ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

高齢者事故多発

2016-11-20 18:32:28 | 日記
 このところ毎日のように高齢者の交通事故が報道され、問題になっています。他にも交通事故はあると思うのですが、やたらと高齢者の事故ばかりが報道されるので、このままだと運転できなくなるのではないかと心配になります(私はまだ60代ですが)。若い方でもひどい運転をされる人もいますし、安全確認もせず、子供を自転車に乗せたまま信号無視で道路を突っ切るお母さん。急に飛び出してくる自転車や歩行者等々、危ない場面はいろいろあります。

   事故現場ではありません

 確かに80歳にもなれば認知症という方もおられるでしょうし、自分では正常と思っていても感覚的にずれが生じる場合もあるでしょう。できれば80を過ぎて運転したくはありませんね。ただ現実としてひとり暮らしであったり、交通の便の悪いところに住んでいる場合、どうしても車がないと生活できないというケースも多い筈。スウェーデンのように普通の年収があった人なら何不自由なく暮らせる老後であれば、そんな問題も起こらないのでしょうが。

 一億総活躍社会と銘打って、高齢になっても働かなくてはならないような風潮を作り出し、体の機能が衰えた高齢者に自助努力せよといって、いたわろうとしない社会は、高齢者を邪魔者扱いしているような気がします。それならいっそ、安楽死を認めてもいいのでは。メディアも高齢者を追いつめるような報道ばかりではなく、この国のシステムに問題がないのかどうかを考えるような報道をして欲しいものです。

 若い人たちは事故を起こす高齢者をただ迷惑としか考えないでしょうが、これは若い人たちの未来でもあるのです。自分たちが高齢になった時、同じような扱いを受けることを肝に銘じて考えて欲しい問題です。私は車に乗らないから関係ないという人もいるでしょう。しかし人間の体は必ず衰えます。歩けなくなる時が必ず来るのです。買い物へ行くのも病院へ行くのも大変になる時が。

 衰えるだけならいいのですが、痛みが出る時はつらいものです。食費を削ってでも医者に診てもらいたいと思うでしょう。最近はそんなお年寄りからお金を引き出そうという案が出されていたり、年金をカットしようとする動きがあります。どこまでも追いつめられそうで、将来が不安でたまりません。そういう社会の中で高齢者が交通事故を起こしたからといって、そんなに責められるものなのでしょうか。タクシー券を発行しようというような対策案は出てこないんですね。

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江戸庶民の食卓とお伊勢参り

2016-11-06 19:11:14 | 日記
 前回、江戸のちょっと贅沢なグルメ料理茶屋について考えましたが、今回は庶民の食卓について考えます。よく時代劇に出てくる庶民の食卓風景といえば、朝シジミ売りの声とともに、長屋のおかみさんが竈に向かって火吹きだけを吹いている絵でしょうか。江戸ではご飯を朝炊いたんですね。お昼と夕飯は冷飯が多かったようです。今ならレンジでチンすれば温かいものが食べられますけれど、この時代は火を使うのも大変でしたから冷飯をお茶漬などにして食べていました。

 今では炊飯器という便利なものができ、お米を研いでスイッチを入れさえすればあとは手間なしですけれど、竈でご飯を炊くのは一仕事だったので、裕福な大店以外は大抵一日一回の炊飯でした。副菜なども魚肉がつくのはお昼ぐらい、朝夕はご飯に味噌汁、ちょっとしたお菜に漬物といったパターンが基本です。これらは、食事をする時はお膳になり、しない時は食器の収納になる箱膳によって個人ごとに配膳されました。

 箱膳   収納したところ

 『日用倹約料理仕方角力番附』の当時人気のあったおかずを見てみると、精進方として八杯豆腐・こぶあぶらげ・きんぴらごぼう・煮豆・ひじき白あい・切り干し煮つけ・いもがら油揚げ・小松菜ひたし物などとなっています。現代でもお馴染みのものが並んでいますが、豆腐料理には海苔などもつけ合わせとして使われました。調味料も味噌やみりん、砂糖の他に関東醤油が普及し、多彩な味付けができるようになりました。

 次に魚類方を見てみると、めざしいわし・むきみ切り干し・芝海老からいり・まぐろからじる・こはだ大根・たたみいわし・いわししほやき・まぐろすきみ・しほがつお・鮭しほびきなどとなっています。肉を食べる習慣のなかった当時としてはやはり魚、特にいわしが多く食べられていたようです。むきみというのは「しじみ」や「あさり」のむきみのことで、これらを味噌汁にしてご飯にかけることも多かったんですね。深川めしのようなものでしょうか。

 庶民の食生活は質素なものでしたが、それでも伊勢講の代参者たちは大名気分を味わうことができました。「ブラタモリ」でもやりましたけれど、御師(伊勢では「おんし」)という元祖旅行業者によって参宮者の道中手配がすべて斡旋されていました。御師は参宮者を自分の館へ泊め、神楽殿での祈祷から御札授与までしていたといいます。館での賄いはこれまた贅を尽したもので、特に御神楽奉納のあとは本膳から十一の膳まであったとか(引出物の菓子箱付)。

 今でも参道には現役の御師の家があるそうですが、江戸時代の夕食など体験できるといいですね。

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