ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

中秋の名月

2020-09-27 19:05:23 | 日記

 カラッとした秋晴れ少ないですね。そろそろお月見の季節ですけれど、今年の十五夜は十月一日くらいになるのでしょうか。旧暦の八月十五日が「中秋」の名月ですからね。旧暦では一月から三月までが春、四月から六月が夏、七月から九月が秋、十月から十二月が冬というように区切られていました。八月は秋の真ん中なので「仲秋」というのですが、この場合の「仲秋」は八月まるまる一ヶ月を指します。「中秋」というとずばり八月十五日のことを指し、十五夜となるわけです。十五日だからといって必ずしも満月とは限りませんが、おおよそ丸に近い月が見られる筈です。今年の十五夜、天候に恵まれるといいですね。

 お月見はもともと中国から渡ってきた風習で、中国では赤い鶏頭(けいとう)の花を飾ります。そして月見のための御菓子である月餅を食べましたが、それが日本に来てすすきと団子に変わりました。伝わってきた最初の頃、平安時代には上流階級の楽しみでしたが、江戸中期になると庶民生活が豊かになり月見の風習が広がりました。といってもこの場合、マイブログ「江戸の月見」にも書きましたように、月を愛でるというよりは飲んで食べて騒ぐといったお花見のような感じの月見ですね。風流とはほど遠いものだったようです。中国では満月だけを愛でましたが、江戸時代にはいろいろな形の月を愛でています。

 さて名月、芭蕉の句にも「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」というのがあります。名月は必ずしも十五夜ではありませんけれど、くっきりと空に浮かぶ美しい月のことです。今のように夜が明るくなかった時代、月の光のあるなしでは随分違ったんですね。「名月や 畳のうへに 松の影(榎本其角)」。中秋の名月が照りわたり、庭にある松の木が座敷の畳に影を落としている。それくらい明るいということです。また月の光は川面を這う川霧の姿をも浮かび上がらせます。「名月や 煙はひ行く 水の上(服部嵐雪)」。名月の夜の川面の情景がよく捉えられています。

 秋の月って、どうしてそんなに人の心を捉えるのでしょうか。空気が澄んではっきりと見えるからでしょうか。そんな中でも特別に美しい時があるようです。「いつとても 月みぬ秋は なきものを わきて今宵の 珍しきかな(藤原雅正)」。いつだって月をみない秋はないのに、とりわけて今宵の月は素晴らしいなあ、というんですね。月を見て感動する心、大切にしたいものです。また感動して、つい踊り出したくなる人もいるようです。「いざ歌へ 我立ち舞はむ ぬば玉の こよひの月に いねらるべしや(良寛)」。さあ歌え、私は立って舞おう。今宵の美しい月に、寝てなどいられようかという良寛さん。やはり変わったお坊さんです。

 

 畳の上に松が影を落としているという句は前述しましたけれど、それほど明るいにも拘わらず、「暗い暗い」といって鳴く虫がいるようです。「松の月 暗し暗しと 轡虫(高浜虚子)」。松にかかる月はとても明るいのに、轡虫(くつわむし)の鳴く音は暗い暗いといっているように聞こえるというんですね。虫の音も聞く人の心次第といったところでしょうか。
 ついこの間まで暑いと思っていたのに、関東は急に涼しくなりましたね。秋の長雨シーズンでもあり、台風シーズンとも重なるので、このところ秋晴れがなかったような気がします。明日からは晴れるという予想ですが、中秋の名月、果たしてどうなりますことか。

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大奥の年中行事

2020-09-13 19:24:48 | 日記

 長い梅雨が明けて猛暑。暑さがまだ落ち着かないうちに台風シーズン到来で、停電にでもなったら死活問題ですよね。本当に生きるって大変。そんな中でも年中行事は結構頑張って行われるようです。例えばこのコロナ禍の猛暑にあっても、お盆のお墓参りをされた方多いのでは? 大奥でも御魂祭(みたままつり)といって七月十三日から十五日まで、御仏間で礼拝がなされました。盂蘭盆会(うらぼんえ)ともいいます。増上寺と寛永寺には毎日御代参が遣わされました。この御代参は御年寄や御中臈など上級女中たちが御台様の代理で参詣するものなのですが、宿下がりの許されない上級女中にとっていい気晴らしになったようです。さらには御代参のあと芝居見物をするのが普通になり、「絵島事件」なども起こりました。

 さてその年中行事、現代でもほぼ同様に行われていますけれど、大奥と比較すると少し違うものもあります。まず元旦の祝いは規模こそ違え、各家庭で行われるものと大差はないようですが、二日には御掃除初め、御書初め、御裁(たち)初めというのがあり、夜は将軍との御寝(ぎょしん)で姫初めとなりました。御書初め以外はあまり聞きませんよね。

 二月には初午(はつうま)というのがありますが、これは御年寄が江戸城の稲荷神社へ御代参をしました。今でも企業などでは行われるところがあるようですが、一般家庭ではあまりしませんね。さてお彼岸、今は一般的に「おはぎ」が供えられていますけれど、大奥では御台様が手ずから丸めた団子を御仏間にお供えしたようです。

 三月の一日から四日までは雛祭り。十二段の雛人形を御座の間と御休息の間に飾り、毎日供物を取り替えました。桜の季節には吹上御苑で花見をし、三月下旬になると、東海道五十三次の宿場に見立てて名物の模擬店が並ぶ五十三次という行事が大奥の御庭で行われました。華やかな行事です。四月八日は花祭り(灌仏会)、この日も大奥の長局(ながつぼね)に露店が並びました。

 五月五日は端午の節句。御三家や御三卿、御簾中(御家門)から粽(ちまき)が献上されました。六月一日には加賀前田家から氷室(ひむろ)の献上があり、七月七日は七夕で、御目見得以上の女中たちはみな歌を作りました。七月十三日から十五日までは御魂祭。八月十五日は中秋で月見を楽しみました。この時御歌合せが催され、秀逸の者には賞品が下されたといいます。何かにつけ歌を詠むところが現代にはない風習です。

 月見の宴

 九月九日は重陽(ちょうよう)の節句、十月一日は炉開きで御茶会が開かれました。これらはみな旧暦でのことなので、季節感が少し違うかもしれません。十一月中旬にはもう冬至のお祝いがありました。御目見得以上の女中に蛤の吸い物・刺身・うどんなどの料理が下されたそうです。十二月一日から十二日までは煤払い。今でいう大掃除ですけれど、主に御三の間の女中たちの仕事だったようで、終わると織物や手拭い、御肴などが下されました。十二月二十八日には注連飾(しめかざり)を飾り、御納戸(おなんど)払いといって御台様の御召物(おめしもの)が女中たちに下げ渡されました。一度も袖を通していないものもあったそうです。最後は大晦日。御目見得以上の女中たちは将軍と御台様に除夜のお祝いを述べました。以上簡単に大奥の年中行事を見てきましたが、他にもまだまだあります。多くの女性たちがそれぞれに役割を持ち、働くことで、これらの行事が遂行されていきました。

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