ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

江戸のリサイクル

2018-01-28 19:35:35 | 日記
 子供の頃クズヤさんというのがあって、竿秤(さおばかり)で紙や布などの重さをはかり、お金に換えてくれる商売がありました。今でも新聞はトイレットペーパーと交換してくれるようですけれど、古着などはリサイクルショップへ持っていかなくてなりません。フリマサイトという便利なアプリも登場し、何でも売り買いできるようになりましたが、ご年配の方にとって使い勝手はどうなんでしょうね。ま、とにかく今でもリサイクルは行われているということです。ただ江戸時代のリサイクルはひと味違うんです。

 紙も今より徹底してリサイクルされましたけれど、古着は古着屋があって庶民にとってはこちらがメイン。なかなか越後屋なんぞで買える庶民などいませんでした。
 面白いのは「蝋燭の流れ買い」。したたり落ちて燭台に溜まった蝋を買い取ってくれるんですね。そしてそれを溶かしてまた蝋燭にするというリサイクル業。現代にはありませんよね。蝋燭は大変貴重なものだったんです。

 また竈(かまど)や火鉢の灰を買う「灰買い」というのもありました。灰って結構役に立つんですよ。まず作物の肥料として使われます。江戸は関東ローム層という酸化しやすい土壌なので、灰のアルカリ性によって中和され、作物の育ついい土壌になるのだそうです。他にも酒造りや糸作り、わかめなどの海産物を干す時にも使われました。また漢方薬や紙漉き、洗剤として使われることも多かったようです。灰買いで著名になった文化人・灰屋紹由(じょうゆう)なんて人もいたくらいです。

 女性が髪をとかした時に抜ける髪の毛。現代ではちょっと気持ち悪いですよね。しかしこれを集めて「髪文字(かもじ)」にしたり、髪の毛の間に入れる入れ髪として使う時代でしたから、「梳き髪買い」というのもありました。今のようにすぐに捨てるというものはほとんどなかったんですね。傘なども骨さえ残っていれば「古骨買い」が買い取り、「傘貼り浪人」の手によって生まれ変わりました。

 髪結床  左から提灯屋・せともの屋・古着屋
 参考:『図解・江戸の暮らし事典』より

 他にもまだまだありますよ。今ではなかなか見られないリサイクル。割れた瀬戸物を接(つ)いでくれる「焼き接ぎ屋」なんていうのがあったんです。「割れ物はないかえー」と呼ばわって歩いていました。時には夫婦喧嘩が終わるのを待っていたりします。何故かって? 夫婦喧嘩でものを投げ合うでしょう。割れ物がたくさん出るんです。破片さえ残っていれば上手に接いで元通りにしてくれるんですね。変な商売が繁盛したお蔭で、瀬戸物屋が不景気になったという話もあります。

  長屋とその共同施設(井戸・ゴミ捨て場)

 最後に尾籠(びろう)な話をひとつ。長屋には惣後架(そうこうか)と呼ばれる共同便所がありますけれど、ここに溜まった下肥(しもごえ)は江戸近郊の農業にとって重要な肥料でした。ですから「肥汲み」という職業がありましたし、下肥は大家さんの収入にもなったんですね。
 今は消費の時代でゴミもたくさん出ますけれど、その処理についてもう少し考える必要があるのかもしれません。

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木曽路はすべて…(妻籠・馬籠)

2018-01-14 18:54:52 | 日記
 30年くらい前になりますでしょうか。松本から妻籠(つまご)・馬籠(まごめ)宿を抜けて恵那峡(えなきょう)へ行ったことがあります。恵那峡はかの有名な桃介さん(福沢諭吉の娘婿)が作った大井ダムのあるところですが、これは大河ドラマ「春の波涛」でも紹介された日本初の発電用ダムです。大正13年に完成しました。当時は恵那峡ランドがあって結構賑わっていましたけれど、景気低迷によって一時閉鎖。2002年にリニューアルオープンし、恵那峡ワンダーランドとして続いているようです。

 恵那峡はさておき、妻籠から馬籠へ抜ける中山道にはいろいろな見どころがあります。何せ昔から多くの旅人が通ったろころですから。
 また現在は妻籠から馬籠までがハイキングコースになっており、歩き通せば「完歩証明書」なるものを発行してくれるそうです。当時はバスで馬籠へ向かったのですが、子供が乗物酔いしてしまい、途中で降りて歩いたのを覚えています。お蔭で中山道の路傍に、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の狂歌碑を発見しました。

 十返舎一九は『東海道中膝栗毛』で有名な滑稽本の作者ですけれど、執筆の材料を探して中山道も旅していたんですね。で、『木曽街道膝栗毛』を書きました。狂歌碑には「渋皮の 剥(む)けし女は 見えねども 栗のこはめし ここの名物」(いい女いないけれど、栗のこわめしは美味しいよ)とあります。

