前回深川芸者の心意気について触れましたが、これは江戸っ子の美学にも通じることなので、今回はそれについて考えてみましょう。
江戸初期から数十年の間、江戸特有の個性というものはありませんでした。しかしやがて強烈な自意識、独特の気性が出てきます。江戸っ子といわれる人々です。この江戸っ子とは本来、「粋(いき)」と「通(つう)」と「はり」に生きた人々のことであり、ある意味で精神性の高い人々であったともいえるでしょう。
粋とはもともと意気のことで、元気があって色っぽく、垢抜けていて新しもの好きのことをいいます。さりげなさが身上で、わざとらしく格好をつけるのは野暮天(やぼてん)といってさげすみました。粋と幾分似ているものに鯔背(いなせ)というのがあります。魚の鯔(ぼら)のように背を丸めて気負った姿をいい、気っ風がよくて威勢のよいことを指します。野暮天相手に斜にかまえるのが粋なら、「こわくはねぇぜ」と強がって見せるのが鯔背。「粋の深川、鯔背の神田」といわれるように、深川には色っぽさがあり、職人の多い神田は男っぽくて威勢が良かったんですね。
町人たちは自らの生活を豊かに楽しもうとし、芝居や遊里、歌舞音曲や祭礼などの娯楽に精を出しました。趣味や遊びに通じることはお金も大変ですけれど、長い修練をやり通す精神力も必要です。そして遊びの極致をきわめることが通人としての資格であり、通といわれるものでした。通が遊びをきわめる行動原理なら、粋はそれを支える美意識であったともいえます。よく芝居や落語に登場する大店の若旦那。心意気もあり、遊び上手で、人情の機微に通じ、融通が利くという、生き方自体が生活美学になっている人々。これが通と呼ばれる人たちだったんですね。
もう一つ、はりというのがありますが、これは文字通り張り合うことです。歌舞伎に「助六」というのがありますよね。助六は最初から最後まで徹底的に張り合っています。いうなれば、助六ははりの勝利者ですけれど、ただこのはりは我を張り通すのではなく、義と侠に裏打ちされた自意識のはりでもあります。黒羽二重(くろはぶたえ)に紅絹裏(もみうら)という粋な着付け、相手への小気味良い啖呵など、江戸っ子の美意識が集約されているのも見どころです。
助六
子供の頃、萬屋錦之介(よろずやきんのすけ)さん演じるところの「一心太助(いっしんたすけ)」という映画がありました。ただの魚屋なのですが、威勢がよくて義理人情に厚い江戸っ子の典型として描かれています。少し意地っ張りなところもありましたが、意地でも何でも美学を持っているというのはいいですね。その美学を死ぬまで貫いた人には憧れますけれど、あんまり長生きすると意地もはりもなくなって、みっともない生き様になるのではないかと心配になります。