ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

吉幾三、来たる!

2016-02-29 18:39:17 | 日記
 今回は文学・歴史を少し離れて、ご近所のショッピングモールへ有名人が来たというお話です。
 先週27日の土曜日に、アリオで吉幾三さんのミニコンサートが行われました。アリオではさまざまなショーが行われますが、これほどメジャーな方が来るのは珍しいので、とにかく席を確保しようと、開演時間よりかなり早目に家を出ました。駐車場は意外にもいつも通りの混み具合だったので、これなら大丈夫と思ったのですが…。

 車で来られる方ばかりではないんでしょうね。特設ステージの前には長蛇の列ができていました。座席数をはるかに上回る人数でしたので2階を見上げると、立ち見席もすでに満員状態。仕方なく時間をつぶして30分前になってから並びました。幸い私の前の方が背の低い方だったので、何とか見ることができましたけれど…。

 生の吉さんを見るのは初めてでしたが、身長が高いので舞台では見栄えがしますし、司会者との軽妙なトークも面白く、楽しい時間を過ごさせていただきました。撮影禁止でしたので写真を撮ることはできませんでしたけれど、「雪国」、「酔歌」、「酒よ」、そして新曲「ひとり北国」をライブで聞くことができたのは幸運でした。
 因みに新曲CDを買われた方には、握手券とサイン色紙がプレゼントされたとか。

    特設ステージ(開演前)

 2時間前から2階の立ち見席に陣取っておられた中高年のおば様方の中には涙ぐんでおられた方もいました。やはり生はいいですね。感激します。
 益々高齢化が進む中、吉さんの仕事場は拡大していく予感がありました。

 マイホームページ   おすすめ情報   もうじき「ペルー(マチュピチュ)」編アップする予定です。お楽しみに!

王朝人の恋

2016-02-21 18:43:58 | 日記
 バレンタインデー終わってしまいましたね。人によっては煩わしい行事ですが、女性から告白できるというのは画期的なことです。昔はそんなこと考えられませんでしたから。

 さて昔も昔、大昔、平安時代の恋ってどんなものだったのでしょう。資料が限られているので主に貴族のお話ですが、貴族の女性たちは深窓に育ち、ほとんど人に顔を見せるということはありませんでした。勿論、女性が男性に告白することも。自由恋愛がなかったわけではありませんが、それは主に男性側からの働きかけで成立するものでした。

 まず男性が女性を見初めるのはどんなところからかと申しますと、どこそこに美しい姫君がいるとか、その姫君は何に秀でているとかいう噂を耳にしたり、乗っている車の風情や従者の佇まい、或いは御簾の下からはみ出している装束の色目などから興味を持つんですね。そして手紙や歌を送ったりすると、それに対する返事や返歌によって女性の教養などを判断したりしました。

 ま、とにかく対面を果たしてやっと顔を見るわけですから、思い描いた女性とは異なる場合もあるわけです。「源氏物語」に登場する末摘花(すえつむはな)がまさにその例で、常陸宮(ひたちのみや)が晩年に儲けた琴の上手な姫君がいると聞き、傍に仕える命婦(みょうぶ)に手引きさせて逢瀬を果たすのですが、これがなんと赤鼻の醜女(しこめ)だったんですね。源氏は失った恋人、夕顔の面影を求めて近づいたので落胆するのですが、捨てたりしないところが光源氏。ちゃんと面倒を見るんですよ。

 一方、女性の方はどうやって男性の気を惹くかと申しますと、主に装束の色目です。貴族の女性はセレブの常用車である網代車(あじろぐるま)に乗っているのですが、御簾の下からそっと見えるように衣の裾を覗かせています。その襲(かさね)の色目で身分やセンスを競うんですね。

 源氏物語絵巻   出衣(いだしぎぬ)

 襲(かさね)の色目にはいろいろな説がありますけれど、源雅亮(みなもとのまさすけ)が著した書物によると、五衣(いつつぎぬ)と単(ひとえ)の構成で色目を表現しています。この上に表着(うわぎ)や小袿(こうちぎ)、唐衣(からぎぬ)などを着用しますので、表に見えるのはごくわずかですが、袖の部分に表れるこの襲(かさね)の美しさでセンスを競いました。