 馬籠宿は今でも宿場の面影を残していて、昔ながらの建物が軒を連ねています。私たちもそこに宿をとったのですが、何と隣の部屋との仕切りが襖一枚なのには驚きました。確かに昔はそうであったにせよ、今では施錠できるようになっているかと思ったのですが。隣のどんちゃん騒ぎは聞こえてきますし、いつ襖ごと倒れてくるかもしれないという不安を抱きながら、前日が夜汽車だったので疲れ果てて寝てしまいましたけれど…。翌日は恵那に予定外のホテルをとりました。

 馬籠宿

 でもいい経験ができました。江戸時代の人たちは、そういう宿に泊まりながら旅をしたのだということが実感できましたし、それだけ人間が今より信頼できたのかなとも思いました。どんなセキュリティーより、人間が信頼できるものであることが一番です(特に女の一人旅には)。

 馬籠峠には「道しるべの碑」があって、正岡子規の「白雲や 青葉若葉の 三十里」の句が記されています。来た道を振り返って詠んだんですね。
 芭蕉も木曽路を旅して「更級紀行」を書きました。「送られつ 送りつ果ては 木曽の秋」の句碑が建っています。また長野県と岐阜県の境だったところに島崎藤村の筆で「是より北木曽路」と書かれた碑がありますので、碑を見て歩くだけでも面白いですね。他にもたくさんの文学碑がありますけれど、長くなるので省略します。

 さて、馬籠といえばやはり島崎藤村ですね。宿場の一角に生家跡があり、藤村記念館になっています。もともとは本陣・問屋・庄屋を兼ねた旧家で、かなり由緒あるおうちだったようです。そして藤村の代表作、「木曽路はすべて山の中である」で始まる『夜明け前』は、この馬籠を舞台にして書かれた長編小説です。主人公のモデルは藤村の父親であったといわれています。

 『夜明け前』とは少し趣が違いますけれど、時流に乗れなかった人間の悲劇を描いた拙著『栄光のかけら』、今の時代に合わせたものですので冬ごもりの季節に是非読んでみてください。

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年越しの風景

2018-01-05 18:52:24 | 日記
 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年一年が皆様にとりましても我が家にとりましても、良き年でありますように。
 そしてまた、マイブログの方もよろしくお願い申し上げます。

 昨年の師走は寒かったですね。風邪を引いたりした方も多かったのではないでしょうか。どんな事情があっても迫りくる年の瀬。「越すに越されず、越されずに越す」という言葉もありますが、どのような状態でも年は明けてしまうもの。非情なものです。特に大晦日(おおつごもり)は大変なものでした。

 江戸時代、越後屋が「現金掛値(かけね)なし」の看板を掲げるまでは、掛売り制度が常識的に行われていました。俗にいう「ツケ」ですね。カードが普及して、今ではツケで商売をするお店はあまりなくなってしまいましたが、ひと昔前までは飲み屋さんなどでよく行われていました。つまり飲んだり食べたりしたもの、商品を購入したりした分をそのお店の帳簿に記録しておいてもらい、給料日などに支払うシステムです。江戸時代はそのツケを支払うのが大晦日だったんですね。

 ですから大晦日は一年の総決算の日ということになります。この日をどう処理して終わるかが、庶民生活の重大な鍵になっていました。できれば年内に支払を済ませて新年を迎えたいと思いますけれど、支払をしてしまうと、その後の生活ができない(食べるものを買ったり、暖をとることができない等)。そうした庶民のやりくりの悲喜劇を描いたのが、井原西鶴の浮世草子『世間胸算用(せけんむねざんよう』です。

 副題に「大晦日は一日千金」とあって、大晦日における貸し手と借り手の駆引きを描いています。そしてこの物語に登場する人物はどこにでもいるような怠惰な亭主、口巧者な内儀、或いは孤独な老婆であったりしますけれど、世間からの脱落者も多く登場します。彼等は脱落の原因さえつかめないような、運命的な貧困の波に揉まれてしまった人たちで、そうした救う方法のない主人公たちの姿を西鶴はじっと見つめているんですね。まさに西鶴の真骨頂です。

 西鶴自身は裕福な商家の出で生活に困ることはなかった筈なのですが、こうした庶民生活を活写しているところが作家の作家たる所以といえましょう。
 さて、庶民の年越しから平安貴族の年越しへと目を転ずれば、やはり一番に浮かぶのは源氏物語になるでしょうか。

 まずは「幻」の巻ですが、最後の方に「年暮れぬとおぼすも心細きに…」とあって大晦日の様子が描かれています。つまり追儺(ついな)、宮中で悪鬼を追い払う儀式をするわけです(現在の節分)。そしてこれをもって源氏自身の一生も終わるのです。物語に描写されてはいませんけれど、現代の読者は「鬼は外、福は内」という声を遠くに聞きながら、やがて終わるであろう光源氏の一生を予感するんですね。優雅で幻想的な風景です。

 追儺   本文のない巻名

 この「幻」の次にくる巻名は「雲隠」。しかし本文はありません。紫式部は源氏の死を描くことができなかったのです。
 皆さんはどんな年越しをなさいましたか。

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