ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

死にこじれつつ…

2016-04-24 18:56:54 | 日記
 死にこじれ 死にこじれつつ 寒さかな
 熊本で被災し、崩落した家の下敷きになって救助を待っている人の気持ちを詠んだような句ですけれど、これは小林一茶が俳友秋元双樹を失った時に詠んだものです。一茶は双樹を心の支えとしても経済的な支えとしても頼りにしていたようで、その絶望感は半端なものではなかったのでしょう。

 今被災地はそんな絶望感に見舞われていることと思いますが、一日も早く落ち着きを取り戻し、復興へ向けて動き出すことを祈るばかりです。
 先日「ブラタモリ」という番組で熊本城のすごさを知ったのですが、そのお城があのような姿になるのは熊本県人でなくとも残念でなりません。いつか遠い将来、もう一度復元されることを願ってやみませんけれど、今はとにかく被災者の救済ですね。

 さて一茶ですが、幼い時に母を亡くし、継母との折り合いが悪かった一茶は14歳で江戸へ奉公に出されます。江戸の地でも信濃者として揶揄され、転々と渡り奉公をするうち、「くるしき月日おくるうちに、ふと諧々たる夷(ひな)ぶりの俳諧を囀(さえず)りおぼゆ」(『文政句帖』)ということになり、二六庵竹阿(ちくあ)に師事して俳諧を学びました。竹阿亡きあと西国を行脚し、俳諧の修行につとめますが、当時(寛政期)俳壇的地位は低かったようです。

 父の死後、遺産分配をめぐって継母や異母弟との抗争が続き、同門・知友の家を泊り歩く漂泊の日々が続きました。双樹もそのひとりです。相続問題がようやく解決したのは一茶が50歳を過ぎてからのことでした。郷里の柏原で一家を構えた一茶は52歳で28歳の若い妻を娶り、3男1女を儲けるのですが、不幸にしてみな夭折してしまいます。さらにはその妻にも先立たれ、再婚にも失敗して自身も中風を病むという不幸続き。3度目の妻を迎えますが、翌年大火に遭って家を類焼。

 焼け残った土蔵での暮らしに疲れ果てたのか、一茶は65歳で他界します。本当についてない人生ですが、私たちの頭に浮かぶのは、

 俳句人形

 痩蛙(やせがえる) 負けるな一茶 これにあり
 我と来て 遊べや親の ない雀

 といった弱い生き物に対する愛情を感じる句です。そして何より分かりやすいのがいいですね。やさしい言葉だからこそ、すっと頭に入って来て住み着いてしまうのだと思います。難解な言葉など必要ないのです。

 露の世は 露の世ながら さりながら
 この世ははかないものだとわかっているけれど、でもね。「でもね」のあとにはきっと「はかな過ぎるよね」とか「諦められないよね」といった言葉が続くのでしょう。じ~んと胸にしみてきて、思わず「そうだよね」といってしまいそうな、人生を感じる句です。

 江戸の俳壇を退いてからは、親交のあった俳友が脚光を浴びる存在になっていくのを横目で見、内心は穏やかならぬものがあったであろう晩年ですが、後世正岡子規によって見出され、その時代のどの俳人よりも著名になりました。生きている間は貧しく恵まれない人生でも、後世の人に認められれば、それはそれで幸せといえるのかもしれません。

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花は桜木、人は武士

2016-04-10 19:24:30 | 日記
 関東ではそろそろ桜も終わりですね。葉桜になりつつあります。今年は天気に恵まれず、満開の時を逃しました。本当に盛りの時が短い桜ですが、そのわずかな時を目指して海外からお花見に来る外国人が増えました。昔はお花見の席に外国人がいると違和感がありましたけれど、最近はすっかり慣れてしまい、日本の文化を愛してくれる外国人を有難く感じるようにさえなりました。本当に不思議です。

   散りゆく桜

 以前「業平とその祖父」(マイブログ)で、「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」という歌を紹介しましたが、本当に華やかに美しく咲き誇る桜がぱっと散る潔さ、散るからこそ余計に美しいのだと感じます。花弁がしぼんだり、変色したりして汚くならないうちに散ってしまう。それは死に際の潔い武士と共通するものでもありました。

 平家が都落ちする契機となる戦いが富士川の合戦、そして倶利伽羅(くりから)谷での大敗北ですが、味方が敗走する中、ただ一騎引き返して敵と戦い、見事に散っていった平家の武将がいます。斎藤別当実盛(さねもり)。齢(よわい)七十は越えている筈なのに鬢鬚(びんひげ)が黒いのは何故かと木曽義仲が尋ねると、実盛を知る樋口次郎が答えます。「老い武者として人に侮られるのは口惜しい故、六十を越えて戦場に向かう時は鬢鬚を染めて出ようと思うのだ」と常々申しておりました、と。

 そこで鬢鬚を洗わせてみると、白髪になったというのが『平家物語』にあるエピソードですが、能の修羅物にも取り上げられています。また室町時代の公家の日記(『満済准后(じゅごう)日記』)の中にも実盛の霊が加賀の篠原あたりに出現したという記事があり、その伝承は生き続けていたことがうかがわれます。
 己の死に場所を戦場に求めた武士の姿をここに見ることができますけれど、芭蕉はこの地で、「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」という句を残しています。

 さらに時代が下ると、
 敷島(しきしま)の 大和心(やまとごころ)を 人問(と)はば 朝日ににほふ 山桜花(やまざくらばな)
 ご存じ本居宣長の歌ですが、ここでは「武士」とはいわず「大和心」といっています。武士と限定せずに日本人のスピリットとはどんなものかと人に尋ねられたら、それは朝日に映える山桜花のようなものだと答えよう、というわけです。
 そんなに散り急がなくてもと思いますけれど、果たして長寿が幸せなのかというと、それはまた疑問です…。

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