ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

嵯峨野の風景と台風21号

2018-09-30 19:35:55 | 日記
 先週念願の京都へ行ってきました。どこへ行っても外国人が多く、耳に入ってくるのは外国語ばかり。ここは一体どこの国なんだろう、と思ったくらいです。今日は台風24号の影響で新幹線が止まってしまったようで、昨日帰って来られて実に幸いでした。ホッ!


 さてその京都ですが、結構台風21号の影響が出ていましたね。最終日に嵯峨野方面へ出掛けたのですが、保津川下りは中止になっていました。保津川沿いの山の木が大量に倒されていて危険だとのことでしたけれど、トロッコ列車には乗れました。保津川沿いを往復するロマンチック列車。期待通りの美しい風景でしたよ。途中、大木がたくさん倒されて木肌が剥き出しになっている場所が見えましたけれど、本当に残念なことです。

 保津川


 中井貴一さんのCMの影響でしょうか。竹林は人力車で行きました。乗ってみたくなったんですね。車夫のお兄さんもとても親切で、ガイドもしっかりしてくれたので、それだけの価値はあったと思っています。ここでも台風21号の爪跡が残っていて、竹が随分倒されていました。真っ直ぐに伸びた竹林の中に倒れかけた竹があって、風景を乱してしまうのはとても残念です。それでもたくさんの人が楽しそうに散策していましたけれど…。

 竹林


 次はあまり訪れる人のない落柿舎へ。芭蕉の門人向井去来(きょらい)の草庵です。茅葺の屋根や蓑と笠がかけてあるところなど、さすが俳人。侘びた風情がいいですね。ここでも見つけました、台風21号の爪跡。まだ青い柿の実が落ちて潰れていました。落ちるには早い柿の実です。背景には小倉山があり、百人一首の世界も広がっています。この風景を残すために、市は落柿舎の前の空き地を買い取りました。近代的な建造物に埋もれるのを憂いたのでしょうね。京都は市をあげて、市民全体で伝統や文化を残そうとしています。

 落柿舎

 最後は夢窓疎石で知られた天龍寺。京都五山第一位の寺格を誇り、1994年には世界文化遺産に登録されたお寺です。大方丈前にある曹源(そうげん)池は台風の影響も感じられず、嵐山、亀山、小倉山を借景として美しい姿を見せていました。

 天龍寺の曹源池


 今日は台風24号が日本列島を縦断していきます。どうか各地の被害が最小限に止まりますように…。


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江戸の月見

2018-09-16 19:27:36 | 日記
 今年は災害が多いですね。日本はどうなってしまうのだろうと心配になりますが、北海道地震で被災された皆様には謹んでお見舞い申し上げます。冬が来る前に生活の基盤が整えられ、日常が取り戻せるよう願ってやみません。


 今日は少し暑かったようですが、それでも大分涼しくなってきましたね。もうすぐ秋のお彼岸。そして秋分の日の翌日は十五夜です。そろそろお月見の季節。昔はすすきをとってきて、お団子と一緒にお供えしたものですが、最近は月を見ることさえも忘れてしまうことがあります。スーパームーンの時にはメディアも大騒ぎするので写真を撮ったりしましたけれど、今年はどうなんでしょうか。


 そのお月見、風流を愛する平安貴族のものだとばかり思っていたのですが、江戸時代にも盛んだったんですね。庶民生活が豊かになってくると庶民の間にも広がり始め、お供え物としてすすきを十五本または五本、そして米粉の団子十五個がきまりでした。一家で仲睦まじく団子を作り、一人十五個ずつ食べたそうです。団子を軒先に飾っておくと、近所の子供たちが長い棒きれやお箸などで突いて盗んでいきます。たくさん盗まれるほど縁起がよいとされていたので、誰も咎めません。公然と盗めるものだったんですね。


