ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

松本清張の出世作

2014-01-29 18:25:17 | 日記
 ちらほら梅が咲き始めたところもあるようですが、まだまだ色のない世界が広がっています。荒涼とした風景を見てふと思い出したのは、松本清張の『或る「小倉日記」伝』の一節です。

 「二人は林を抜けて下山にかかった。道の両側は落葉が堆(うずたか)く積もって、葉を失った裸の梢(こずえ)の重なりから、冬の陽射(ひざ)しが洩(も)れおちていた」

  

 物語の内容は細かく覚えていませんが、この描写だけが妙に心に残っています。たぶん不遇な主人公の生涯と重なるものがあったのでしょう。清張はこの作品で芥川賞を受賞し、大作家への道を歩み始めます。

 清張といえばまず、「砂の器」、「点と線」、「黒革の手帳」といった推理小説が頭に浮かびます。ですからどうしても直木賞作家のイメージが強いのですが、実は芥川賞作家だったんですね。私は20年くらい前まで直木賞作家だとばかり思っていました。認識不足です。

 当然のことながら、『或る「小倉日記」伝』は推理小説ではありません。田上耕作という主人公の不遇な生涯を描いたモデル小説になっています。才能がありながら埋もれていく報われない人生に焦点をあてたところは清張らしいと思いますが、読者を楽しませる意図はこの時あったかどうか…。
 当時は清張自身がこの主人公のような気持ちでいたのでしょうね。自分の人生と重ね合わせ、彼同様に報われない生涯を終えるのではないかと思っていたのかもしれません。だからその無念さが伝わってくるのだと思います。

 ある意味、清張がこの作品で芥川賞をとることによって、田上耕作の魂が報われたのかな、と。別の言い方をすれば、田上耕作の魂が清張に芥川賞をとらせたのかもしれません。
 そして清張の才能を見出した編集者も、名伯楽(めいはくらく)であったと思います。

 色のない世界から色づく世界へ。もうすぐです。

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利休にたずねよ

2014-01-15 19:39:01 | 日記
 遅ればせながら、おめでとうございます。今年こそ良い年になりますように。そしてまた一年、よろしくお付き合いくださいますように。

 昨年暮れもどん詰まり、大晦日に水道の蛇口が水漏れし、どうなるかと思いましたけれど、何とか新年を迎えることができました。
 変わり映えのしないお正月でしたが、皆無事であったことに感謝感謝です。

  「利休にたずねよ」見てきました。戦国乱世の時代に生きた茶人、利休の生き方がどんなものだったか、ちょっと興味がありましたので。
 利休が大成した侘茶の世界、そして彼が愛した情趣、風情がよくわかる作品だったと思います。
 最後は金や権力に屈することなく、町人でありながら切腹して果てるという茶人としての意気地、男としての誇りがよく描かれていました。美学ですね。
 「わたしが額(ぬか)ずくのは美しいものだけ」という言葉の中に、何か激しいものも感じました。刀を持って戦いはしませんでしたけれども、決して譲れない精神世界での激しい葛藤はあったのだと思います。

 海老蔵さんの演技も良かったですよ。若い頃の放蕩ぶりから、茶人として大成してからの演じ分け、静と動を見事に表現していました。もちろん、立ち居振る舞いの所作も見事でした。
 お父上の故団十郎さんが、武野紹鴎(たけのじょうおう)役で出演されていて、最後の親子共演としても話題になりましたけれど、そう思って見るせいか団十郎さんの眼差しがこの上なくあたたかいものに感じられました。海老蔵さんもあの事件以来、役者としてひとまわり大きくなられたような気がします。何しろあの若さで、歌舞伎という伝統芸能の大黒柱にならなければいけないという大きなプレッシャーを背負っているわけですから、並大抵のことではありません。自分の芸を磨くだけでなく、家庭を築き、後継者を育てる。これも大変なことですよね。人が成長していく姿を見るのはいいものです。

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