ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)

2016-12-18 18:41:09 | 日記
 今年はひとり息子が結婚するという一大イベントがあり、季節も寒暖差が大き過ぎてすっかり体調がおかしくなりましたが、無事に終わってくれたら幸いです。

 最近は結婚までの過程がいろいろで、まずは入籍、挙式前の新婚旅行といった具合。古い人間からするとよくわかりません。順番には拘らないのでしょうね。
 息子の挙式はこれからなのですが、すでに入籍も新婚旅行も済ませています。旅行先はドイツ。ライン下りを楽しみ、かの名城ノイシュバンシュタイン城を見学してロマンチック街道の旅を満喫してきたようです。今年はその時の写真をもって終わりにしたいと思います。

 ノイシュバンシュタイン城遠景

 このお城はバイエルン王ルートヴィヒ2世が19世紀に建てたもの。ただただ中世への憧れから生まれた近代的建造物なのですが、ルートヴィヒ2世は自身の作品として残したいと考えたようです。ですから要塞としての機能も、宮殿としての機能も充分ではありません。いわば趣味のお城なのですが、伝統的な石造りではなく、コンクリートやモルタルが使ってあるという、これまた中途半端。

 こうした王の趣味に費やす経費は膨大で、危機感を募らせたバイエルン政府は王を軟禁します。そして謎の死を遂げることになるのですが、王がこの城に住んだのはわずか102日あまりだったとか。ディズニーランドの城のモデルともいわれ、観光客を集める名城となっているノイシュバンシュタイン城。当時は浪費の対象とされたこのお城が、今では外貨を稼いでいるのですから何が幸いするかわかりませんね。こういう王様がいないと、壮大な文化遺産は生まれてこないのかもしれません。

 今年一年、つたないブログにおつき合いくださった皆様、本当に有難うございました。来年もよろしくお願い申し上げます。
 そして新しい年が皆様にとって最良の年となりますように…。

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夢の浮橋(奥多摩湖)

2016-12-04 18:26:45 | 日記
 数年前、紅葉を見に奥多摩湖へ出掛けたことがありました。紅葉には少し早く、あまり色づいてはいませんでしたが、意外なものを発見して小躍りしたのを覚えています。最近ではほとんど見かけなくなった浮橋です。浮橋というのは小舟をロープや鎖で繋ぎ、その上に橋桁を置いて人が渡れるようにしたものです。私はてっきりそれだと思い近くまで行ってみたのですが、何とそれはドラム缶の橋でした。でも浮橋には違いありません。

 奥多摩湖   ドラム缶橋

 浮橋といえば『源氏物語』の最後の巻名「夢の浮橋」が真っ先に思い浮かびます。光源氏が死んで、表向きは源氏の子である薫の時代を描いた宇治十帖と呼ばれる部分ですね。匂宮(におうのみや・源氏の孫にあたる)と薫の板挟みになった浮舟(うきふね)は、悩みぬいた末宇治川に身を投げようとし、浮舟の訃報を聞いた薫や匂宮は嘆き悲しみます。それでもそれを忘れようとするように女を求める二人。死んだと思われた浮舟は生きていて、出家していたのですが…。

 ダム付近   ダムからの眺望

 奥多摩湖には小河内ダムもあるのですが、そこの夕景がとても幻想的で、浮舟と匂宮の逢瀬を連想させます。匂宮が用意した対岸の家に浮舟を連れ出し、二日間をそこで過ごすのですが、そのために宇治川を渡った時の情景がちょうどこんな感じだったのではないかと…。そしてこの時浮舟が詠んだ「橘の 小島の色は かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ」という歌から女性の呼称が生まれたといわれています。

 詳細は『源氏物語』を読んでいただくしかありませんが(何しろ長いので)、あの時は浮橋という響きに惹かれてドラム缶橋を渡りました。ゆらゆら揺れて、ちょうど吊り橋を歩いているような感覚でしたけれど、楽しくなって何度も行ったり来たりしたのを覚えています。人間の人生も、あの浮橋のように波間に漂っているようなものかもしれません。夢の中のあやうい通い路を、紫式部は「夢の浮橋」という言葉で表現したのでしょうか。

 春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空(定家)

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