LOVEで、ROCKで、SPIRITUALな詩人バッティの、今日の心の現像。
(Twitter→jakoushee)
バッティの☆作業日誌☆in 青森
キース、きみはほんもののアボリジニだったんだな、すまん(笑。
最近の、伝記あるなら読んでもいいじゃんモードの続きで
キース・ヘリングの子供用伝記を読んでみた。
妹さんが書いているので美化されているかもしれないが、
描くだけ描いて、マネタイズとは無縁の姿勢。
それ、ほんものの絵画アボリジニだよっっっ、
キース!
そういう気はしてたけど、
理解してなかった、すまん。
流行でちょーしこいてる
ただのイケイケグラフィティ野郎だと思ってた。
ほんと、すまん(笑。
どれどれ、書道と絵画の接点でも勉強するか、、、、森田子龍、すごいじゃん(笑。
紙と墨と文字が書道だと思っていたら、
森田子龍という人が、こう書いていた。
その筆は単に筆であるのでなく、
それ以前に、私を生かしめているものなのである。
単なる私自身というものはどこにもなく、
今・ここでは「筆に生かされている私」しかない。
筆も「私を生かしめている筆」としてここにある。
ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
かっちょえぇぇぇぇぇぇ。
筆人一如とかいうことか!
じゃ、これをいただいて
「筆」のところを「書き言葉」に置換して
わがかりそめの信条としておこう。
後半にでてくる「骨格」問題については
筆を持つときまで、
保留(笑。
わが国の対米従属は、いつまで続くぬかるみぞ(笑。
もう見た?
プーチンとタッカー・カールソンの対談。
プーチンは、粘り強く説明してたねえ。
ロシア脅威論を
ブギーマンストーリーだっていってたね。
えっ!? オレ、Boogie Manですけどなにか?と調べてみたら
綴りがちがっていて
Boogeymanだった。なまはげみたいなものかw
わが国は、
太郎・みずほ・志位ちゃんを足しても
まだポチ岸田を倒せない、、、、、
「自民解党、公明下野」もなかなか実現しない。
が、くじけない、くじけないw
40年後にはすべてよくなっているという
超楽観主義(笑。
自己肯定、大事、大事、とっても大事。儒教に足りないのは、そこ(笑。
こーゆー本を読むときには、
どのようにすれば
怪しげなことをもっともらしく書くことができるかという
技術書として読むことにしているw。
ナルシストであるがゆえに
自分への要求も過酷であるという
内省に満ちた人生をおくることになった
オレが見つけた自己肯定の方法は、
自分を他人扱いするというOne standardで生きることだった。
オレは、他人には共感的で激励的だが
自分にはキビしいw
このダブルスタンダードをやめた。
自分にも共感的で激励的であるようにした。
で、この本だが
案外まともだったw
「一日五善」のススメや
でんぐり返しをしてみるには意表をつかれたがw
せっかくなので、
自分のオリジナルをひとつ作ろうと思った。
朝起きたらいったん部屋を出て、
たとえば今日なら
「2月21日」という部屋に入ることをビジュアライズするのです。
「2/21 水」という表示が大きく輝いています。
そうすると、そこはもういつもの部屋とはちがった
とりかえのきかない、一期一会な固有性のある部屋なのです。
あなたが、ただ流れていくだけの日々に
ともに流されているという
感覚に困っているとしたら、
このようなテクニックも有効です。
おお、
こーゆー文体で書けばいいのか。
しまった、今朝はこのビジュアライズ、忘れてたわ(笑。
論理と情熱の二択ではなく、ただの攻略指向性つよつよくんだった(笑。
ゲームやって楽しいということがわからないので、
異星人をみるように
じっくり観察してみたがw、
東大合格とゲームの達人化には共通点があって
傾向を分析して対策を練り
反復練習を繰り返して
強靭化していくということのようだった。
しかし、それを仲間と実戦で磨きあうというのが
ゲームが受験と異なる点のようだ。
で、論理と情熱を対比しているのだが
そもそも「論理的人生」というものは可能なのだろうか?
「情熱的思考」というものが考えられないように
「論理的人生」というものもありえないように思う。
人生を決めるものは、情熱というかなんつーか、
そーゆーふーに生きることだけはオレにはできんという
選択肢を抹消しつづけていって
辛うじて残った細道を
これならオレは自分を譲っていないから生きる価値があるという
自負をもちながら朗々と鼻歌を歌いながらの歩みではなかろうか。
ふーむ。
われながら、地味なおっさんやのぉ(笑。