ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

スカイツリーと亀戸天神

2011-11-30 18:49:04 | 日記
 リアルタイムからずれてしまいましたが、11月に入って亀戸天神へ行ってきました。江戸時代の版画家たちが競って描こうとした風景を見たかったからです。本当は梅か藤の咲く季節に行きたかったのですが…。

 まず錦糸町の駅で降り、「仁」で有名になった錦糸公園を抜けると、何かと話題のスカイツリーが見えてきます。遠くにあるのに間近に見えるのは、やはり大きいからでしょうね。いい目印になります。あの付近の人たちは迷子にならなくて済みますね。

 太平四丁目交差点付近から見たスカイツリー   亀戸天神入り口



 亀戸天神は少し早い七五三の人たちで賑わっていました。梅や藤には間に合いませんでしたが、菊花展が開催されていて、珍しい菊の花や菊の花で作ったスカイツリーもありました。

 広重や北斎が描いた太鼓橋はそれほど大きいものではありませんでしたが、江戸情緒の名残が境内には残っていました。何より亀が気持よさそうに後ろ足を伸ばしていた姿が印象的で、都会の喧騒を忘れられる空間が広がっていました。

 太鼓橋から見た亀戸天神  亀



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長瀞ライン下りと川越大師喜多院

2011-11-23 18:49:04 | 日記
 10月になって、やっと長瀞のライン下りへ行くことができました。何しろ台風15号の影響で船着場が流されてしまい、増水もあったために9月の連休は予定を変更して相模原公園に行ったのです。

 以前からライン下りというのを体験したいと思っていたのですが、鬼怒川でも木曽川でも実現しませんでした。初めての船下りです。

 今年はライン下りの事故もあったので、ちょっと不安でしたが、全員救命胴衣をつけるので心配要りませんとのことでした。むしろ節電のこの夏は、涼を求めた人たちで盛況だったそうです。船頭さんの舵取りも見事で、岩との間数センチですいすい抜けていきました。かっこいい!

       今頃は紅葉がきれいでしょうね。



 帰るにはまだ早かったので、川越の喜多院に寄りました。江戸時代初期に天海僧正が住職を務めたお寺としても有名ですが、最近では大河ドラマで「家光誕生の間」が紹介されました。

 何故そんなものがあるかというと、寛永15年(1638年)に川越の大火で堂宇を焼失したため、家光が堀田正盛に命じて復興させたのだそうです。その時に江戸城紅葉山の別殿を移築して客殿や書院にあてたのですが、その一部に「家光誕生の間」と「春日局の化粧の間」があったのだそうです。湯殿や厠(かわや)などもあって、当時の生活様式を垣間見ることができます(撮影禁止)。

    江戸城紅葉山を模した奥庭と多宝塔



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相模原にある公園

2011-11-16 19:22:17 | 日記
 相模原には素晴らしい公園がたくさんあります。
 淵野辺駅前にある鹿沼公園の池には亀がたくさんいて、お天気の良い日には甲羅干しをしています。春の桜の頃は圧巻です。
 また北公園は起伏に富んでいてウォーキングには最適ですし、四季折々の草花も見る人を飽きさせません。雑木林も夏の暑い日には木陰を提供してくれます。
 でもその木々が、9月の台風15号で倒れました(200本以上)。我が家のベランダの隔壁板も飛んでしまったくらいですから、これまでに遭遇した台風の中では最大級のものです(私のこれまでの人生で、ですが)。今年は震災と合わせて2度も怖い思いをしました。3度目がないことを祈っています。
       (最後の写真は後日、切り倒されてからのものです)

 台風のあと、予定していた船下りへ行けなかったので、県立相模原公園へ行きました。ここにはフランス式の庭園があって、さまざまな花に彩られる季節は実に見事なのですが、やはり台風の影響でしょうか、色褪せて見えました。それでもたくさんの家族連れが来ていましたよ。
 隣接の麻溝公園も家族連れで賑わっていましたし、動物広場にもポニーに乗った子供たちの姿がありました。日本はまだまだ大丈夫です。

         


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初ブログです(東日本大震災を契機に電子本出版しました)

2011-11-11 19:41:57 | 日記
 何を書いていいのかわかりませんが、とにかく始めてみました。



 早くも東日本大震災から8ヶ月が経ちました。我が家のリビングボードにはあの時の爪あとが今も残っています。

 9階にある我が家はあの時かなり揺れました。私はこたつの下に潜って「もうやめて!」と叫んでいたのを覚えています。かなり長い時間でした。リビングボードや周りの棚から物が投げ出され、昔子供が作ったゾイドが炸裂しました。


 揺れが止まってもまたすぐに揺れ始め、携帯電話も通じなくなりました。叫びながら主人にメールを送っていたのを思い出します。揺れが止まってふと気づくと、テレビも消えており、その時停電に気づきました。陽は傾き始めています。このまま電気がつかなければ大変。そう思って散らかった部屋を片付け始めました。今夜寝る場所だけは確保しておかなければと思ったのです。


 あの日はまだ結構寒かったのでコートを着、懐中電灯や非常食、水などを準備しました。明るいうちに、できることはやっておかなければ…。

 あいにく携帯ラジオを準備していなかったので、何の情報もありません。携帯電話のテロップで震源地が宮城県沖だと知りました。その携帯電話もバッテリーが残りわずかになっていました。



 真っ暗になっても電気がつかず、町もあたり一面闇に包まれていました。物音ひとつせず、静まり返った部屋の中で、私は布団をかぶって寒さに震えていました。体力を消耗させないためにじっとしていたのですが、それでなくとも血流が悪いので、動かずにいるのも不安でした。寒さで体が震えていると自然に力が入り、血圧も上がっていくようで少しも休まりません。心筋梗塞になるかも、と思った時でした。やっと子供と電話が繋がったのですが、バッテリー残量が少なくなっていたため、無事を確認するくらいですぐに切らなければなりませんでした。普段は口数の少ない子ですが、あの時だったらいろいろ話してくれたのかもしれないと思うと、今でも残念でなりません。



 余震も多く、蝋燭をつけて夕食をとろうとすると揺れがきます。蝋燭を消し、懐中電灯を持ってトイレへ駆け込むといったパターンを何度繰り返したことでしょう。何を食べても喉を通らない状態でした。主人も帰宅困難者で、8時間後に電気がついたあと(真夜中)にやっと帰ってきました。この地域が震度5弱だったと知ったのも、それからのことでした。被災地の方とは比較になりませんが、本当に怖い思いをしました。これを契機に、何か自分が生きた証しを残したいと思うようになったのです。



 というわけでこの10月に「栄光のかけら」という電子本を出版。現在ホームページ制作中です。
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