ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

モロッコの夕映え

2013-12-29 13:56:14 | 日記
 ここ数日寒中のような寒さですね。大掃除も大変です。

 今年は最後に息子が撮ってきたモロッコの夕映えをアップして終わりたいと思います。
 この一年、つたないページを見てくださった皆様、そしてコメントをくださった方々に深く感謝し、心よりお礼申し上げます。本当に有難うございました。
 来年が皆様にとって良き年となりますように。

    モロッコの夕映え

 2014年もよろしくお願い申し上げます。

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蘆花恒春園

2013-12-18 18:04:42 | 日記
 大河ドラマ「八重の桜」、終わってしまいましたね。私たち日本人は何かあるとみんなが走っていく方向へ駆け、大勢が罵声を浴びせると一緒になって浴びせかけ、叩いていると一緒になって袋叩きにしてしまう。そんな傾向にあるようですけれど、それは正しい判断ではないのかもしれません。はたと立ち止って自分なりに考え、自分の信念に向かって走ることも必要なのでは…。そんなことを考えさせられるドラマでした。

 後半47話に、八重の姪の恋人として徳富蘆花(とくとみろか)が登場しました。国民新聞を作った兄蘇峰(そほう)に比べて出来の悪い弟という役どころでしたが、国民新聞に発表された小説「不如帰(ほととぎす)」で一躍時代の寵児となります。どちらかというと庶民には、兄蘇峰より知名度があったように思います。何しろ「不如帰」は随分映画化されましたから。私が子供の頃にも映画館で上映され、それを見ながら母が泣いていたのを覚えています。その母も、もうすっかり忘れてしまったようですが…。
 
 蘆花が晩年に暮らした家が世田谷に残されています。「蘆花恒春園」(広場を含めて芦花公園とも)として都立公園になっているので、いつでも気楽に訪れることができます。すぐそばを環状8号線が走っているのですが、その一角だけは時代に取り残されたような佇まいで、千歳村の雰囲気を伝えています。蘆花はここで晴耕雨読の日々を過ごしました。明治・大正時代にタイムスリップしてみたい方は是非。ただ私がお邪魔したのは夏の頃だったので、笹薮のお庭で近年には珍しく藪蚊に刺されたのを覚えています。藪蚊のいない頃がおすすめです。

      母屋

 広場が併設されているので普段は家族連れで賑わいますが、蘆花の旧宅に足を踏み入れる人は少なくなりました。子供が母親に「これ、誰のおうち?」と聞くと、「徳富蘆花っていう人」と母親が答え、またその子が「どんな人?」と尋ねると、「昔の偉い人」と答えている光景を目にしました。母親もよくは知らなかったのでしょう。いずれ「不如帰」を知る人もいなくなるのかもしれません。

 家内部   竈(かまど)

 今日は寒くて雪が降りそうです。

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中庸が肝心

2013-12-04 19:24:21 | 日記
 先月、福岡県早良市で65歳の母親に暴力を振るって殺してしまった事件がありました。「家事をしないから」などの理由で床に放り投げたりしたそうですが、これから高齢化社会が進んでいくと「姥(うば)捨て山」も復活するのではないか、と思わせるような恐ろしい事件でした。

 以前忠孝の精神の行き過ぎは弊害になると書きましたが(「忠孝の精神に苦しんだ清盛の嫡男」、「だから韓流?」等)、だからといって親を粗末にしていいということではありません。何事も中庸が肝心です。
 忠孝の精神の弊害というのは、「どんな親でも、己の命を削ってまで孝養を尽くさねばならないか」、あるいは「どんな上司でも、無茶苦茶な要求を受け入れなければならないか」ということを言っているのであって、決して年老いた親を虐待して殺していいということではありません。

 中庸というのは、いうまでもなく四書五経の四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)のひとつで、いろいろな解釈がありますけれど、「過不足なく、偏りがなく、調和がとれていること」であると思います。単に「平凡」とか「恒常」、「中途半端」、「平均値」という意味ではありません。儒教哲学における最高理念としての徳です。

 難しいことは専門書を紐解いていただくことにして、私が言いたかったのは「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」、何事も行き過ぎてはいけないということです。忠孝の精神の弊害も行き過ぎが原因ですから、お互いに意見を交換できる間柄でいれば問題ないのです。どちらか一方が支配するような関係にあるのが問題だと思います。
 できる範囲で親への孝養を尽くすことも、家を守るという精神も、人間にとってあるべき姿です。それぞれ家庭の事情があるとは思いますが、自分の手にあまることは行政に相談する。勿論思うような結果になるとは限りませんが、新しい道が開けることもあると思います。

 最近はどんな番組を見ても元気なお年寄りが多く、60歳を過ぎても働く人が増えました。勿論、それは歓迎すべきことですが、働けない人が肩身の狭い思いをするのはどこか間違っているような気がします。
 前述の事件の母親は足が悪かったそうですが、65歳といえば高齢者です。シュワちゃんのように元気な人はともかく、60歳を過ぎたら元気でない人も多いということを忘れてはなりません。銀座で街頭インタビューに答えておられる方たちは元気です。そういう人たちの声は届きますが、元気のない、家に引きこもりがちなお年寄りの声は届きません。そういう人たちは声を上げられずにいるのです。年をとっても元気でいなければいけない、働かなくてはいけないという風潮が蔓延してしまうと、元気でない人たちは益々家に引きこもらざるを得なくなります。

 元気でない人にとって、元気な人の姿は励みになるどころか、つらい時もあるんですよ。「頑張れ頑張れ」ではなく、「もう頑張らなくていいよ」という声掛けも必要なのではないでしょうか。
 長寿大国ニッポンを誇りとするなら、「姥捨て山」があってはなりますまい。

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