 十五夜が終わると次は「十六夜(いざよい)」、十七日は立って待っているうちに出てくる「立待月(たちまちづき)」、十八日が「居待月(いまちづき)、座敷で待っているだけで月がでますが、横になって待たなければならないほど月の出が遅くなるのが十九日の「臥待月(ふしまちづき)」です。江戸の月見はこれだけで終わりません。最も賑わったのは「二十六夜待ち」で、午前二時くらいに出てくる月を待つんですね。屋台や月見舟が出て、どんちゃん騒ぎをしながら月が出るのを待ちます。曇りで見えなければ「無月(むつき)」、雨で見えなければ「雨月(うげつ)」といい、月が見えなくても夜更かしを楽しみました。

 要するに、江戸の月見は花見同様、飲んで食べて騒ぐものだったようです。

 愛宕山の秋の月(英泉画)

 玉川秋月(広重画)


 江戸から少し離れましょう。「月見れば…」(マイブログ)にも書きましたが、月は人に物思いをさせるもの、そして忘れていた人を思い出させるものでもあります。
 月を見し 去年(こぞ)の今宵の 友のみや 都にわれを 思い出づらむ(平忠度)

 西行にも「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」というのがあります。嘆けといって月は物思いをさせるのだろうか。そうではないのに、月のせいにして流れるわが涙よ。というように月は人に物思いをさせ、涙を流させるものと考えられていた時代がありました。センチメンタルかもしれませんが、そんな月も私は好きです。


 スマホを見ながら下を向いて歩く時代では、夜空を見上げ、月を見て、人を思い出すことなんてないかもしれませんが…。


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ルネッサンスを支えた家

2018-09-02 19:37:58 | 日記
 夏休みも終わってしまいましたね。楽しい思い出を残された方も多いことでしょう。我が家の息子夫婦も、この夏イタリアへ旅してきました。ローマ、フィレンツェ、ベネチアを巡る8日間の旅を満喫してきたようです。ローマもベネチアも見どころはたくさんありますけれど、今回のテーマはルネッサンス。ルネッサンスといえばやはりフィレンツェです。そしてルネッサンスを語る上で欠かせないのがメディチ家。この家の庇護なくして、ルネッサンスは花開かなかったでしょう。

 フィレンツェの街

 サン・ロレンツォ教会

 上のサン・ロレンツォ教会の裏手にはメディチ家礼拝堂があって、メディチ家の廟墓に通じています。廟墓がある新聖具室はミケランジェロによって設計、装飾されたもので、特に棺は必見とか。

 ミケランジェロもそうですけれど、メディチ家によって庇護された芸術家はたくさんいます。フラ・アンジェリコ、ボッティチェリ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ドナテッロ…、みな世界に名を馳せた芸術家ばかりです。メディチ家のバックアップなしに彼らの自由な創作活動はあり得なかったでしょうし、ルネッサンス文化も開花することなく終わってしまったかもしれません。

 ヴィーナスの誕生(ボッティチェリ)

 受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ)


 さてそのメディチ家です。ジョヴァンニ・ディ・ビッチの代に銀行業を拡張し、成功するのですが、この時はまだ政治の表舞台に登場することもなく、ひたすら巨万の富を築きあげた時期でした。息子コジモ(祖国の父)、孫のピエロ、その子ロレンツォ(豪華王)と受け継がれていく中で、次第に教皇庁や政治と関わりを持つようになります。そしてパトロンとして多くの芸術家を庇護し、メディチ家の黄金時代を形成していくことになるのです。


 ロレンツォの死後、一時メディチ家の勢力は衰退しますが、ロレンツォの次男ジョヴァンニがローマ法王レオ十世に就任すると、メディチ家は復権を果たし、再びフィレンツェを統治するようになります。トスカーナ大公となったコジモ一世はナポリまで版図を拡大し、メディチ家の第二次黄金時代がやってくるんですね。しかし150年以上も続くと、その栄光に陰りが見え始めます。コジモ一世から五代目にあたるアンナ・マリア・ルドヴィーガで、メディチ家はついに断絶してしまうのです。


 メディチ家は断絶しましたけれど、その遺産は美術館の母体となり、残された宮殿はそのままに、現在も観光客で賑わいを見せています。


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