ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

小説を書く意味

2017-11-19 19:12:55 | 日記
 たとえ何十年連れ添った夫婦でも、血肉を分けた親子でも、理解してもらえない苦しみはあります。残念ながら人の苦しみは、その人と同じように感受することは不可能だからです。そうした苦しみを以前、私はパソコン(原稿用紙)にぶつけていました。苦しくてどうしようもない時、お酒を飲んで紛らわせる人もいるでしょう。或いは一人カラオケで歌いまくったり、スポーツをやって発散させたりと、人によってストレス解消法はさまざまだと思いますが、私はお酒も飲めませんし体力もないので、そのエネルギーを小説にぶつけてきました。最近はそのエネルギーさえなくなってしまったのか、はたまた苦しみを感受する機能が衰えてしまったのか、小説すら書けなくなってしまいましたが…。

 小説はいうまでもなく読者を意識したフィクションです。ですから読者を楽しませようとする意図もありますが、その中に散りばめられた人間の哀しみは、私の苦しみの所産でもあります。矛盾や理不尽に満ち満ちている世の中で、どう生きたらいいのか、生きられるのか。そんな人間の苦しみや悲しみを表現できたらと思っています。
 むろん私の苦しみなど取るに足りないものかもしれません。もっともっと苦しい思いをしている方もいるでしょう。苦しみや悲しみは人さまざまです。私はこの平和な時代の日本に生まれたことを幸運だと思っていますし、充分とは言えないまでも人並みに暮らしていけることに感謝しています。世界にはまだまだ戦争や貧困に苦しむ人々がいることを思えば、今の日本に暮らせることを本当に幸せだと思わざるを得ません。それを承知した上で、やはり格差はあると感じることも事実です。

 格差は経済的なものだけではありません。生まれついての体力格差。
 蒲柳の質(ほりゅうのたち・しつ)という言葉がありますよね。現代では死語になりつつありますが、大方虚弱体質という意味です。五体満足であっても体全体の機能が人より弱く、疲れやすくて病気になりやすい弱々しい体質のことですが、それを理解する人がいなくなりました。医師や看護師でも。

 何しろ「元気はつらつ健康長寿」、「強くたくましいのが美徳」になってしまった現代では、弱者は切り捨てられる傾向にあるのです。体が弱いために楽しみを削り、我慢しなければならないことや諦めなければならないことが星の数ほどあっても、誰も理解などしてくれません。それどころか馬鹿にされる傾向にあります。そんな優しさのない社会になってしまいました。そして何かというと自己責任という言葉が使われます。賭け事に嵌ってしまうような場合には自己責任も妥当だと思いますが、社会や環境によって必然的に弱者になってしまう場合など適当とはいえません。恵まれて育った人が、すべて自分の力で偉くなったと勘違いしていう言葉です。相手の立場や事情を考慮せず、結果だけで勝ち負けを判断する単細胞な人の言葉です。

 そんな身勝手な社会になってしまったからでしょうか。「死にたい」という人が増え、先日座間で連続殺人事件がありました。嘱託殺人を装った恐ろしい事件でしたが、日本の社会全体が病んでいるような気がします。あの事件では若い女性が多く亡くなりましたけれど、益々子供の産める人口が減ってしまったことになります。オリンピックのある2020年には女性の2人に1人が50歳以上になるという統計もあって、子供を産める人口は減少の一途を辿っています。労働人口の減少も深刻で、いずれ外国人労働者の受け入れを余儀なくされるようになり、そのうち日本は中国人国家になってしまうという説もあるほどです。若い人の自殺は何としても食い止め、立ち直れる社会にしなければ、日本は本当に滅びてしまうでしょう。

 若い人の自殺を受け入れるのは問題がありますが、老人が死の淵にあって彼岸へ渡れずに苦しんでいる時は、それを介助してくれる人がいてもいいのではないかと思います。そう、武士が切腹する時、介錯人がいたように。それが真のヒューマニズムではないかと思うのです。
 また認知症になった南田洋子さんをカメラの前に曝す行為。あれは人間の尊厳を著しく傷つけています。そうした人間の尊厳の観点からも、最期をどう迎えたいか、考えておく必要があります。「今日が人生の最後の日だと思って生きなさい」や「苦しみの中でも幸せは見つかる」の著者小澤竹俊(おざわたけとし)先生のように、患者に寄り添った医療を提供し、看取ってくれる医師ばかりならいいのですが、何しろ忙しい現場です。患者の思うようにはいきません。

 拙著「栄光のかけら」(増訂版)はそうした問題にも触れています。老いは誰にでも平等にやってきます。今元気な人でも、いつか動けなくなる時がくるのです。その時どうして欲しいか。それを考える一冊になればと思っています。今生きあぐねている方、苦しみに喘いでいる方の一助となれば幸いです。

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江戸の本屋

2017-11-05 19:04:08 | 日記
 最近は書店でもいろいろなものを売るようになりましたが、江戸時代は本を作ること自体が大変でした。何しろ写本といって、人が手書きで写していた時代があったわけですから、活字本ができただけでもすごい進化だったんです。それが江戸時代になると、整板といって1枚の板に絵や文字を左右逆に彫り、墨を塗って紙に写す方法が普及するようになります。いわゆる木版印刷ですね。これによって急速な進化を遂げた出版文化は、書籍目録が必要になるほど出版点数が増えていきました。

 江戸初期には京・大坂が中心だった出版文化も、17世紀後半には江戸が中心になり、江戸の本を扱う地本問屋(じほんどんや)ができてきます。現代のシステムと違い、地本問屋では出版から販売までを行っており、お抱えの作家もいたそうです。では、他の作家の本を読みたい場合どうしたかというと、貸本屋(かしほんや)で借りたんですね。そもそも当時の読み物は高価でしたから、庶民は貸本屋に見料(けんりょう)を払って読むのがふつうでした。

 地本問屋

 貸本屋は本の束を背負って定期的にやってきます。お客の好みを把握し、おすすめの本のいい場面を開いてみせたり、あらすじを聞かせたりします。お客の方は借りていた本を返し、新たに本を借ります。読み切れなかった本をもう少し読みたい時は追加料金を払いますし、汚れや破れ、落書きなどがあった時も追加料金をとられます。また、「次はこんな本を読みたい」というリクエストもできるので貸本屋は便利な存在でした。ちょっと現代のレンタルビデオショップに似ていますね。

 お金のある人は地本問屋で購入することもできますが、今の書店のように立ち読みはできません。手代や番頭が本のあらすじを教えてくれるので、それで買うかどうかを判断します。草双紙のようなものなら十~二十文くらいで買えましたが、長編小説となると一冊二百~三百文、現代でいうと万を超すような金額になりました。ですから一般的な庶民は貸本屋を利用します。

 貸本屋

 貸本屋は幕末近くには八百軒くらいあったそうです。一軒の貸本屋で170~180人くらいの顧客を持っていましたから、地本問屋での売り上げが千部であったとしても、読者は数十万単位でいると考えられます。そうした中から江戸の町人文化が花開いていくんですね。仮名草子、浮世草子、草双紙に始まる出版文化は、洒落本、滑稽本、人情本、読本へと発展し、曲亭(滝沢)馬琴の大ベストセラー『南総里見八犬伝』を出現させることになるのです。

 因みに時事的印刷物は原則禁止だったそうで、「読売り」ともいわれた瓦版はモグリだったんですね。ですから内容的には火事や心中事件、仇討ちなど無難なものが主でした。政治批判などはなかなかできなかったんでしょうね。その点、少しはいい世の中になったといえるのかもしれません。

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