夏休みに入り、海山のシーズンになりましたね。以前はよく高尾山に行きましたけれど、最近は人が多過ぎて山へ行った気がしなくなりました。それはそれで楽しいのですけれど、ちょっとした山登り気分を味わって涼を得たい方は、谷をひとつ隔てた八王子城跡など如何でしょう。
城跡といっても遺跡も少なく、ほとんど人気(ひとけ)のないただの山です。高さは460mほどで高尾山より少し低いくらいですが、観光地化されていないので、山そのものを楽しみたい方にはいいかもしれません。管理棟やガイダンス施設もあるので、トイレの心配もありませんし、駐車場は50台くらいまでOKです。
入り口 登山道
八王子城は戦国時代末期、北条氏照(ほうじょううじてる)によって築かれ、後北条氏の支城の中でも重要な城の一つになりました。急峻な山に築かれたこの城は、難攻不落の名城だったんです。山の麓にはふだん暮らしていた屋敷がありましたが、そこにも曳橋(ひきはし)があったり(戦の時は取り外すことができる)、虎口(こぐち)といって敵が侵入しにくい工夫もなされていました。曳橋のあたりは安土城に似ているともいわれています。
本丸跡 眺望
ところがかの有名な秀吉の北条攻めが始まり、本城の小田原城は秀吉の大軍に囲まれてしまいます。さらに秀吉は北条氏の支城を配下の大名たちに攻め落とすよう命じました。八王子城へは前田利家と上杉景勝の連合軍がやってきます。この時氏照と精鋭部隊は小田原城にいたため、他の家臣たちが守りにあたっていました。前田・上杉両軍は猛攻撃を開始し、壮絶な戦いの末、八王子城は陥落してしまいます。天正18年6月23日のことでした。
これによって小田原城に籠っていた北条氏直(うじなお)、氏政(うじまさ)、氏照らは7月5日に降伏し、秀吉の天下統一が成りました。八王子城陥落からわずか12日、いかにその打撃が大きかったかがわかります。関東は秀吉の支配下となって、この地は家康に与えられることになるのです。
6月23日というと旧暦では今頃の暑い時期になります。そんな時にあの重い甲冑を着て戦ったわけですから、敵に斬られる前に熱中症になってしまいそうな気がしますけれど、八王子城に籠った氏照の家臣たちは必死の抵抗を試み、かなり凄惨(せいさん)な戦闘が繰り広げられたようです。城方の戦死者だけで1300人に及び、屍が累々と山を覆ったと伝えられています。
そのためさまざまな伝説も生まれました。毎年6月23日になると軍兵(ぐんぴょう)のどよめきや呻(うめ)き声が聞こえてくるとか、子持ちグモが多いのは子供を抱いた婦女の自決があったからだとか、渓流にはヒルはいない筈なのに城山川にヒルがいるのは血汐が化したものだとか…。とにかく多くの血が流れたことは確かです。そのために城山川は赤く染まり、血の色が収まってもその水で米を炊くと赤飯のようになったといわれています。
どうでしょう。涼しくなること間違いなしです。夏の夜は肝試しにいいかもしれませんね。
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城跡といっても遺跡も少なく、ほとんど人気(ひとけ)のないただの山です。高さは460mほどで高尾山より少し低いくらいですが、観光地化されていないので、山そのものを楽しみたい方にはいいかもしれません。管理棟やガイダンス施設もあるので、トイレの心配もありませんし、駐車場は50台くらいまでOKです。
入り口 登山道
八王子城は戦国時代末期、北条氏照(ほうじょううじてる)によって築かれ、後北条氏の支城の中でも重要な城の一つになりました。急峻な山に築かれたこの城は、難攻不落の名城だったんです。山の麓にはふだん暮らしていた屋敷がありましたが、そこにも曳橋(ひきはし)があったり(戦の時は取り外すことができる)、虎口(こぐち)といって敵が侵入しにくい工夫もなされていました。曳橋のあたりは安土城に似ているともいわれています。
本丸跡 眺望
ところがかの有名な秀吉の北条攻めが始まり、本城の小田原城は秀吉の大軍に囲まれてしまいます。さらに秀吉は北条氏の支城を配下の大名たちに攻め落とすよう命じました。八王子城へは前田利家と上杉景勝の連合軍がやってきます。この時氏照と精鋭部隊は小田原城にいたため、他の家臣たちが守りにあたっていました。前田・上杉両軍は猛攻撃を開始し、壮絶な戦いの末、八王子城は陥落してしまいます。天正18年6月23日のことでした。
これによって小田原城に籠っていた北条氏直(うじなお)、氏政(うじまさ)、氏照らは7月5日に降伏し、秀吉の天下統一が成りました。八王子城陥落からわずか12日、いかにその打撃が大きかったかがわかります。関東は秀吉の支配下となって、この地は家康に与えられることになるのです。
6月23日というと旧暦では今頃の暑い時期になります。そんな時にあの重い甲冑を着て戦ったわけですから、敵に斬られる前に熱中症になってしまいそうな気がしますけれど、八王子城に籠った氏照の家臣たちは必死の抵抗を試み、かなり凄惨(せいさん)な戦闘が繰り広げられたようです。城方の戦死者だけで1300人に及び、屍が累々と山を覆ったと伝えられています。
そのためさまざまな伝説も生まれました。毎年6月23日になると軍兵(ぐんぴょう)のどよめきや呻(うめ)き声が聞こえてくるとか、子持ちグモが多いのは子供を抱いた婦女の自決があったからだとか、渓流にはヒルはいない筈なのに城山川にヒルがいるのは血汐が化したものだとか…。とにかく多くの血が流れたことは確かです。そのために城山川は赤く染まり、血の色が収まってもその水で米を炊くと赤飯のようになったといわれています。
どうでしょう。涼しくなること間違いなしです。夏の夜は肝試しにいいかもしれませんね。
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