LOVEで、ROCKで、SPIRITUALな詩人バッティの、今日の心の現像。
(Twitter→jakoushee)
バッティの☆作業日誌☆in 青森
アメリカのお役所、仕事はやい。もう番号戻ってきてるよっっっ(笑。
あれだけFAXを送るのに手間がかかって、
返送に1か月ぐらいかかるという噂だったのに、
1週間もしないうちに
番号手描きで書いて、送り返してくれたぞ、
アメリカの役所。
やるじゃないか。
つーか、
オレの作業が遅いのか(笑。
返送に1か月ぐらいかかるという噂だったのに、
1週間もしないうちに
番号手描きで書いて、送り返してくれたぞ、
アメリカの役所。
やるじゃないか。
つーか、
オレの作業が遅いのか(笑。
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オレの憂鬱はこの本から始まった(笑。
買ってしまったこの本。
「与論島移住史」というこのうすっぺらい本。
2005年刊行だから、
どうせなにかの焼き直しでしょとなめてたら、
やられたっっっっっっ(笑。
そもそも与論島からの移住は、
飢饉が原因だと聞いていた。
なるほど、
飢饉で飢えるくらいなら
九州の見知らぬ地方で、
働いてみるかと思うのも無理はないと思っていた。
が、そんなものではない。
当時の島の人口は5600人ぐらいらしい。
明治32年2月の第一回移住が240人。
あれ? 飢饉でみんな死ぬから移住したんじゃないの?
第二回移住が100人、
第三回移住が400人。
740/5600、
つまり13パーセント(笑。
あれ?
飢饉で飢え死にするから避難するにしては、
少ないねえ、割合が。
そこに、この記述はどうだ。
「しかし、のちの満州移住と違って、
この口之津移住には、階層的要素もからんでいた。
つまり、貧しい人やも分的に低い人が、少なくとも初期の募集には
まっさきに応じたのである。」
与論島にもヤンチュと呼ばれる借財のかたに働いている
下男下女がいて、それは特権階級の私有財産だったのだが、
その階層の人々が終身奴隷の身から免れるべく、
口之津移住に応募したらしい。
え?
それって?
オレの祖先様って奴隷だったの(笑?
奴隷でないとしても、
超貧乏な階層の方だったの?
え゛っっっっっっっ?
オレは、
経年劣化したからいまではかなりおっさんおっさんしているが、
若いころは、
ジャニーズ系の容貌と明晰な頭脳をもったナルシであった。
そんなオレさまの先祖さまは超低層社会の人だったのか?
もしそうだとしたら、
なぜもっとみんなオレに社会的成功を目指させなかったのか(笑。
オレ、ただの詩人ちゃんだぞ。
そうか、
それはもう里住じーさまが一代でなしとげたことだから、
あとは好きなように生きていいぞということになったのか。
ふーむ、
社会的成功に向かって生きろと言われても
もちろん、そんなことはできないから
ただのストレスになるだけだったろうが、
そういうオレをそのままでのびのび放置してくれた両親のおかげというやつか。
猛然と、
曾祖父の直熊さんのことを知りたくなってしまった(笑。
直熊さん、
あなたの人生はどういうものだったのでしょうか。
そーか、
それをじーさまはオレに書いてほしかったのか、
すんまそん、すんまそん、
当時のオレにはそこまでの他人再現能力がなかったんですよ。
じゃあ、
いまならできるのか(笑。
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