オリンピック、延期になりましたね。ほっとしました。強引に開催されても新型コロナが海外から持ち込まれるリスクが高いので、どうなることかと心配でしたから。とはいっても、経済的ダメージやアスリートの方々の調整問題等、いろいろ大変です。コロナウイルスが一刻も早く収束してくれることを願うばかりですけれど、どこへ行っても人影はまばらになりましたね。美容院なども待ち時間がないので嬉しいのですが、マスクを外すとなると不安があります。マスクをしたままでカットしていただけると有難いですね。
さてその美容院、或いは床屋さんですが、江戸時代はどうだったのでしょう。当時は散髪するというより、髪を結(ゆ)ってもらうのが床屋さん、「浮世床(うきよどこ)」と呼ばれるお店でした。式亭三馬の滑稽本にもそんなのがありましたね。でもこの「浮世床」という名称は滑稽本のタイトルばかりでなく、普通名詞として使われていたんです。男性の髪を結うお店を「髪結床(かみゆいどこ)」といい、特に繁盛しているものを「浮世床」といったのだそうです。また裏木戸のすぐ横や橋のたもとなどに構えたものを「出床(でどこ)」といい、裏店(うらだな)の自宅営業の店を「内床(うちどこ)」といいました。顧客の自宅へ出張する無店舗営業のものを「廻(まわ)り髪結(かみゆい)」といい、髪結料は二十八文程度だったとか。
髪結床復元模型内部
浮世床には人が集まります。お喋りにだけ来る男性もいて、一日中世間話を楽しんだり、囲碁や将棋をしたり、現代のサロンのようなものでした。自然様々な情報が集まるので、親方が十手持ちの場合もあります。御用聞きは収入が少ないので、二足の草鞋(わらじ)を履いていることが多かったんですね。二足の草鞋といっても、一人前になるまでには十年くらいかかります。「月代(さかやき)三年、顔剃り五年、仕上げが二年」といわれました。月代というのは額から頭上にかけて剃ってある部分のことですが、そもそもは武士が兜を被る時に頭が蒸れないようにと考えられたものでした。しかし江戸は武士の町。いつしか庶民も月代を剃るのが常識になりました。
白髪染め、育毛剤などもあったようですが、今のように髪の毛の量をあまり気にはしなかったようです。月代をいつも剃っているので、頭頂部が薄くなってもさほど気にはならないんですね。ただ剃ったばかりの月代は青いのですが、髪が抜け落ちた場合は青くありません。で、見栄っ張りの男性は「青苔(せいたい)」という青い眉墨を月代に薄く塗っていたそうです。
女性の場合はというと、もともと自分で結うのが普通でした。しかし江戸中期以降になると、遊女の錦絵や芝居の女形の髪型を真似てヘアスタイルが複雑になってきました。そうなると自分では結えません。そこで専門職としての「女髪結(おんなかみゆい)」が登場するわけです。しかし女髪結は出床形式では営業せず、出張サービスとしての「廻り髪結」だけでした。文化・文政期に華々しさのピークを迎えると、幕府から「華美に過ぎる」と制限がかけられ、女髪結は贅沢として度々禁止されました。それでも幕末には千四百人もの女髪結がいたといいますから、やはり「女は強し」でしょうか。お洒落に妥協はなかったようです。