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なぜ私は松下幸之助が好きではないかということの説明(笑。

松下幸之助さんといえば
古くはナショナル、新しくはパナソニックの創立者さんですけど、

オレは好きじゃないんですよ(笑。
で、好きではないという理由を述べます。

まずですね、
余計な駄賃を取るという思想です。

松下幸之助さんの伝記を
お読みになった方はご存知だと思いますが、

彼は
おつかいをたのまれた時に有償でそれを行うわけです。

それを元手にして仕事をは始めるわけです。
しかし、みなさん、

思い出してくださいよ、
そんなこと、道徳の授業で褒められますかね。

そんなこと、ありませんよね。
道徳の授業は

非=金銭的でありながら
世間はふつーに金銭本位なわけです(笑。

むしろ、
学校ではおカネのもうけかたを教えるべきではないでしょうか(笑。

彼は先駆者です。
成功した先駆者がもうかるというのが、この世です。

けちなほうが成功するという処世訓をここから得ることができますね。
これが王道です。

けちでなくとも、儲かる道があると教えるのが
この処世訓の優れているところです。

もちろん、
ただの散財です(笑。

もうかるとはどいうことか。
基本は、他人に大変なことをさせて自分は上前をいただく、

これです。
これが松下幸之助もいらっしゃった資本主義時代の出来事です。

他人の苦しみを自分のものとして受け取らないことが
成功には必要とされます。

それができるのであれば、
あなたもまだ成功できるかもしれません(笑。

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他人が死ぬということを体感すると、こうなる(笑。

人は死ぬんですよ、最後は。
それをほど遠くない想定として考えてみると、

身体もひとつのバーチャルだなと思うんですよ。
なにしろ、

この世から撤収しちゃうわけですから。
で、撤収するとどうなるかというと

他人にとっては記憶となり
自分にとっては玩味すべき体験となるだけなんですよ(笑。

記憶と体験にしかならないんというのが、
この世でこんなに奮闘している結果なんですよ(笑。

そんなことのために生きているんでしょうかねえ。
たぶん、そうですけど。

だからオレとしては
いつかオレ様も亡くなるということを前提に生きていて

いつもそこから逆算していて、
お金も地位も名声も

まったく意味をなさない視点からの
光景として

余生を大事にしなさいねとしか言えないなあ(笑。

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オレはずっと他人がうらやましかった(笑。

オレはずっと他人がうらやましかった、
だって、その選んでいるのが簡単そうだったから(笑。

それでいいの。
そのくらいでいいの。

と、うらやましかった。
だから、オレは他人のことを信用していない(笑。

そのくらいで満足できるあなたと
オレは同志ではないからね。

オレにとってかけがえのない人たちは
そのくらいで満足できないひとたち(笑。

人生の貧乏くじを引いて、
それを論理的結末として理解する人たち(笑。

そんなひとたちは少数派に決まっている。
でも、だから大事。

オレの人生が簡単なものになるとは、
オレは思っていなかった。

そして、その通りになって
いまオレはそれを簡単なものに還元しようとしている。

人生の価値に
困難と容易は尺度を持てるのか。

無理だね(笑。
ということは、

またもや
われわれの納得度によるわけだ。

人生よ、
きみの返事を聞かせてくれ。
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オレはいつも人生を逆算している(笑。

オレの行動規範は、
このままで死んで後悔しないかどうかということだ。

オレが最も後悔するだろうと思えたことは、
メロディも書けずにこの人生を終えることだ。

幸い、
ルメディを曲げるぐらいはでき始めた。

オレとしては、
まあ、満足できるところまで来ている。

この先は、
バッハさまの弟子になろうかなと思っている。

音楽はこのくらいでいい。
で、大事なのは文学だ。

オレは最近、
書いて発表するようになった。

十分だ。オレは
他人の評価を、あんまり求めていない(笑。

評価してくれると嬉しいけど、必要ではない。
しかし、そうなると

あまりにものを識らないというのが残念に思えてきた。
せめて、世界文学の主要作品は読んでろよとか

日本の文学の韻文くらいは精通
してろよととかと思う。

で、そうする。
オレは本を読むという基本に戻る。

それがいい。
ハッピーだ(笑。
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バーチャルには段階がある(笑。

まあね、
いろんなものには段階があるのだが、

実はバーチャルにも段階がある。
いま、世間でいってねバーチャルは

身体という劣化する存在に対して
時間の侵食をうけない部分を

バーチャルと呼んでいる。
しかしね、

バーチャルはそこだけじゃないんだよ、
なんと、

自分というバーチャルがある。
ずっと観察していると

自分をやっている
役割としての身体がいることに気づく。

しかし、
本当の自分は役割としての自分ではない。

本当の自分は
そのことに気づいているけど、

それを許容してそれでもいいじゃんと言っている自分(笑。
でも、それもよくないと言ってる自分もいる。

だって、
そのペースでいったら自分のミッションすませられるかと

管理している自分もいるからね。
そうすると、

ほんとの自分とは
ほどほどてきとーに身体している自分を

まあ、そんなものだろうと許容している自分を
でも、そんなペースで間に合うのかよと心配している自分。

と、まあ、
ここまでは思うよね。

でも、そこで終わっているわけじゃなくて
間に合うのかよって心配してるけど、

やっぱ、
最後はうまく間に合ってこれまで通り

結局は、うまくできましたよっていくんじゃないのと
思っている自分がいるわけですよ。

で、
もしそうならなくても


自分のできる限りのことをしたならば
それは

自分の思う通りであったということではないのかなという自分もいるわけです。
ということは、

わたしの人生というものは
結局はうまくいくけれども

その瞬間瞬間では
絶えず欠乏感に悩まれるような展開を行う人生ではないかと

予想するわけです(笑。
うーん、

納得できるなあ(笑。
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われわれは進化するから代議士制のだめだめ性にも気づくよ(笑。

いろいろとね、
つまらないよ、この国の状態は(笑。

なんとかね、
安倍政権くらいはやめさせないとね。

しかし、まだつづきそうでしょ。
続いてもいいのかもね。

おカネで潤ってるうちは目覚めないのが
人間だもんね。

だから、
焦らずにどんまーい(笑。
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