ようやく昨日健康診断を受けてきました。自分のためと思っても、結構おっくうなものですね。余程具合が悪くならない限り、病院へは行きたくないものです。
とはいっても、一生お世話にならないで済むという人はいないでしょう。生活習慣病に関しては、自分で気をつけることによって回避できるものもあると思いますけれど、今韓国で感染が拡大し、問題になっているMERS(中東呼吸器症候群)のような場合、どう対処したらよいのでしょうか。
もちろん、感染者に接触しないのが一番ですが、感染者自体気がついていない場合もありますから…。それにこれから夏ですし、マスクをするのも限界があります。マスクをすることで熱中症になるリスクの方が大きいかもしれません。これだけ科学が進歩した今でも、なかなか治療法が見つからない場合もあります。免疫力が低下した者にとっては脅威ですね。日本に上陸しないことを祈るばかりです。
このように流行する病気は疫病・伝染病・感染症などさまざまな呼び方がありますけれど、難しい区別は置いて、ここでは流行り病(はやりやまい)としてくくらせていただけきます。流行り病は幕末以後に細菌学が進歩するまでは原因が明確になっていませんでした。江戸時代には人から伝染することがわかっていたようですが、それ以前は疫鬼や怨霊などの仕業、あるいは仏罰と思われていた時期があり、それを鎮めるための加持祈祷が行われていたようです。
かの有名な紫式部も、正暦5年(994年)に流行した天然痘によってアバタ面になってしまったことが知られています。今でこそ天然痘ウィルスは根絶されましたけれど、それまでは日本においてもかなり猛威を振るった時期がありました。大陸との交通が頻繁になった平安時代、これによって遺骸が道路に満ち溢れるといった状況になることも多かったようです。
延暦9年(790年)の秋から冬にかけて、「京畿男女三十歳以下の者、悉く豌豆瘡(えんどうそう)を発し、…死者甚だしく、…」といった記事が『続日本紀』にあります。豌豆瘡とは天然痘のことですが、当時は「もがさ」などとも呼ばれていました。天然痘の流行は平安時代を通して二十回以上もあったそうです。
似たような名前で赤疱瘡(あかもがさ)というのがあります。これは今でいう麻疹(はしか)のことで長徳4年(998年)に大流行し、多くの死者を出しました。昔は麻疹で命を落とすことも珍しくなかったんですね。また、「ことし例のもがさにはあらず、いとあかきかさのこまかな出来て、老いたる若き、上下わかずこれをやみ…」(『栄花物語』)と物語にも描かれ、免疫性のあることも知られていたようです。
その他の流行り病として、瘧(おこり)と呼ばれたものがあります。「わらわやみ」などともいわれたこの病気は、今の「マラリヤ」です。他に赤痢、コレラ、インフルエンザ、結核、おたふく風邪などもありました。
当時の養生書として『医心方』、『長生療養方』などがありますが、ほとんどは神仏に頼ることが多かったようです。私たちはいい時代に生まれたのだと思います。道端に人が倒れ、腐臭が漂う地獄絵図さながらの光景を目にすることはないでしょうから。それでもやはり恐ろしい病です。
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とはいっても、一生お世話にならないで済むという人はいないでしょう。生活習慣病に関しては、自分で気をつけることによって回避できるものもあると思いますけれど、今韓国で感染が拡大し、問題になっているMERS(中東呼吸器症候群)のような場合、どう対処したらよいのでしょうか。
もちろん、感染者に接触しないのが一番ですが、感染者自体気がついていない場合もありますから…。それにこれから夏ですし、マスクをするのも限界があります。マスクをすることで熱中症になるリスクの方が大きいかもしれません。これだけ科学が進歩した今でも、なかなか治療法が見つからない場合もあります。免疫力が低下した者にとっては脅威ですね。日本に上陸しないことを祈るばかりです。
このように流行する病気は疫病・伝染病・感染症などさまざまな呼び方がありますけれど、難しい区別は置いて、ここでは流行り病(はやりやまい)としてくくらせていただけきます。流行り病は幕末以後に細菌学が進歩するまでは原因が明確になっていませんでした。江戸時代には人から伝染することがわかっていたようですが、それ以前は疫鬼や怨霊などの仕業、あるいは仏罰と思われていた時期があり、それを鎮めるための加持祈祷が行われていたようです。
かの有名な紫式部も、正暦5年(994年)に流行した天然痘によってアバタ面になってしまったことが知られています。今でこそ天然痘ウィルスは根絶されましたけれど、それまでは日本においてもかなり猛威を振るった時期がありました。大陸との交通が頻繁になった平安時代、これによって遺骸が道路に満ち溢れるといった状況になることも多かったようです。
延暦9年(790年)の秋から冬にかけて、「京畿男女三十歳以下の者、悉く豌豆瘡(えんどうそう)を発し、…死者甚だしく、…」といった記事が『続日本紀』にあります。豌豆瘡とは天然痘のことですが、当時は「もがさ」などとも呼ばれていました。天然痘の流行は平安時代を通して二十回以上もあったそうです。
似たような名前で赤疱瘡(あかもがさ)というのがあります。これは今でいう麻疹(はしか)のことで長徳4年(998年)に大流行し、多くの死者を出しました。昔は麻疹で命を落とすことも珍しくなかったんですね。また、「ことし例のもがさにはあらず、いとあかきかさのこまかな出来て、老いたる若き、上下わかずこれをやみ…」(『栄花物語』)と物語にも描かれ、免疫性のあることも知られていたようです。
その他の流行り病として、瘧(おこり)と呼ばれたものがあります。「わらわやみ」などともいわれたこの病気は、今の「マラリヤ」です。他に赤痢、コレラ、インフルエンザ、結核、おたふく風邪などもありました。
当時の養生書として『医心方』、『長生療養方』などがありますが、ほとんどは神仏に頼ることが多かったようです。私たちはいい時代に生まれたのだと思います。道端に人が倒れ、腐臭が漂う地獄絵図さながらの光景を目にすることはないでしょうから。それでもやはり恐ろしい病です。
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