 紅梅の匂い   雪の下

 上のように襲(かさね)にはそれぞれ名称があって、匂いというのは同系色のグラデーションを表しています。着用する季節も決まっているのですが、「紅梅の匂」は四季を通して着用し、祝儀用としても用いられたようです。「雪の下」は冬用で、五節から春までと決まっていました(八条忠基著「平安文様」による)。

 「源氏物語」の中で柏木(かしわぎ)が女三の宮(おんなさんのみや)を御簾の端から垣間見る場面があるのですが、次のように描写しています。
 「紅梅にやあらむ 濃き薄き すぎすぎに あまたかさなりたるけぢめはなやかに 草子のつまのように見えて 桜の織物の細長なるべし」

 紅梅というのが襲(かさね)の色目なんですね。濃い色から薄い色へ次々に幾重にも重なった色の移り具合もはなやかで…、となっていて、このあと髪の描写になり、その姿の可憐さが語られます。装束の美しさや姿の優美さが男性を虜にしたんですね。

 薬子の時代にはまだこのような装束文化はありませんでしたけれど、きっと当時の装束でもセンスが良かったのでしょう。平城天皇が皇太子時代に見初めてしまったのですから…。かなり年上の女性だったにも拘わらず。

 マイホームページ   おすすめ情報(『薬子伝』よろしくお願いします)
 

江戸のアイドル

2016-02-07 19:02:54 | 日記
 SMAP騒動、何とか収まってよかったですね。これからどうなるかわかりませんけれど、40歳を過ぎてのアイドルも大変なのかなあと思います。

 江戸時代のアイドルといえば、やはり歌舞伎役者。今の感覚とはちょっと違いますが、人気者であったことは間違いありません。江戸歌舞伎の宗家といわれる市川家、勿論現代にも受け継がれていますよね。海老蔵さんはやがて団十郎を襲名するでしょう。市川家は荒事(あらごと)をお家芸としていますが、中でも「助六」、「暫(しばらく)」、「勧進帳」などは当たり芸といわれ、歌舞伎十八番を創始したことでも知られています。

 助六の復元模型  暫(しばらく)の絵看板

 上の写真はいずれも江戸東京博物館で復元されたものですが、黒羽二重に紅絹裏(もみうら)という助六の粋な着付けこそ、江戸っ子の美意識の象徴といえます。
 他にも尾上菊五郎、沢村宗十郎(三代目)や瀬川菊之丞(三代目)なども人気を博しました。歌舞伎の家にスキャンダルはあってはならないことですが、有名なところで江島生島事件などもありましたね。結果、大奥御年寄の江島は信濃高遠へ流され、歌舞伎役者の生島新五郎は三宅島へ流刑になったとか。恋も命懸けです。

 男性アイドルといえば相撲取りや町火消しの頭も人気者だったようです。相撲取りは力持ちでしたし、火消しの頭は粋で鯔背(いなせ)で勇ましいといって女性にもてたようです。江戸の女は少々気の荒いところがありましたから、優柔不断なのは駄目だったんですね。

 一方女性アイドルはと申しますと、お大尽様の場合は吉原の花魁ということになるのでしょうね。しかしそれは高嶺の花。一般庶民のアイドルといえば水茶屋の茶汲女(ちゃくみおんな)だったようです。特に明和の三美人といわれた笠森(かさもり)お仙、柳屋お藤、蔦屋およし、寛政の三美人といわれた難波屋おきた、高島屋おひさ、菊本おはんなどが有名で、彼女たちは錦絵にも描かれ、益々評判になっていきました。お仙などは森田座で狂言にまでなったとか。

 右から難波屋おきたと高島屋おひさ(歌麿画)

 彼女たちを見るために、茶屋へ通い詰める男たち。こんな川柳が生まれました。
 大たわけ 茶見世で腹を 悪くする
 お腹を悪くするほどお茶を飲むなんてお馬鹿さんですよね。でもちょっと可愛らしい。いつの時代にも生きる糧としてのアイドルは必要だったのかもしれません。

 マイホームページ   おすすめ情報(『薬子伝』)   「ソウル編2」アップしました!