ちらほら梅が咲き始めたところもあるようですが、まだまだ色のない世界が広がっています。荒涼とした風景を見てふと思い出したのは、松本清張の『或る「小倉日記」伝』の一節です。
「二人は林を抜けて下山にかかった。道の両側は落葉が堆(うずたか)く積もって、葉を失った裸の梢(こずえ)の重なりから、冬の陽射(ひざ)しが洩(も)れおちていた」
物語の内容は細かく覚えていませんが、この描写だけが妙に心に残っています。たぶん不遇な主人公の生涯と重なるものがあったのでしょう。清張はこの作品で芥川賞を受賞し、大作家への道を歩み始めます。
清張といえばまず、「砂の器」、「点と線」、「黒革の手帳」といった推理小説が頭に浮かびます。ですからどうしても直木賞作家のイメージが強いのですが、実は芥川賞作家だったんですね。私は20年くらい前まで直木賞作家だとばかり思っていました。認識不足です。
当然のことながら、『或る「小倉日記」伝』は推理小説ではありません。田上耕作という主人公の不遇な生涯を描いたモデル小説になっています。才能がありながら埋もれていく報われない人生に焦点をあてたところは清張らしいと思いますが、読者を楽しませる意図はこの時あったかどうか…。
当時は清張自身がこの主人公のような気持ちでいたのでしょうね。自分の人生と重ね合わせ、彼同様に報われない生涯を終えるのではないかと思っていたのかもしれません。だからその無念さが伝わってくるのだと思います。
ある意味、清張がこの作品で芥川賞をとることによって、田上耕作の魂が報われたのかな、と。別の言い方をすれば、田上耕作の魂が清張に芥川賞をとらせたのかもしれません。
そして清張の才能を見出した編集者も、名伯楽(めいはくらく)であったと思います。
色のない世界から色づく世界へ。もうすぐです。
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「二人は林を抜けて下山にかかった。道の両側は落葉が堆(うずたか)く積もって、葉を失った裸の梢(こずえ)の重なりから、冬の陽射(ひざ)しが洩(も)れおちていた」
物語の内容は細かく覚えていませんが、この描写だけが妙に心に残っています。たぶん不遇な主人公の生涯と重なるものがあったのでしょう。清張はこの作品で芥川賞を受賞し、大作家への道を歩み始めます。
清張といえばまず、「砂の器」、「点と線」、「黒革の手帳」といった推理小説が頭に浮かびます。ですからどうしても直木賞作家のイメージが強いのですが、実は芥川賞作家だったんですね。私は20年くらい前まで直木賞作家だとばかり思っていました。認識不足です。
当然のことながら、『或る「小倉日記」伝』は推理小説ではありません。田上耕作という主人公の不遇な生涯を描いたモデル小説になっています。才能がありながら埋もれていく報われない人生に焦点をあてたところは清張らしいと思いますが、読者を楽しませる意図はこの時あったかどうか…。
当時は清張自身がこの主人公のような気持ちでいたのでしょうね。自分の人生と重ね合わせ、彼同様に報われない生涯を終えるのではないかと思っていたのかもしれません。だからその無念さが伝わってくるのだと思います。
ある意味、清張がこの作品で芥川賞をとることによって、田上耕作の魂が報われたのかな、と。別の言い方をすれば、田上耕作の魂が清張に芥川賞をとらせたのかもしれません。
そして清張の才能を見出した編集者も、名伯楽(めいはくらく)であったと思います。
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