大奥は、春日局が「御局より奥へ、男出入りあるべからざる事」と定めて以来、男子禁制となりました。入れるのは将軍様ただ一人。一説には三千人ともいわれる女たちが、将軍様お一人のために働いていたわけです。大変ですね~。そこで将軍様の正妻である御台(みだい)様はどのような一日を送っていたのでしょうか。
まず朝は六つ半(七時頃)お目覚めになります。するとお付きの中臈や女小姓たちが入ってきて、御台様の髪を梳き、その後うがいをしてから御台様は御化粧の間へ移ります。ここで複雑多彩な厚化粧をするわけですけれど、これも春日局が「女の寝顔はすさまじきものなれば、朝寝して人に見られんは恥ずかしきことなり」と訓話して以来、大奥の伝統的習慣となったようです。
化粧が済むとようやく朝食になり、二の膳のつく贅沢な食事をとります。食事のあとは着付けですね。これも中臈や女小姓たちが総出で着せてくれます。そして縮緬の豪華な総模様の打掛をまとうと間もなく総触(そうぶれ)の時刻。総触というのは今日でいう朝礼のようなもので、午前十時頃、仏壇礼拝のために大奥入りした将軍様に挨拶するわけです。よくドラマで見ますよね。お鈴廊下に居並んで平伏する大奥女性たちの姿。将軍様は御清の間で仏壇礼拝をし、御小座敷(おこざしき)で朝の総触れを行います。御台様はじめ御年寄、御中臈たちは将軍様に朝の挨拶をしました。総触のあと、月に五、六回は御対面所で健康診断もあったということです。
徳川氏奥向きの図(『風俗画報』より)
それやこれやで午前中はあっという間に過ぎ、将軍様は中奥へ戻られ、御台様はご休息の間でひとり淋しく昼食をとります。昼食後は少し自由時間があって読書をしたり茶の湯、生花、或いは中庭を散歩したりすることもできましたが、午後二時頃になると不意に将軍様が見えることもあります。政務の疲れを休めるために御台様と双六をしたり、雑談をしたりするのですが、ずっと居続けることはなく、また中奥へ戻られます。その後時間があれば御台様は再び自由時間を楽しみますが、午後四時頃になると「お楽召(らくめし)」というくだけた御衣裳に着替えられます。寒い時は上に被布(ひふ)を着ました。その前後にお風呂を召されるのですが、これも中臈がついていて五体のすみずみまで磨き上げてくれます。
御本丸大奥将軍御寝所之図(『風俗画報』より)
将軍様の大奥入りはおよそ暮六つ(六時頃)。御休息の間で御台様と夕食をともにされます。本膳は御汁、御平(煮物)、高坏(たかつき)、膾皿(なますざら・小鳥の肉)など、二の膳は豆腐や卵の淡汁(つゆ)に、鯛やホウボウの照り焼きがきまりものでした。さらに春慶塗の三方には勝栗・きんとん・蒲鉾などの口取(くちとり)が盛られており、豪華版であったことは間違いありません。その食事をなんと十数人分も作り、そのうち二人前をお出ししたのですから、残りは誰が食べたんでしょうね。毒味にも時間がかかりましたから、将軍夫妻が食べる頃にはすっかり冷めてしまっていたようです。食後、お琴や投扇興などのお遊びをなさることもありますが、もっぱら御寝(ぎょし)を急がれる将軍様もあったとか。そうして大奥の一日は終わるのです。贅沢はできても籠の鳥ですね。
参考・稲垣史生著『考証 江戸武家史談』(河出文庫)
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