ、僕もあの場にいたから良く覚えていますが、少し言い合
いになって最終的に先方が「降りる」と言ったようでした。
予算的に厳しい要求をしていたから「向こうも逆にホッとしたんじゃないの」と話して
いたのを覚えています。

これは親父にも責任があったと思います。
地元の飲み屋で知り合った業者に酒の席で「予算いくらでやってくれ」とか、たまたま
その業者の所に顔を出したら昔の知り合いの設計士がいて「ちょうどいい、やってよ」
みたいな流れで簡単に進めたらしいのです。
密なやり取りも無いまま進めたからこういうことになってしまったのです。
その業者も実はあまり評判は良くなかったのです。

最終的には、僕の知り合いのところにお願いしました。
元の設計図を基礎として、すぐに新しい設計図を用意してくれていました。
親父と一緒に都内にあるそこの事務所まで足を運び、いろいろと話してお願いする
ことになったのです。

そこの専務さんという人が、元々某有名設計会社にいたということを話したら、親父も
安心して「あそこにいたなら間違いない」と言っていました。
だからわざわざあの日都内まで、親父はめったに着ないスーツまで着て行ったのでした。

初めて会ったばかりなのに、その後そこの社長さん専務さんたちと一杯やったりで
すっかり意気投合していました。
こういうところは、親父の本領発揮の部分ですぐに仲良くなってしまうところでした。

確か去年の7月だったと思います。

紆余曲折ありましたが、最初の設計図で建たなくて良かったことは確かです。
裁判沙汰になっていたかも知れませんでした。いや、なっていたことでしょう。
僕が起こしていたと思います。