ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

老後2000万円問題と高齢化社会

2019-06-23 18:47:10 | 日記

 先日金融庁が年金だけでは足りなくなるので、老後2000万円の蓄えが必要だという試算を発表しました。それに対して俄かに議論が巻き起こり、与党は火消しに躍起になっていますけれど、この問題はもう国民の脳裏に焼き付いてしまったことでしょう。年金だけでは暮らしていけないという不安を誰もが抱いてしまったことと思いますが、「今更遅いよ」です。もっと早くに試算して、それに対する対策を考えていてくれたらと思わざるを得ません。団塊世代の親世代は結構豊かな年金暮らしをしていた筈です。団塊世代が高齢者の仲間入りをしたらどうなるか、という展望はなかったのでしょうか。

 生活費の内訳を見ても、あの中に例えば家のリフォーム代金やエアコン・給湯器などの買い替え費用は入っているのでしょうか。家も家電も経年劣化していく中で、生活費の確保だけではどうにもならなくなるでしょう。まして夫婦のどちらかが病気になると、一気に困窮してしまうというケースも少なくありません。介護も大きな問題です。老々介護ともなると、どうにもならなくなって夫婦で心中というケースもあります。何故心中しなければならなかったか、ということはニュースにならないことが多いのですが、その辺をもっと掘り下げて、高齢者対策を真剣に考えて欲しいものです。

 介護施設での虐待も問題です。動けない高齢者に暴力を振るうなど、人としてあってはならないことです。介護士などの選定も「人となり」が第一だと思うのですが、人材不足で手が足りないとそうもいかないのでしょう。もっと社会保障に力を入れ、非人道的なことが起きないようにすべきですし、できないのであれば安楽死を認めるべきです。虐待されて死ぬよりも、安楽死の方がずっと人道的だと思います。

 『未来の年表』(河合雅司著)によれば、来年には女性の過半数が50歳以上になり、2021年には介護離職が増大すると予測されています。また、「団塊世代が75歳以上となる2025年頃には、大きな病気を患う人が増え、社会保障給付費が膨張するだけでなく、医療機関や介護施設が足りなくなるのではないかと指摘されている」とあって、ダブルケア(育児と介護を同時に行う)も問題となってくるそうです。団塊ジュニアも50代に突入していきますし、認知症患者も増えていきます。2040年頃には死亡者数が激増するために火葬場も不足するようになるということですから、この高齢化社会をもっと深刻に受け止め、考えていかなければならないのでは。

 最近はまた高齢者の交通事故がやたらと取り上げられ、高齢者ばかりが事故を起こしているような錯覚に陥りますけれど、若い方も事故は起こしています。高齢者の事故ばかりが取り上げられるので、高齢者講習の見直しや免許制度の変更などが検討され、高齢者にとっては益々厳しい運転事情になりそうです。確かに高齢になって運転するのは危ないと思いますし、おそらく本人もさほど運転したくはないでしょう。それでも運転しなければ買い物にも行けない、病院へも行けない、気晴らしもできない等々で運転せざるを得ない事情があると思います。それを解決しようせず(足の確保を考えず)、ただ高齢者に厳しくすることだけが得策といえるでしょうか。高齢者を家に閉じ込め、引き籠りにするような社会であってはならないと思うのですが、皆さんはどうお考えになりますか。

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大磯とバカヤローのオブジェ

2019-06-09 19:12:05 | 日記

 前回に続き大磯です。湘南発祥の地・大磯は、鴫立沢の標石の裏に記された如く眺望の素晴らしいところで、宿場町でもありました。鴫立庵の近くに上方見附跡があります。見附というのは宿場を守るために置かれた防御施設で、京都側の出入り口にあるのを上方見附、江戸側にあるのを江戸見附といいます。街道を挟んだ両側に台形状に石垣をもって造られ、高さは1.6mくらいだったようです。本来見附は城下の見張り番所のことをいい、主に城門の外側にあって通行人を監視したところでした。江戸城には三十六見附があったといわれます。今でも四谷見附・赤坂見附という地名になって残っていますよね。

 さてその大磯宿ですが、広重の東海道五十三次にも描かれており、特に「隷書東海道」の海がいいですね。右手に茶店が描かれていますが、このあたりの茶店では盆山石(ぼんさんせき)を売っていたと「名所記」にあります。盆山石というのは盆栽に入れて楽しむための小石で、五色の色をしていました。このあたりの磯でとれたようです。

隷書東海道・大磯

 鴫立庵近くの砂浜は「こよろぎの浜」と呼ばれて、古くは万葉集にも「相模路(さがみじ)の 舎呂伎(よろぎ)の浜の まさごなす…」と歌われ、昔から風光明媚なところとして知られていました。晴れた日には沖の方に大島が見えるのですが、その美しさは今、鴫立庵から見ることはできません。大磯城山公園の中にある旧吉田茂邸の金の間まで行くと眺めることができます。ここに立つと「ああ湘南 清絶地」の意味が理解できそうな気がしますね。この邸は吉田茂が養父から引き継ぎ、晩年を過ごしたところですが、2009年に焼失し、その後再建されました。現在は大磯町郷土資料館別館となっています。

吉田茂邸 金の間からの眺望

 吉田茂は麻生財務大臣のおじいさんにあたる人ですけれど、戦後の内閣総理大臣を務めた方であり、何といっても「バカヤロー解散」で有名な方です。衆議院予算委員会で質疑応答中、吉田茂が「バカヤロー」と呟いた声がマイクに拾われ、問題になりました。追い込まれた吉田茂は衆議院を解散したというわけで、「バカヤロー解散」と呼ばれます。で、この邸宅には「バカヤローのオブジェ」があるのですが、まるで投げ出されたサイコロのように、部屋の片隅にポツンと座っています。旧島崎藤村邸にも同じような「涼しい風だね」のオブジェがありましたけれど、このあたりで流行っているのでしょうか。

バカヤローのオブジェ

 またこの近くには伊藤博文や大隈重信、陸奥宗光など、明治の偉人たちの別邸が多くありました。彼等は競ってこの大磯に別業を営んだようです。万葉、古今に詠われ、西行が秀歌を詠み、明治の偉人たちに愛された大磯、いいところでした。

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