お盆休みに日の出山荘へ行ってきました。ここは昭和58年(1983年)、当時のレーガン大統領と中曽根首相による「日米首脳会談」が行われたところで、もともとは中曽根首相の別荘だったのですが、その後日の出町に寄贈され「日米首脳会談記念館」として公開されています。
茶室天心亭
「ロン・ヤス会談」は茶室天心亭の囲炉裏を囲んだ椅子席で行われました。首相は普段、ここで俳句や座禅、読書を楽しまれていたそうです。「天心亭」の名前の由来は明治の画家「岡倉天心」から頂いたものだとか。
日の出山荘は木々に囲まれた広い敷地の中にあるので、都会のような喧騒は聞こえてきません。私がお邪魔した時は静寂の中に蝉の声だけが響いていました。
くれてなお 命の限り 蝉しぐれ
という句はここで詠まれたのでしょうか。夜になっても蝉の声が聞こえていたんですね。ご自分の姿と重ねられたのかもしれません。私は中曽根さんの政治家としての顔はよく存じあげませんけれど、ここには文化人としての顔があると思いました。立派な書画も残されていますし、日本の文化を愛し、大切にされておられたようです。
青雲堂 当時の写真
青雲堂は江戸時代の古民家を移築したものですが、ここでレーガン大統領夫妻に茶を点ててもてなし、ちゃんちゃんこを羽織って食事を楽しまれたそうです。当時はユニークなおもてなしとして注目されたそうですが、私は子育て真っ最中だったので残念ながら記憶にはありません。
書院内部 直筆の絵
書院は平成元年に建てられた迎賓館で、すでに首相は退任しておられましたが、政治の舞台で苦労を共にした友人を招き、友好関係を深められたようです。現在はレーガン大統領夫妻の日の出町でのお写真や日の出町を訪れたゴルバチョフ元ロシア大統領夫妻のお写真、ご直筆の書画等が展示されています。また庭園には友人たちが植樹した記念樹や俳句碑、全斗煥(チョン・ドファン)大統領から寄贈された半鐘などもあります。
天心亭や青雲堂は日本的なわび・さびを感じる空間ですが、書院は洋風の豪邸になっています。二階にある書斎で蝉の声を聞きながら、私も瞑想にふけってみたいと思いました。本当に静かで、心休まる空間が広がっています。
近くには御岳山や秋川渓谷などもありますし、夏を過ごすにはもってこいの場所ですね。東京にある避暑地といった感じでしょうか。
マイホームページ
茶室天心亭
「ロン・ヤス会談」は茶室天心亭の囲炉裏を囲んだ椅子席で行われました。首相は普段、ここで俳句や座禅、読書を楽しまれていたそうです。「天心亭」の名前の由来は明治の画家「岡倉天心」から頂いたものだとか。
日の出山荘は木々に囲まれた広い敷地の中にあるので、都会のような喧騒は聞こえてきません。私がお邪魔した時は静寂の中に蝉の声だけが響いていました。
くれてなお 命の限り 蝉しぐれ
という句はここで詠まれたのでしょうか。夜になっても蝉の声が聞こえていたんですね。ご自分の姿と重ねられたのかもしれません。私は中曽根さんの政治家としての顔はよく存じあげませんけれど、ここには文化人としての顔があると思いました。立派な書画も残されていますし、日本の文化を愛し、大切にされておられたようです。
青雲堂 当時の写真
青雲堂は江戸時代の古民家を移築したものですが、ここでレーガン大統領夫妻に茶を点ててもてなし、ちゃんちゃんこを羽織って食事を楽しまれたそうです。当時はユニークなおもてなしとして注目されたそうですが、私は子育て真っ最中だったので残念ながら記憶にはありません。
書院内部 直筆の絵
書院は平成元年に建てられた迎賓館で、すでに首相は退任しておられましたが、政治の舞台で苦労を共にした友人を招き、友好関係を深められたようです。現在はレーガン大統領夫妻の日の出町でのお写真や日の出町を訪れたゴルバチョフ元ロシア大統領夫妻のお写真、ご直筆の書画等が展示されています。また庭園には友人たちが植樹した記念樹や俳句碑、全斗煥(チョン・ドファン)大統領から寄贈された半鐘などもあります。
天心亭や青雲堂は日本的なわび・さびを感じる空間ですが、書院は洋風の豪邸になっています。二階にある書斎で蝉の声を聞きながら、私も瞑想にふけってみたいと思いました。本当に静かで、心休まる空間が広がっています。
近くには御岳山や秋川渓谷などもありますし、夏を過ごすにはもってこいの場所ですね。東京にある避暑地といった感じでしょうか。
マイホームページ