すっかり青葉の季節になりましたね。何故かこの頃になると、「あらた(と)うと 青葉若葉の 日の光」(「奥の細道」・日光)という芭蕉の句が思い浮かびます。「本当にそうですね」と頷いてしまうのは言葉の力でしょうか。鶯も鳴き始めました。芭蕉でなくとも旅へ出たくなる季節です。
青葉若葉の日の光
芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは「弥生も末の七日」、この年は閏月があったので5月中旬頃になるそうですが、親しい人々に送られて千住まで行き、そこで別れる時に、「行く春や 鳥啼(な)き魚(うお)の 目は泪(なみだ)」という句を詠みます。行く春を惜しむと同時にこれからの旅路を思い、親しい人との別れを思い、鳥も魚も泣いているように思えたのでしょうね。あの頃(江戸初期)に東北へ旅する、しかも太平洋側から日本海側へ抜けるのは大変なことでした。40年くらい前に私も仙山線に乗ったことがありますが、本当に山の中で、夜は追い剥ぎでも出そうな感じでしたから(ごめんなさい。現在は変わっているかもしれません)。まして芭蕉が旅した頃は何があるかわかりませんから、生きて戻れるかどうか、さぞや不安であったろうと思います。それでも旅がしたい、松島の月が見たいというのが芭蕉なんですね。
旅に対する不安は「野ざらし紀行」で詠んだ「野ざらしを 心に風の しむ身かな」の句にも表れています。野ざらしというのは「野辺に放置された髑髏(しゃれこうべ)」の意で、そうなるかもしれないということを覚悟して旅に出たんですね。悲壮なまでの覚悟ですけれど、現代人には想像のつかないほど、当時の旅は困難なものでした。
「奥の細道」でも、同行した曾良が山中温泉で腹を病み、知り合いを頼りにひとり伊勢へ下っていくのですが、その時詠んだ「行き行きて たふ(お)れ伏すとも 萩の原」という句があります。途中で行き倒れることを覚悟し、どうせ倒れるのなら萩の咲いている野辺でと願っているわけですね。今のようにすぐに誰かが見つけてくれて、自動車という文明の利器で救命救急へ運んでくれる世の中ではありませんでしたから。
ご存知のとおり「奥の細道」の終着点は大垣ですが、紀行文の最後は「長月(ながつき)六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて」となっていて「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」の句で終わっています。伊勢の二見が浦へ向けて出発するところで終わるんですね。少しもじっとしていられないという感じです。
昨年(2013年)は伊勢と出雲で遷宮式が行われ、見に行かれた方も多いと思いますが、芭蕉も「奥の細道」の旅を終えた後、伊勢の遷宮式を見に出掛けたんですね。
伊勢二見が浦
そしてそれほどに旅を愛した芭蕉は、死の床にあってもやはり旅を夢見ていたようです。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
マイホームページ
青葉若葉の日の光
芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは「弥生も末の七日」、この年は閏月があったので5月中旬頃になるそうですが、親しい人々に送られて千住まで行き、そこで別れる時に、「行く春や 鳥啼(な)き魚(うお)の 目は泪(なみだ)」という句を詠みます。行く春を惜しむと同時にこれからの旅路を思い、親しい人との別れを思い、鳥も魚も泣いているように思えたのでしょうね。あの頃(江戸初期)に東北へ旅する、しかも太平洋側から日本海側へ抜けるのは大変なことでした。40年くらい前に私も仙山線に乗ったことがありますが、本当に山の中で、夜は追い剥ぎでも出そうな感じでしたから(ごめんなさい。現在は変わっているかもしれません)。まして芭蕉が旅した頃は何があるかわかりませんから、生きて戻れるかどうか、さぞや不安であったろうと思います。それでも旅がしたい、松島の月が見たいというのが芭蕉なんですね。
旅に対する不安は「野ざらし紀行」で詠んだ「野ざらしを 心に風の しむ身かな」の句にも表れています。野ざらしというのは「野辺に放置された髑髏(しゃれこうべ)」の意で、そうなるかもしれないということを覚悟して旅に出たんですね。悲壮なまでの覚悟ですけれど、現代人には想像のつかないほど、当時の旅は困難なものでした。
「奥の細道」でも、同行した曾良が山中温泉で腹を病み、知り合いを頼りにひとり伊勢へ下っていくのですが、その時詠んだ「行き行きて たふ(お)れ伏すとも 萩の原」という句があります。途中で行き倒れることを覚悟し、どうせ倒れるのなら萩の咲いている野辺でと願っているわけですね。今のようにすぐに誰かが見つけてくれて、自動車という文明の利器で救命救急へ運んでくれる世の中ではありませんでしたから。
ご存知のとおり「奥の細道」の終着点は大垣ですが、紀行文の最後は「長月(ながつき)六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて」となっていて「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」の句で終わっています。伊勢の二見が浦へ向けて出発するところで終わるんですね。少しもじっとしていられないという感じです。
昨年(2013年)は伊勢と出雲で遷宮式が行われ、見に行かれた方も多いと思いますが、芭蕉も「奥の細道」の旅を終えた後、伊勢の遷宮式を見に出掛けたんですね。
伊勢二見が浦
そしてそれほどに旅を愛した芭蕉は、死の床にあってもやはり旅を夢見ていたようです。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
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